聖魔の娘
▽ 3


「その死体の山こそが私を襲った傭兵達だ。それに魔物だと? 我々を救ってくれた竜人に随分な言い草だな」

「竜……?」

「私です」


話題が自分に移り、前に進み出るエルゥ。
サレフもすぐ側までやって来るが、敬愛するエルゥを魔物呼ばわりされた事に怒りを募らせている。
エルゥはそんなサレフを制して旅装のローブを外すと、小さくして隠していた翼を大きく広げた。
予想外だったらしく、グレン達が驚きに目を見開く。


「ティラザ高原の件はエイリーク達ではなく私が一人でやりました。しかしそれはカルチノの傭兵に襲われたヒーニアス王子をお助けするため。咎なら私だけが背負うべきです」

「エルゥ、必要ない。何もかもグラド帝国が仕組んだ事ではないか」

「なんだと?」


ヒーニアスの物言いにグレンが顔を歪ませる。
それに対しても尊大な態度を崩さないヒーニアスは、小馬鹿にするように息を吐いた。


「こんな馬鹿げた茶番を本当に信じていたのか。帝国の将が聞いて呆れる。皇帝の真意も知らぬのだろう」

「ヒーニアス王子、そのような挑発はやめてください。しかしグレン将軍、それが私達の知る真実です。どうしても信じて頂けないのなら仕方ありません。このような誤解の下で戦いたくはないのですが……」


曇りの無い真っ直ぐな瞳で見つめて来るエイリークに、グレンは何か考え出す。
やがて口を開いた時、その表情と声音はいくらか優しいものになっていた。


「そちらの言う通り、私は陛下の真意すら知らぬ。私もデュッセル殿も此度の戦には疑問を抱いていた」


エイリーク達の言葉が真実だとしたら、皇帝に偽りを教えられた事になる。
なぜそんな事をしたのか問いたい、改めて事の真実を知りたいと、グレンは一旦引く事に決めたようだ。
かつてグレンが会ったエイリークは優しく温かい心を持っていた。
改めて彼女と対話し濁り無い瞳を見た今、それが失われていないともう一度信じたくなったようだ。


「戦いはひとまず預けておく。真実を確かめ、その上で改めてグラド帝国将軍の役目を果たそう。もし君達の言葉に偽りがある時は覚悟してもらう」

「はい」


臆する事なく真っ直ぐに返事をしたエイリークに少しだけ微笑み、グレンは部下を連れ飛び立って行った。
エイリーク達もサレフの案内で山を登り始める。

ふとエルゥは、グラド軍から寝返ったアメリアの事が気になった。
彼女はエイリーク達が虐殺を行っていない事を、実際に目で見て知っている。
結果として尊敬する皇帝が嘘を吐いた事になる。
彼女は誇りを持ってグラドの兵士になった筈。
案の定、俯いたアメリアの顔色は悪い。


「アメリア、大丈夫?」

「エルゥさん……あたし、信じたくない。皇帝陛下があんな嘘を吐くなんて。だって皇帝陛下は、そんな事をするような……」


言葉の最後は弱々しくなり、やがて消えてしまう。
元々グラド皇帝ヴィガルドは名君と名高く、民から大変慕われていた。
しかし同盟国のルネスに侵略した結果がある以上、もう以前と同じ評価を下すのは不可能だ。
それでもまだ信じていたい気持ちがあるアメリアの瞳が泣きそうに揺らぐ。
エルゥはそんなアメリアを慰めるように優しく言葉を紡いだ。


「あの将軍、エイリークが信頼していたみたいだし、グラドでも特に力のある将軍なんでしょう?」

「グレン将軍は帝国三騎っていう、グラドで最高の力を持つ将軍の一人よ」

「そんな人が話を聞いてくれたんだから、まだ話し合いの余地はある。デュッセル将軍だって戦に反対してるって言ってたじゃない。上手くいけば、きっとまた昔みたいに戻れるわ」

「……うん。あたし、将軍様たちを信じる!」


アメリアは何とか元気を取り戻してくれたようだ。

しかし彼女達は、そしてエイリーク達一行の誰も、知らない。
そう遠くない場所で、エルゥが感じたおぞましさの元凶……以前にレンバール城でエフラム達を襲ったヴァルターがグレンと対峙し、その命を奪った事を。

戦いを欲するヴァルターにとって、終戦を望むグレンとデュッセルは目障り。
邪魔者を始末する為に、近くに居たにも拘わらずエイリーク達ではなく、グレンに狙いを定めた。
軍に多大な影響力を持つグレンが働き掛ければ、戦争が終わる可能性も高い。
それを阻止する為の、あまりに身勝手な横暴。

一つ、また一つと、エイリーク達の預かり知らぬ場所で、帝国との和解の道が閉ざされて行くのだった。



グレンを襲った悲劇に気付かぬまま、山を登り続けるエイリーク達。
道はますます険しくなり、終わりの見えない登山に一行の疲労は募って行く。
息を荒げるエイリークを心配し、ゼトが前を行くサレフに声を掛ける。


「サレフ殿、里まではあとどの位かかる?」

「もうじきだ。あと半日といった所か」


何でもないような涼しい顔で放たれたサレフの言葉に、仲間達から次々と落胆の溜め息が放たれる。
それを聞いたゼトはサレフに申し出た。


「すまないが、ここで小休止させて頂きたい。私を含め、皆 疲労している。これ以上は進めない」

「ゼト、私は大丈夫です。こんな所で遅れる訳には……」


エイリークは必死で強がってみせるが、時折、足をふらつかせてはバランスを崩している。
仲間達の疲労も確かだろうし、ここは強がらずに休んだ方が良いだろうか。
エイリークがそう考えていた時、立ち止まったヒーニアスが息を整えながらサレフに話し掛ける。
会話ついでに休みたいのかもしれないが、当然そんな事が分かった所で彼を責める者は誰一人いない。


「ふぅ……しかし、まさかこれ程の高さまで登る事になるとは。本当にこのような場所に住んでいるのか? こんな山に、とても人が住めるとは思わないが」

「余計な物を持たなければ奪い合う事も無い。我々は竜人様と共にある」

「竜人……」


ヒーニアスは、サレフの側に居るエルゥに視線をやった。
目が合ったエルゥは少し照れ臭そうに笑って、ちょっとサレフを見やってから口を開く。


「私としてはだいぶ気恥ずかしい立場です。かつての功績は私ではなく、竜族長である父のものですから……単なる七光りですよ」

「いいえエルゥ様、あなたも間違い無く我ら人を助けて下さいました。闇の樹海であなた方はずっと……」

「今はその話はいいわサレフ、それより休みましょう。私もうクタクタよ」

「承知しました」


エルゥの言葉に従い、休息を取る事にした一行。
だがその前に、偵察をしていたヴァネッサがペガサスを操り降りて来る。


「前方に魔物の姿が見えます、こちらに気付いているようです!」

「魔物……!」


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