聖魔の娘
▽ 2


「ねえねえ、僕知ってるよ。あっちの山を越えてジャハナへ行く方法。案内してあげようか?」

「あら……あなたは?」

「こ、こらユアン!」


エイリークの質問に少年が答える前に、テティスが慌てて駆け寄って来た。
ユアンという名らしい少年……テティスに似ている気がするが、家族だろうか?
邪魔してごめんなさいね、とユアンを引っ張るテティスだが、ユアンは頑として引き下がらない。


「お姉ちゃん! 僕だって役に立てるんだから! 要はカルチノの兵士に見つからなければ良いんでしょ? あっちに見える高い山のてっぺんにポカラっていう里があってさ。僕のお師匠さまはね、その里に住んでるんだ。だからお師匠さまに言えば案内してもらえるよ、きっと」


知った場所の名前が出た事に、エルゥは面食らう。
エイリーク達がポカラの里に何の用事も無い以上、里へ行く=私用という固定観念が出来上がってしまっていたが、確かにあの山ならば、カルチノ兵 待ち伏せの心配は無いだろう。
しかしそんな事など知らないエイリーク達は、山の高さに辟易している様子。
戻るよりはだいぶ早かろうが、登って通り抜けるには苦労すること請け合いだ。
半信半疑の目で、ヒーニアスがユアンに師の名を訊ねる。


「……師の名は?」

「僕のお師匠さまはね、サレフっていうんだ」

「サレフ……!?」


またも知った名の登場に、我慢できず声を上げてしまったエルゥ。
エイリーク達の視線が一身に集まり しまった、と思うが時既に遅し。
これはきちんと発言しなければなるまいと、腹を括って口を開く。


「ごめんなさい……私の知り合いだったものですから」

「お姉さん、お師匠さま知ってるの!?」

「ええ。彼、弟子なんて取っていたのね」

「私も聞いた事がある。以前、我が国の密偵から入る情報にその名があった。卓越した稀代の魔道士で……過去に何度も人々を救った事があると。ポカラなる辺境の里の生まれだとな」


ヒーニアスの言葉もあり、ユアンの提案の信憑性も増したようだ。
こうなってはポカラの里を通るより他ないだろう。
エルゥは提案の後押しをする為 更に言葉を続ける。


「あの山脈は険しいですが、だからこそ安全でもあると思います。そしてポカラの里は私の馴染みです。万一サレフが居なくとも、私が話を通しましょう」

「……信用しても良いのだな?」

「はい」


ヒーニアスの探るような鋭い視線に、エルゥは物怖じせず毅然とした眼差しと態度を貫く。
ユアンの提案、フレリアの優秀な密偵による報告、そしてエルゥの言葉と態度。
それらが合わさり今後の進路は決定した。ポカラの里へ向かい、山脈を通り抜ける。
ヒーニアスはすぐにも出発したがったが、彼は今まで敗北必至の籠城戦を続け、エイリーク達は彼らを助ける為に強行軍している。
日暮れも近い事から、一晩だけこの村で休息を取る事になった。

すっかり野営の準備が整った村の広場を歩いていたエルゥは、少し外れの方でヒーニアスが誰かと話をしているのが目に入る。
気になって近づいてみれば、妹姫のターナが相手だ。


「ターナ、説明して貰おうか。なぜお前がこんな所に居る?」

「わたしエイリーク達に付いて来たの。これからも一緒に戦うわ」

「馬鹿な真似はよせ。父上がお前をどれだけ心配し、大事にしているか分からないのか。何人かフレリアの兵を伴い、明日にでも王宮へ帰るのだ」

「いや! エイリークもエフラムもお兄様も、みんな頑張ってるじゃない! なのにわたしだけ一人お城で呑気にしてろって言うの!? わたし……すごく怖かったのよ。城でルネスの事を聞いた時も、エイリークとエフラムの行方が分からなくなっていた時も、お兄様が戦いに出られていた時も……」

「……」

「お城で安全に暮らしながら一人で怖がってるなんて、もうたくさん。わたしも一緒に戦うの、そしてみんなを守ってみせるんだから!」


少々涙声にも聞こえるターナの言葉の後、しばらく沈黙が訪れる。
そしてヒーニアスの溜息が聞こえたかと思うと、すぐに言葉が続いた。


「好きにしろ。ただし戦うからには、途中で投げ出すんじゃない。フレリア王女としての誇りと責務を決して忘れるな」

「お兄様……!」


ぱぁっと花のように顔を明るくさせたターナは、ありがとうお兄様! と元気よく礼を言うと、別の方向へ走り去って行った。
きっと兄から許可が下りた事をエイリークへ報告に行くのだろう。
エルゥとしてはヒーニアスの妹を心配する気持ちも痛いほど分かるので、きっとターナの同行を許すのは断腸の思いでもあっただろうと推察できる。
何だかんだ言っても、妹が心配なだけ……。


「盗み聞きとは感心しないな、竜人」

「!」


突然、少々低めに響くような言葉が飛んで来た。
どうやら気付かれていたよう。こうなれば出て行って謝罪せざるを得ない。
エルゥは素直に近寄ると謝罪したが、すぐに一言付け加える。


「以前に名乗ったかと存じます、ヒーニアス王子。私は……」

「エルゥだろう。……そう言えば今日の礼を言っていなかったか。君のお陰で命が助かった、ありがとう」

「…………」

「何だその顔は。まさか君も、ジスト達のように減らず口を叩くのではないだろうな」

「……いいえ。そういえば彼らはどうなさったんですか?」


まさかこんな素直に礼を言われると思っていなかったエルゥ。
減らず口を叩くのはイメージ的にヒーニアスの方ではないのか、と思ったが、辛うじて口に出さず別の話題に切り替える事に成功した。
ジスト達は籠城戦の最中に一旦解雇されたと言っていたが、ヒーニアスの話によると事が終わった後に改めて再契約を申し出たらしい。
“減らず口を叩かれた”のはきっとその時だろう。
恐らくジスト達にも殊勝な態度を見せ、からかい半分な対応をされたと思われる。
その情景が目に浮かんで来るので少々苦労しつつ顔が綻ぶのを耐えていると、ふと、ヒーニアスが疑問を投げかけて来た。


「エルゥ。こんな時でなければ訊ねる暇も無いだろうから訊いておく。君はフレリアで私に自己紹介した時、馬鹿正直にグラドで仲間入りしたと言ったな。なぜ隠さなかった? グラドと交戦中の王族の前でそんな事を言えば、疑いの目を向けられる事など分かり切っていただろうに」

「ええ。ですが隠していて後から発覚すれば、そちらの方が悪印象でしょう。後ろめたい事など何も無いからこそ、初めからお伝えしたのです」


迷い無く毅然と告げるエルゥを、ヒーニアスはじっと見つめる。
信用に値するかどうか考えているだけだとは思うが、心根に優しさを隠しているとはいっても厳しい部分が確かにあるので、次に何を言われるかと身構えてしまう。
やがてヒーニアスは一つ息を吐き、数歩進んで立ち去る素振りを見せた。
そしてそこで立ち止まり、エルゥの方を見もしないまま。


「一応、君の事は信用しておこう。君が間に合わなければ今日、私は死んでいた筈だからな。ただし……もし我々を油断させて後から寝首を掻こうと言うのであれば、容赦はしない」

「承知しております。 あ……僭越ながら一つだけ」

「何だ」

「ターナ王女への態度、もう少し柔らかくした方が宜しいかと。王女もあなたの心はご存知でしょうけれど、傷付かない訳ではないのですから」

「……余計なお世話だ」

「すみません。私にも妹が居るものですから、つい」


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