聖魔の娘
▽ 1


フレリアに帰還する為、大陸を北上する一行。
今日は国境の町セレフィユで一泊する事になり、連戦を戦い抜いた戦士達は束の間の休息を取っていた。
エルゥは宿から外へ出て、ぼんやりと空を見上げる。
エイリーク王女がレンバール城へ来る道すがらで解放したこの町は、まだグラド兵による占領の爪痕があるのか人通りは少ない。
何気なく大通りの方へ歩いていると、向こうから人影。
エイリークだった。


「エイリーク様、お一人でどうなさったんです?」

「あ、エルゥ。いえ、兄も一緒でしたよ。……グラドの皇子リオンとは昔からの友人で、少し思い出していたんです」


とても優しく、そして気弱でもあったリオンが今どうしているのか、心配で堪らないのだという。
エフラムやエイリークの国ルネスとはずっと友好関係にあったグラドの侵略に、リオン自身が心を痛めているのではないかと。
もしグラドの皇帝ヴィガルドに異を唱え、投獄されたり、まして殺されかけていたらと考えると、すぐにでも助けに行きたくなる。
ヴィガルドは名君と名高い人だが、既に友好国侵攻という暴挙に出ている。
エイリークとしても信じたくはないが、悪い想像は止めどなく溢れて来た。


「もう起きてしまった事、何を嘆いても前に進むしかないのは分かっています。それでも時々、考えてしまうんです。もし侵略など起きていなくて、父も生きていて、リオンが心配ならすぐ会いに行けて……そんな事を」

「私だってありますよ、どうしようもない事を、もし違ったら、もっと別の方法があったらって」

「エルゥも……そう言えばエルゥは竜だそうですね。竜は長命だそうですが、やはり色々とあったのですか?」

「そうですね……ありましたよ、色々。さすがに数千年も生きていると」

「す、数千年……!?」


想像していたよりずっと長く生きていると知り、エイリークの顔が驚愕に染まる。
彼女はエルゥを初めて見た時、少女だと思った。
せいぜい自分と同じ年くらいだろうと思っていたのに、こうして近くで見ると自分より幾らか歳上に見える。
ぱっと見は少女、よく観察すると20歳ほどに見える……。
……というのは、ひょっとしたら少女の体に数千年生きた事実が浮かび上がり、そう見せるのかもしれない。


「エルゥ、まさに生き字引ではないですか。まさか800年前の魔物との戦いもその場に居たのでは……」

「はい、まあ」


困ったような笑顔を見せるエルゥの心中をエイリークは分からなかったが、あまり触れない方が良い話題だとは感じ取った。

先程までの少女が急に大人びて見え、エイリークはエルゥが姉であるような気持ちになって来た。
ひょっとしたら英雄達と共に戦ったかもしれない。
兄エフラムが頼りにしていたのでその通りの人物だとは思っていたが、急激に頼もしく見えてしまう。


「あの、エイリーク様?」

「エイリークで結構です。敬語も必要ありません」

「えっ?」

「……あ」


思わず口を突いて出た。
凄まじく歳上、更に古の大戦を生き抜き、しかも姉のようなと考えてしまってから、どうも彼女に様付けをされ敬語を使われる事に違和感が出てしょうがない。
急に変な事を言ってしまい焦るエイリークだが、出た言葉は引っ込められない。
もう開き直るしかないと悟ったエイリークは、続いて同じ事を主張する。


「その、エルゥは私より遥かに歳上でしょう」

「身分は遥かに下ですよ」

「竜に人の身分が通用するのですか? ただ王女だという私より、古の大戦を生き抜いた方が素晴らしいです」

「ああ……そう言えば各国の王族は魔王を封じた英雄の子孫なんだっけ。それに関われば仕方ないか」


どうやら、エイリークが物語の英雄を憧れるような気持ちでエルゥを見ていると思っているようだ。
ややこしくなるし、半分はそんな気持ちもあるのでエイリークは否定しない。


「やはりあの大戦に関わっているのですね。それなら益々、敬わない訳にはいきませんから」


微笑んで言うエイリークに、そんな敬う事も無いんだけどなあ……と照れ臭そうな顔のエルゥ。
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな態度で少し黙っていたが、ややあってエイリークに笑顔を向ける。


「え、と。……これでいいのかな、エイリーク」

「はい」

「何だ、楽しそうだな」


突然声が掛かった事に驚いてそちらを見ると、エフラムが楽しそうに笑んで近付いて来るところだった。
彼はそのまま二人の前まで歩いて来ると、少しからかうような口調で。


「エイリークだけなんて不公平じゃないか、俺の事も呼び捨てと敬語無しで頼みたいんだが」

「エフラム様、からかわないで下さい……」

「そうですよ兄上、エルゥが困っています」

「お前だって今エルゥを困らせてただろ?」

「う……」


機嫌の良さそうなエフラムとは裏腹に、恥ずかしげな表情で俯くエイリーク。
彼女の事も呼んだのだし、ここはエフラムもその通りにした方が良さそうだ。


「……エフラム、ね」

「ああ」


今だけ呼んで後で元に戻せば良いと思ったが、今の言葉に満足げなエフラムを見ては撤回など出来なくなってしまう。
結局エルゥは、エフラムとエイリークに対し普通に呼び掛けるはめになってしまったのだった。


+++++++


セレフィユを出て更に数日、フレリアへ辿り着いた。
闇の樹海を出てから殆ど、グラド領内の戦争で疲弊した村や町、帰路の侵略の爪痕が消えていない場所しか見て来なかったエルゥとミルラは、その華やかな都に目を奪われる。
グラドでの戦闘の日々が嘘のような賑わい、通りは楽しげな人々で溢れ、戦争をしていても流通がしっかり整備されているらしく商店には様々な品物が販売されていた。
その明るい雰囲気に頬を上気させたミルラが呆然と辺りを見ているのに気付き、微笑んだエルゥは彼女の手を取った。


「あ、……姉様。ごめんなさい、見とれていました」

「無理もないわ、私だって圧倒されてるもの。なかなかこんな場所に来られないからね。はぐれたりしないようにだけ気を付けましょう」


仲間に付いて行きながらミルラと辺りを見回し、美しい都を目に焼き付ける。
こんな素晴らしい都ならばきっと、治めている王族も素晴らしい人々に違いない。
しかしさすがに、城が近付いて来ると不安になった。
果たして自分とミルラが入って良いものかと。


「ね、ねぇエフラム。私とミルラまで一緒でいいの?」

「当然だ、ここまで一緒に戦って来た仲間じゃないか。国王のヘイデン様も狭量な方じゃない。娘の事以外に関してはな」


ニコリと笑ったエフラムの言葉に、娘を溺愛する父のイメージが湧き出て来る。
微笑ましくなったエルゥが緊張を解いた所で城門が開かれ、深い藍色の髪をポニーテールに結った愛らしい少女が駆けて来た。
あの子はフレリア王女のターナといって、私達とは昔からの友人です、と傍らのエイリークに教えられ、その間に少女……ターナがここまで辿り着いた。


「エイリーク、エフラム、お帰りなさい! 夢みたい、二人が一緒に帰って来てくれるなんて……」


わたし毎日お祈りしてたのよ、と感極まった様子のターナに微笑み掛ける二人。
無理もない。一度はルネス王宮を脱出してフレリアまで逃れて来たエイリークは再び戦禍へ身を投じ、エフラムは侵略国グラドで行方知れずだったのだから、友人としては気が気でなかっただろう。
心配を掛けた事を謝罪する二人に、ターナは泣きそうな笑顔で首を振る。


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