聖魔の娘
▽ 4


エイリークの悲痛な声が響く中、町の向こうから一騎のペガサスナイトが慌てた様子でやって来た。
エイリークは乗っている女性に見覚えがある。
確かヒーニアスに同行していた伝令兵だ。
伝令兵はペガサスから降りて膝を折ると、息つく間もなく発言する。


「緊急時ゆえ、ご無礼をお許し下さい! ヒーニアス様が、ヒーニアス様がカルチノの奇襲を受けました! もう兵の半数を失い、立て籠った砦も包囲され逃げる事すら叶いません……!」

「なんですって……!?」

「このままではヒーニアス様が……。どうかお願い致します、ティラザ高原に居る王子をお助け下さい!」

「分かりました。あなたはフレリア本国へ報告をお願いします。疲れている所をすみませんが、すぐに王都へ向かって下さい!」


承知致しました、と伝令兵がペガサスに跨がり、西の空へ飛び去って行く。
エフラム、エイリーク、ヒーニアスの誰もが倒れてはならない旅路で、一人が絶体絶命の危機にある。
海路を諦め、カルチノを南下してヒーニアスを助けに行く事に異を唱える者は誰一人として居なかった。
誰もが緊迫した様子を見せる中で、やはりフレリアの家臣達は動揺を隠せない。
いつも冷静なアーマーナイトのギリアム、僧侶のモルダ、ペガサスナイトのヴァネッサ、そしてヒーニアスの妹ターナは、黙ったままだが顔色が悪いようだ。


「ターナ、しっかり。ヒーニアス王子はきっと助けてみせるから」

「エルゥ……私どうしたらいいの? あのお兄様に何かあるなんて思いたくないけど、もし……。ああ、お兄様……!」


悲痛な様子は、見ているこちらが辛くなってしまう。
これはぎりぎりの事態も考え、本格的に覚悟を決めなければならなくなった。
竜に化身する覚悟を。

化身しても3、4m程度の大きさしかないミルラと違い、エルゥはそれなりの大きさがある。
故に今から化身して飛んで行くと目立ちすぎるため無理だが、ヒーニアスが立て籠っている砦に近付いた時は……やるしかない。
エルゥはエイリークの傍に寄り、そっと話しかける。


「エイリーク、一つ提案があるんだけど」

「何です? エルゥ」

「ヒーニアス王子を一刻も早く助けないと駄目よね。そこでティラザ高原の砦に近付いたら、私が竜に化身して一気に砦まで突っ込もうと思ってるんだけど」

「え、それは危険ではないですか……!?」

「大丈夫、竜に化身したらそれなりの大きさがあるし、並の兵には負ける要素なんて無いよ。まあ今から飛んで行くのは目立ち過ぎるから無理だけど、砦に近付いたら私を見た敵は纏めて倒しちゃえばいいわ」

「……確かに、今は一分一秒さえ惜しい状況です。ティラザ高原に着いたらエルゥに任せて宜しいですか? 出来るだけすぐに追い付きますから」

「任されました。さ、急ぎましょう。ここからティラザ高原へは2、3日かかるし、伝令兵の様子からしてヒーニアス王子達もあんまり長く持たないはず……」


海岸線から離れるにつれ、山々が高く険しくなる。
登り道ばかりになるが休んでいる時間すら惜しい今は、出来る限り急いでティラザ高原を目指し駆けた。
天気は晴れ、しかし風は冷たく秋の到来を告げる。

ふとエルゥは、カルチノでも特に高い山にあるポカラの里を思い出した。
きっと今は越冬の準備に勤しんでいるだろう、こんな時期に迷惑をかけてしまった事が申し訳ない。
ヒーニアスを助け出せたら、エイリークに断って挨拶に行こうかと考えるエルゥだった。


++++++


商人が治めているため賊の被害も多く、守備に力を入れているカルチノは、どんな砦も各国の平均を上回る頑強さで建造している。
ここティラザ高原の砦も例に漏れず、高所に設置され辺りを見張るのに最適な立地、砦に入る時すら長い階段を登らねばならない設計、頑強な素材と、籠城戦には持ってこいの条件だ。
ただし、それは充分な物資と兵力があっての話。
大して多くもない兵しか引き連れていなかったヒーニアス隊は、大きな被害を出し追い詰められている。


「ヒーニアス王子、どうだ。まだやれそうか?」


待機している敵の様子を窺っていたヒーニアスに話し掛けたのは、顔に大きな傷を持つ屈強な男。
彼はその筋では名の知れた傭兵隊を率いるジスト。
ヒーニアスがジャハナへ向かうに当たり雇った者だ。

そして彼の傍らには、戦場に不釣り合いな踊り子の格好をした、妖艶な美女。
名をテティスといい、彼女もジスト傭兵隊の一員だ。
彼女の躍りには不思議な力があり、傍で踊って貰うと不思議に体が軽くなる。
戦いに疲れた兵の癒しにもなり、今や傭兵隊に無くてはならない存在である。
ヒーニアスは特に表情を変えず、ジスト達を見もせず毅然とした態度で答えた。


「当然だ。これしきの戦いで音を上げるものか。傭兵、君の方こそよく逃げ出さずにいたものだな」

「雇い主より先にへばったら仲間に示しがつかないだろ。……で、これからどうする?」


今は攻撃を中断しているが、敵に囲まれている現状は全く変わらない。
うかつに出て行けばあっと言う間に包囲され、為す術なく負けるだろう。
この砦の出入り口は階段を登った先に一つあるのみで、そこからヒーニアスが矢を射って敵を落とし、それでも落とし切れず登って来た敵は、ヒーニアスの前に立ち塞がるジストが薙ぎ倒す戦法を取っていた。
他に雇い入れた者達は多数が負傷し、死に、少数は逃げ出し、残りは三人。
伝令が間に合えばいいが、フレリアまでは天馬の翼でも数日はかかる。


「援軍の期待はするなって事か。それとも、ここらで諦めて楽になるか?」

「諦めるだと? 馬鹿な。私はフレリアの王子だ。そのような弱者の言葉は知らぬ。私は世界の命運を背負ってここまで来たのだ!」


例え這ってでもジャハナへ辿り着いてみせると言い放つヒーニアスに、ジストは嬉しそうに頷く。
雇い主がこの意気なら、まだ生きていられそうだ。
雇い主の質に運命を決められるなど、傭兵にはよくある事。
もう一頑張りするか、と息を吐いたジストに、テティスが言い難そうに割り込んだ。


「ねえ隊長、王子様。悪い知らせと……もっと悪い知らせがあるんだけど」

「……そうか、悪い方から聞かせてくれ」

「もう予備の武器が無くなったわ。隊長達が持ってるので最後」

「そいつは弱ったな……で、もっと悪い方は?」

「あいつら動き出したわ、また攻撃を仕掛けて来る。今度は今までのと違って大掛かりな感じみたいよ」


勝とうが負けようが、何が起きてもこの砦での戦いはこれが最後になるだろう。
年貢の納め時かね、と苦笑しながら言うジストに、ヒーニアスは何でもない調子で言葉を紡いだ。


「ジスト、テティス。君達をここで解雇する。投降なり逃げるなり好きにしろ」

「なに?」

「これからの戦い、君達では足手纏いだ。所詮は薄汚い傭兵、いつ私を裏切るか分からんからな」


突然の暴言に、それは無いでしょと突っ掛かるテティスをジストが押し留める。
自分はどうする気なんだと訊ねると、南から自力で脱出し山中に身を潜めるとだけしか言わない。
成功する訳がない。
ここから単騎で逃げ果せる訳がないのは、彼自身も分かっている事だろうに。


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