聖魔の娘
▽ 3


若い男の溜め息混じりの抗議はあっさり無視された。
ごきげんよう、とエイリークに軽く挨拶し、通り過ぎてこちらへ向かって来る。
そのまま自分の傍を通り過ぎるかと思ったエルゥは、ラーチェルが急に手綱を引いて目の前で馬を止めたので面食らった。
彼女はじっとエルゥを見つめ、向こうのエイリークや隣のターナ、ラーチェルお付きの二人が何事かと見て来るのも意に介さない。

そして、一瞬。
ラーチェルが先程までの天真爛漫な様子を引っ込め、汚らわしい物でも見たかのような苦い表情をしたので、思わず息を飲む。
だがエルゥにしか見えなかったらしいその表情はすぐ戻り、様子も戻った。


「初対面の方に失礼を致しましたわ、何となく尋常ではない雰囲気があったので……。どうか気を悪くなさらないで下さいませね」

「あ、いえ。大丈夫です」


では出発ですわー! と明るく叫んだラーチェルは、お供を引き連れ去って行く。
……感覚の鋭い者だと、竜人が人の姿をしていても気付いてしまったりする。
ひょっとしてラーチェルも、エルゥが人間ではないと感じ取ったのだろうか。
竜は人でも魔でもない。見る者によっては魔物にしか見えないだろう。
あの少女も、竜を魔物だと思うタチなのだろうか。

……そうでなければ、もしかすると彼女は……。


陸路で行くか海路の再開を待つか、どちらにすべきか話し合うエイリーク達。
エルゥが竜に化身して運べるだけ運んでしまえばいいかもしれないが、グラドには竜騎士が沢山いる。
万が一戦いになってしまえば危険が増すだろう。
さすがに全員を運ぶのはどう頑張っても無理だ。
それに先程のラーチェルの件があった後で、すぐ竜になるのも躊躇われた。

こうして悩んでいる時間も惜しい現状、やはり陸路しか……と考えた矢先、人相の悪い男が近付いて来る。
周りの人々は不味そうな雰囲気を感じ取り、空間を開けて遠巻きになっている。
ゼトがエイリークを庇うように立ち塞がるのと同時に、近付いた男が口を開く。


「ルネス王女エイリークだな? 悪く思わねえでくれよ、あんたの首を取れば良い金になるんでな」


男が斧を取り出し、周りの人々が悲鳴を上げつつこの場から逃げて行く。
事情を察した仲間達がすぐに武器を構えた頃には、武器を持った傭兵と思しき集団が襲い掛かって来た。
華やかな港町があっと言う間に血生臭い戦場へと変貌を遂げる。

エイリークの命を狙う傭兵団を、騒ぎに乗じて漁夫の利を狙う海賊を倒しながら先へ進むと、こんな戦場に不釣り合いな少女。
明るい金髪にあどけなさの残る彼女は、鎧を着て槍を携えているところからグラド兵と思われる。
他にも数名のグラド兵が待機しているが、あの少女だけが場違いに浮いている。
ひょっとして無理やり戦わされているのかもしれないと思ったエルゥは、グラド兵を倒しながら近付いてみた。


「ねえ、あなた!」

「え、えっ?」

「ひょっとして港町の子?奴らの狙いは私達だから隠れていれば安全よ。ここは私達に任せて、あなたは早く逃げて!」

「……あ、あたし、は……グラドの兵士よ! ルネス王女の襲撃作戦に加わってるんだから……!」


思いもよらない言葉に少し戸惑ったエルゥ。
そう言えと言われているのかもしれないが、グラドの兵士、という部分は誇りを滲ませるように毅然と言い放った。
本当にグラド兵士なのかもしれない、が、まだ槍の持ち方も不器用で、明らかに新兵といった体だ。
こんな事ではいけないが、何となく倒すのを躊躇ったエルゥは尚も話し掛ける。


「そっか、グラド兵。まだ新人でしょ、未来の将軍かもしれないのに、こんな所で散っちゃ惜しいよ」

「えっ……!? な、なれるかな、あたしなんかが」

「なんか、なんて言ってちゃ駄目。いつかまたルネスとグラドが友好を結べた時に、同盟国の使者として会いましょう。その方がずっと良いわ。じゃ、またね」

「……聞いてたのと違う。あの、待って下さい!」


呼び止められ、間合いは取りつつ立ち止まる。
彼女の瞳は揺らいでいて、迷っているであろう事は容易に想像できた。
彼女の名はアメリア、予想通りに新兵らしい。
エイリーク率いる一団は血も涙も無い残忍な悪魔だと聞かされていたのに、予想と違って戸惑ったそう。

エルゥとアメリアが話しているのに気が付いたエイリークがやって来る。
一応グラド兵の前に出すのは危険なので、エルゥがさりげに魔力を含蓄し、隠しながらいつでも放てるように構えた。


「エルゥ、どうなさいました……その子は?」

「あ、あなたがエイリーク王女ですね!? あたしアメリアっていいます。グラドの、兵士で……」

「グラドの……。なのに私と話して下さるのですか? それならば早く逃げて下さい。あなたのような方が命を落とせば、益々グラドとの溝が深まります」

「あたし、降伏します。あなた達とは戦いません」

「え……?」


聞けばアメリア、グラド帝国で皇帝の右腕とも言うべきデュッセル将軍に憧れて軍に志願したそうだ。
デュッセル将軍はかつてエイリーク達がグラドへ留学していた時に交流があり、特にエフラムの槍術は彼から指南を受けたもの。
デュッセル将軍は今回の戦争に強く反対しており、皇帝に戦をやめるよう諫言しているという噂が流れているそうだ。


「あたしそれを聞いて、何が正しいのか分からなくなって……。敵のはずのあなた達も、そんな悲しい顔をしているし……。私はただの新兵ですけど、何が正しいのか自分の目で確かめたいんです! 捕虜扱いで構いません、どうか連れて行って下さい!」

「あなたの心は分かりました。しかし私達と共に行くなら捕虜ではなく、仲間として戦って貰います。もしかしたら、グラドから裏切り者扱いされるかもしれませんよ。その覚悟はありますか?」


エイリークの質問に言葉を詰まらせたアメリアだが、ややあって頷いた。
裏切る訳ではない、グラドの未来を見据えて真実を見極めに行くのだと、ひたすら自分に言い聞かせて。
エルゥも、この少女が間者だとは思えないので特に異議は唱えなかった。
ゼトから少し何か言われる可能性もあるが、その時にまた考えればいい。

やがて敵を倒してしまい、生き残った一人をゼトが追い詰めて尋問を始めた。
傭兵はもはや戦う意思など無く、ゼトに言われるまま質問に答えている。


「何故エイリーク様を襲った。何が狙いだ」

「た、助けてくれ! もう戦うつもりはねえ、俺達はただ雇われただけだ!」

「お前達を雇ったのは?」

「カ、カルチノ、カルチノ共和国長老の一人、パブロに頼まれたんだ!」

「……確かか」

「間違い無い!」


フレリアと同盟を結んでいたはずのカルチノが裏切った、それは確かな動揺となりエイリーク達を覆う。
傭兵の話では、反対した他の長老達を金にものを言わせた力ずくで黙らせ、今回の事を強行したらしい。
もう知っている事も無くなった傭兵を逃がした後も、一行を重苦しい空気が包む。
そんな中、一番に口を開くのはゼトだ。


「……迂闊でした。カルチノは歴史も浅く、各国との繋がりも薄い。利のある方に付くのは当然の事。予測しておくべき事態でした」

「ではヒーニアス王子は! 彼は少数の兵で敵の中へ飛び込んだ事に……!」


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