聖魔の娘
▽ 3


そこまで言った所で、ヒーニアスがエルゥの方を振り返る。
彼の目に映った彼女は微笑ましく笑んでおり、少々イラついていた心が溶解してしまった。


「……フレリアで一緒に居たあの少女か。今も城で待っているのか?」

「いいえ。エフラムと共にグラドへ向かいました」

「!? 何を考えているんだ、敵国の中枢へ行かせるなど……!」

「私も迷いました。ですがエフラムは勝ち目の無い戦いなどしないそうなので」


勿論、今だって心配でない訳はない。
いくらエフラムを信頼していても、万一という事だってあるのだから。
しかしミルラはエフラムに付いて行きたがった。
竜石の行方も気になるし、それであれば妹の意思を尊重したいとエルゥは思っている。

一方ヒーニアスは、エフラムを心から信頼している事を示すエルゥの言葉に、目に見えて苛つきの態度を表し始める。
それを見てようやくエルゥは、己の失言に気付いた。

確かターナが、ヒーニアスはエフラムを激しくライバル視しているような事を言っていた。
ヒーニアスの性格を鑑みるに、エフラム本人が居ない場所で私怨丸出しの行動をするとは考え難いが、彼自身としては面白い気分はしない筈である。
ただでさえ完全には信用されていないのだから、機嫌を損ねるような言動は慎むべきだった。
遡れば先程の盗み聞きと、余計なお世話の言動だって……。
ずっと忌避していた竜化を久々に行ったり、思いがけずポカラの里へ寄れる事になったりして、心が上擦っているのかもしれない。


「……ミルラの方も、私がヒーニアス王子と一緒だと知れば安心するでしょう」

「彼女は私の事をそんなに知っているのか?」

「う……」

「勘違いするな、自分が不甲斐ないだけだ。エフラムはこうまで君に信頼されているのに、私は逆に君に助けられるという情けない面を見せてしまった訳だからな」

「な、情けなくなんてありません! 降伏せず最後まで戦い抜こうとしたその姿勢、フレリア王子の名に恥じぬ誇り高い行動ではありませんか! そんなあなたをお助け出来て光栄に思いこそすれ、情けないと貶める心など私は持ち合わせていません!」

「……! 分かった、分かったから落ち着くんだ!」


ヒーニアスが数歩 後退り、エルゥはようやく自分が彼に迫っている事に気付いた。
慌てて離れ、ご無礼を……と俯きながら自分も数歩 後退る。
本当に心が上擦っているようだ。
今日は早めに休んだ方が良いかもしれない。
気まずくなり、では失礼します、と立ち去りかけたエルゥだが、その前にヒーニアスが口を開いた。


「エルゥ、君を信用できるかどうか見極めるにしても、仲間として共に戦う以上、私も君に信頼して貰えるよう努めねばならんな」

「え……」

「問題は無い。私の戦い振りを間近で見ていれば、すぐ信頼できるようになるだろう」

「あ、あの、私は別にヒーニアス王子を信頼していない訳では……」


言いかけたエルゥには反応せず、ヒーニアスは先に立ち去って行く。
いくら後から『ヒーニアスの事も信頼している』と伝えた所で、彼がライバル視しているエフラムを、大切な妹の命を預けられるほど頼りにしている……、
と先に示してしまった以上意味は無さそうだ。
使命に影響さえ無ければ、火を着けられた闘争心を易々と放置する人ではないらしい。
意外と子供っぽい所もあるのね……と、思いもよらない新情報を噛み締めるエルゥだった。


+++++++


翌日、一行はポカラの里を目指して山を登り始めた。
実際に登ってみれば下から見ていたより過酷で、中には弱音を吐く者もちらほら。
エルゥが竜化すれば楽にそれなりの人数を運べるが、敵の追跡を逃れる為に山登りを選択したのに、万一見付かっては元も子もない。
天馬騎士は飛んでいるので楽をしているものの、徒歩の仲間達が山登りに集中できるよう見張りも兼ねているので、全く苦労していない訳でもなかった。
天馬は竜化したエルゥよりはだいぶ小さいため下から見付かる可能性も低いだろう。

また坂道や悪路だけでなく、変わり易い山の天気は濃霧も運んで来る。
時折視界を阻害され、ただでさえ遅くなりがちな歩みを更に減速させた。
そんな中ユアンは元気に山を駆け上る。
軽装だからというのもあろうが、それでもよくあんな軽やかに登れるものだ。


「こっちこっち、こっちだよ! お師匠さまはね、この先に居るよ」

「待ってユアン、みんなで行きましょう」


先走って姿が見えなくなりそうなユアンを、エイリークは引き留める。
この山は慣れているようだが、あんな子供を一人にするのは躊躇われた。
辺りは再び霧が深くなって来ている。
まだカルチノ領から脱せていないので、敵襲を避けるには都合が良いが……。
ふとヒーニアスが先の方を見つめ、やはり我慢できずに先へ進もうとするユアンに声を掛けた。


「待て。それ以上前に進むな」

「え? でも進まなきゃお師匠さまのとこに行けないよ」

「……あの砦は? ずいぶん老朽化しているが機能しているのか?」


彼が示す先、石造りの建造物が霧に包まれ存在している。
ユアンの話によるとあれはずっと昔に造られたもので、空っぽで誰も居ないのだとか。
しかしそれを聞いたヒーニアスは益々顔を険しくさせた。
その理由はエルゥも分かっている。
彼女の耳には何かの物音が届いていた。
疑問符を浮かべるユアンへ、ヒーニアスの代わりに質問する。


「ねえユアン、あの砦から物音が聞こえるみたいなんだけど」

「え? 音……? ……ほんとだ、なんか変な音がする。何の音だろ……。でも普段は本当に誰も居ない廃墟だよ、前に何度か探検した事あるもん」

「……エイリーク、魔物の襲撃に備えるよう皆に伝えて。向こうはもう私達に気付いてる」

「魔物……!」


向こうはエイリーク達を襲うつもりだろうに、エルゥの危険予知能力が発動しない。
不安定であるとはいっても、違和感を覚えるぐらいの事はある筈なのに。
その理由は恐らく、『“エルゥには”危険が迫っていないから』。
となるとカルチノ、ましてグラドの手でないのは明白だろう。

エルゥの予知能力は、ミルラと違いあまり他人に対する予知が働かない。
つまりあの砦に居るのは間違いなく魔物だ。
エルゥは魔物に攻撃される事が無い。
例外もある事にはあるのだが……今それが適用される事は恐らく無いだろう。

エルゥの予知能力を説明するまでもなく、こんな所までカルチノ兵が追って来るとは考えられないらしいヒーニアスの見解も同じ。
お陰で余計な説明に時間を取られる事も無い。
この辺りは砦が道の大半を占めており、下手に外で戦うと転落の危険がある。
危険を承知で砦の中へ攻め入るしかない。
エイリークとヒーニアスは素早く仲間達へ指示を送り、戦闘準備を整えた。

辺りには霧が立ち込め、それは朽ちた砦の中にまで入り込んでいる。
しかしエイリーク達は便利な物を所持していた。
周囲を明るく照らす事が出来るトーチの杖だ。
シスターのナターシャに後方から周囲を照らして貰うと、それなりに視界を確保できた。
また、目の利くコーマの存在も有り難い。
霧の中でも先の方を確認できる彼は、魔物の接近を忙しく仲間達に伝えている。


*back next#


戻る


- ナノ -