聖魔の娘
▽ 1


ラーチェルとドズラを仲間に加え、エイリーク達は更に山を登って行く。
道の険しさは相変わらずだが霧が晴れ、先程の戦いで一段落した気になった一行の足取りは今までより軽い。
やがて前方に質素な家を見付け、ユアンが喜び勇んで駆けて行く。
ノックの一つもせず無遠慮に扉を開けて声を上げた。


「お師匠さまー、こんにちはー!」


しかし返事は無い。
あれ? とキョトンとするユアンの後ろから覗いてみたエルゥだが、中は外観通りに質素な少数の家具があるだけ……不在だ。


「お師匠さま居ないや。また旅に出ちゃったのかな」

「一旦戻ってると思ってたけど……また私達を探しに行ってしまったのかも」


エルゥの言葉に、背後から追い付いて来たエイリークが困った顔をする。


「お留守ですか? いつ戻られるのでしょう」

「心配しないでエイリーク、私が里の人に頼むから。元は私とミルラがはぐれたのが原因なんだし……」

「エルゥ様……!?」


突然、エイリークの背後から男性の声が聞こえた。
聞き覚えのある声にあっ、と反応したのはエルゥとユアンで、エイリークの背後に現れた人影に顔を明るくさせる。


「サレフ!」

「お師匠さまぁ!」


エルゥを見付けたせいか驚いた顔をしているサレフに、二人は駆け寄る。
エイリークも後から歩いて来るが、何故か彼女まで驚いたような顔をしていた。
少し黒に近い灰色の髪をした、気難しそうだがいかにも知的な印象の男性。
エイリークは彼に見覚えがあったのだ。

サレフはエルゥ以外が目に入っていないかのように彼女だけを見ており、すぐ側に来たエルゥの足下に跪く。


「エルゥ様、申し訳ありません。私が力及ばぬばかりに、あなたとミルラ様を危険に晒してしまいました」

「大丈夫だから楽にしてサレフ。私も人の世の見通しが甘かったわ。ミルラは今ここには居ないけど、あの子も無事よ」


エルゥの言葉にホッと安堵の息を吐いたサレフは、再び促され立ち上がる。
すぐにユアンが纏わり付いて来てはしゃぐが、サレフは真顔で引き剥がした。


「よかったぁお師匠さま、まさか居ないなんて思わなかったから……」

「だから来るなと言っただろう。私は留守がちだ」

「えぇーっ」


不服そうな顔をするユアンに溜め息を吐いて視線を反らしたサレフは、エイリークと目が合う。
すると彼もエイリークに見覚えを感じたらしい。
何か考えるような表情を見せたサレフに、エルゥは二人を見比べた。


「あなたは……以前に国境の街セレフィユでお会いしましたね」

「……ああ、あの時の」

「確か人を探していると言っていたようですが、エルゥの事だったんですか」


そうだ、と言葉少なに言うだけのサレフだが嫌な感じがしないのは、彼の持つ清廉な雰囲気のためだろう。
ユアンは自分の発案が無駄にならなかった事に安心したのか、いつもよりも明るく饒舌に感じる様子でサレフに用件を話す。


「あのねお師匠さま、この人たち山を越えて向こうの国に行きたいんだって。それでポカラの里に案内しようと思ったんだ。僕一人でも案内できるけど、お師匠さまも居てくれた方がいいかなって思って」


本当は一人で案内する自信が無かったのでサレフを頼ったのだろうが、少年の微笑ましい強がりにエルゥもエイリークも文句を言うつもりは無い。
サレフは相変わらず気難しそうな雰囲気のままだったが、案外あっさり頷いた。


「良いだろう。今から私も里に戻る。里へ来たければ付いて来るがいい」

「宜しいのですか?」

「我々は敢えて外と交わる事は無いが、外から来る者を拒みはしない。だが里に至る道は険しい。見たところ疲れているようだ。今日は休んだ方がいい」


その提案に、そうだな、と頷いたのはヒーニアス。
山の行軍に魔物との戦いで疲れ切っている兵士達を慮った彼の言葉に従い、兵士達はサレフの家の周囲で夜営をする事になった。
兵士達が夜営の準備をし始めるのを眺めていたユアンが、いい事を思い付いたとばかりに手を叩く。


「そうだ! 僕、先に行って里の大婆に伝えて来る! 急に大人数で押しかけたら里の皆がびっくりしちゃうかもしれないし!」

「あ、待ってユアン! もうすぐ日が……」


暮れかけた空を気にしたエイリークが止めるが、ユアンはそのまま走り出し、木々の間に姿を消してしまった。


「大丈夫でしょうか……」

「ユアンは近辺の土地に慣れている。心配は無い」


心配そうなエイリークに、サレフは何でもない調子で言い安心させようとする。
エルゥは後方に居るユアンの姉テティスに一言知らせに行こうとするが、その時、ヒーニアスがぽつりと呟いたのが聞こえた。


「……懐かしいな」

「ヒーニアス王子?」


独り言に反応されるとは思っていなかったのか、ヒーニアスがバッとエルゥの方を向いた。
また余計な口を出してしまったかな……と後悔しかけるエルゥだったが、何か言わねばと思ったのか、ヒーニアスの方から言葉を続ける。


「困ったものだが、役立ちたいという気持ちは分からんでもない。周りの大人に認めて欲しいのだろう。……昔、そんな子供が居た事を思い出してな」


何となく、その子供とはヒーニアス自身の事ではないかとエルゥは思った。
プライドの高い彼の事、実力が付いて認められるまでは大人から軽く扱われ、何度も悔しい思いをして来たのではないかと。
しかしそれを言えば彼のプライドに係わると思ったエルゥは、彼の今の言葉を素直にユアンへの思いやりだと受け取った。


「優しいんですねヒーニアス王子。意気込む少年の機会を認めてあげるなんて」

「……この近辺は慣れていると言っていただろう。迷惑を掛けられる心配が少ないから放置しているだけだ」


顔を逸らしてしまったヒーニアスに、ひょっとして照れてる? と思ったエルゥだったが、さすがにあまり余計な事は言わない方が良いと学習したのか、それ以上は何も言わなかった。

テティスにユアンの事を知らせると彼女は驚いて後を追おうとしていたが、サレフが言っていた事を教えて何とか引き止めた。
彼女の事はジストとマリカに任せてその場を後にしたエルゥだが、ふと傭兵稼業をしている彼らに思いを馳せてみる。
傭兵は生死を懸けた厳しい職業ではあるが、同様に命を懸ける騎士や兵士よりは自由だと思える。
いずれ誰かの跡を継ぐか継がないか、決める必要も彼らには無いのだろう。


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