聖魔の娘
▽ 5


「簡単にはいかねぇぜ。何か策があるのか」

「教えられんな。いつ私を売るか知れたものではない。さあ、どこへなりと消えろ。私は一人で行く」


ここまで聞き、ジストはヒーニアスが自分達を逃がそうとしている事に気付く。
テティスに目配せすると彼女も気付いたようで、ムッとした表情から一変して笑顔をこぼし、その様子に今度はヒーニアスが眉を顰めたが何も言わなかった。


「死ぬのは自分一人でいいってか。やれやれ、俺は昔っからそういうのに弱くてな……」

「死ぬつもりなど無い。私はフレリア王子、君達庶民とは違う。高貴なる身分の者は、それに相応しい責務を負わねばならぬのだ。奴らの狙いは私一人、武器を捨てて投降すれば殺される事はあるまい。……何をしている、早く行け」

「そんな事を言われたら尚更、見捨てて逃げる訳にはいかねぇよ。最後まで付き合わせてもらうぜ」

「な、何を言っている! 雇い主の命令が聞けぬというのか!」

「あら、私達もう解雇されたんでしょ。逃げろなんて命令は聞かないわよ」


クスクス笑いながら言うテティスに、さすがのヒーニアスも面食らう。
傭兵とは、利にならない戦いなどしない者達。
戦いが生業、つまり生きるための仕事でしかないのだから、逃げ道があるのに拒否する謂れは無いはずだ。
俺達は傭兵失格だな、などと笑うジストが信じられなかったが、彼らの覚悟が固い事を確認すると、ヒーニアスはそれ以上何も言わなかった。

死ぬにしても、ただで死ぬつもりなど一切無い。
そろそろ敵が仕掛けて来るはずなので、またヒーニアスが入り口へ陣取り、ジストがその前を守る。
ふとテティスが砦から下方を確認し、北の山道を登って来る一団を発見した。


「……ねえ王子様。万が一助けが来るとしたら、どっちから来るのかしら」

「北だ。だがその望みはまず無いだろう。フレリアの援軍がどんなに急いでも、明後日までは来るまい」

「良い知らせか、悪い知らせか分からないんだけどね……。北の山道から集団が来てるの。旅人にしちゃ人数が多い気がするわ」

「敵さんが来やがったぞ、さすがに多いぜ!」


テティスの言葉を遮って無理に明るく弾ませたようなジストの声に、ヒーニアス達も覚悟する。
今は確かではない援軍の希望に縋るより、目の前の現実と戦う方が大事だ。
先程テティスが言った通り、残った兵を投入したのか大掛かりに来た。
相手はこの攻撃で決着をつけるつもりなのだろう。
残り少ない武器では倒しきれそうにない数だ。


「(ただで死にはせん。命乞いも初めからするつもりは無い。……責務を果たせぬ事だけが心残りだな)」


ヒーニアスの思う“責務”には、今回のジャハナへの使いだけではない、様々な事柄が含まれている。
命を懸ける覚悟など、フレリア王子である事を自覚した幼い頃から持っている。
死ぬ事自体に関しては特に思う事は無い。
子として、兄として、主君として、友として。
全てを残して行く、それだけが彼の胸を苛んでいた。


++++++


「ヒーニアス王子!」


目指す砦が見え、エイリークは知らず届くはずの無い言葉を相手へ送っていた。
カルチノ側の傭兵と思しき部隊に包囲された砦へは、今居る場所から更に登らねば辿り着けない。
見張り易い場所に建造された砦は下からでもずっと見えているものの、辿り着くにはまだ時間が掛かる。
しかも砦の周囲だけではなく、下方、エイリーク達からさほど遠くない場所にも傭兵が配備されており、いちいち戦っていては間に合わないのに、このままでは戦いは避けられない。
砦から戦闘の気配があるという事はまだヒーニアスは無事という事だが、猶予も残されていなさそうだ。
それを知ったターナが、逸ってヴァネッサに諫められていた。


「もう待てない、私だけでもお兄様の所へ行くわ!」

「お待ち下さいターナ様、砦の近くにはシューターが備えられているようです。不用意に近付けば撃ち落とされかねません!」

「でも早くしないとお兄様が……!」


今にも飛び出して行きそうなターナを止め、エイリークはエルゥを見て頷く。
切羽詰まった事態にならないのが一番だったが、こうなっては仕方がない。


「お願いしますエルゥ、ヒーニアス王子を……!」

「分かった。エイリーク達も決して油断しないで、気を付けて来てね」


エイリークとエルゥしか意味が分からないやり取りに、周りの仲間達が揃って疑問符を浮かべる。
エルゥが肌身離さず所持していた竜石を掲げると、その体がみるみる変化し巨大な生物が現れた。

古の時代、人に味方し、共に魔を打ち倒した竜。
黒に染まったその体躯はそこに存在するだけで威圧感を生み出し、見ている者達を無意識に竦ませた。
エルゥは羽ばたいて巨体を浮き上がらせると、咆哮を上げて砦へ一直線に向かう。

一方砦では突然山々を揺るがした咆哮に、誰もが戦いの手を止め辺りを見回していた。
すぐにカルチノ兵達から悲鳴が上がったかと思うと、体が押し潰されるような風圧と共に巨大な竜が突っ込んで来て、運の悪い者達が次々と潰される。
砦の背後からだった為、ヒーニアス達は竜が実際に突っ込んで来るまで何が起きたのか分からなかった。
長い階段の下、うんざりするほど居た傭兵達が悲鳴を上げながら逃げ惑い、そこへ竜が口から猛烈なブレスを吐き出して、砦を囲む敵を一掃し始める。


「おいおい何だ、一体何が起きてるってんだ!?」

「……まさか、竜。ひょっとするとあの時の……」


ヒーニアスの頭をよぎるのは、フレリアでエフラムに紹介された竜人の姉妹。
しかしあの時は人間と変わらぬ姿しか見なかったために確信が持てない。
やがて周りを囲んでいた兵達が誰一人として動かなくなった頃、ヒーニアス達は用心しながら砦を降りる。
巨大な竜はそれを確認すると小さくなり、人間と変わらない形になった。
禍々しいとさえ言える、鬼神という表現がぴったり当てはまる先程の姿から一変、今度は美しい女性の姿。
その余りの差異に、ヒーニアスは思わず息を飲んだ。
彼女はヒーニアス達の方へ駆け寄って来る。


「ヒーニアス王子、ご無事で良かった……!」

「君は確か、エフラムが連れて来た竜人か」

「はい、エルゥです。エイリーク達もすぐ近くまで来ています。早くお助けするため、私が一人先行致しました」

「エイリークが? ロストンへ向かったはずの彼女達が何故、こちらへ来た」


ヒーニアスを助けるために決まっているが、彼は納得しなさそうだ。
海路が断たれたので、それだけではないのだが。
ひとまず事情の説明は後。
エイリーク達と合流するため、エルゥの案内でヒーニアス達は山道を下った。




−続く−


*back ×


戻る


- ナノ -