聖魔の娘
▽ 2


偵察に出たフォルデはすぐに戻って来た。
ただし、最悪な知らせを持って。


「エフラム様、まずい事になりました。……囲まれてます。退路の確保に出た騎士達も、皆殺しにされていました」

「グラドの増援か? だが早すぎる……」

「とにかく、脱出しましょう皆さん! 入り込まれては退路が完全に塞がれてしまいます!」


エルゥの声にエフラム達は頷き、すぐさま城から脱出した……が。
このレンバール城は湖に囲まれた要塞。
橋を越えたはいいものの、圧倒的な数で周囲を囲まれ退路は絶たれていた。
悔しそうに歯軋りするエフラムに、エルゥは早く教えれば良かったかと後悔するが、遅い。
だがそう考えていたのも束の間、エルゥは西の空から何かが来るのを感じる。


「エフラム様、西の空から何かが来ます!」

「な……あれは、竜騎士か!」


複数の竜騎士を引き連れ、大きな邪竜……ワイバーンに乗った男が前に進み出る。
顔立ちは悪くないが、纏う雰囲気が余りに不気味で嫌悪が湧き出てしまう。
そんな雰囲気に違わぬ神経を逆撫でするような声で、ワイバーンの男は口を開いた。


「ほう、その数でレンバール城を落としてみせたか。噂通りの腕だな、褒めてやるぞ」


男は帝国将軍のヴァルターと名乗る。
そんな大物まで出現するとは、いよいよ腹を括らなければならなさそうだ。


「全く貴様の追討には随分と苦労させられたぞ。貴様の祖国ルネスはとうに滅んだと言うのに……。だがそれもここまでだ」

「くっ、王都が落ちたと言うのか……。だがなぜ俺がここを攻めると分かった?」

「くくっ……じきに分かるさ。さて、大人しく武器を捨ててもらおうか」

「エフラム様、応戦を!」


いつもは冷静にフォルデを窘める側のカイルが、珍しく激昂していた。
だがエフラムはそれには答えず、じっとヴァルターを睨んだまま何かを考えているようだ。
戦に長けた彼なら、この状況がいかに絶望的か理解している筈だ。
だがエルゥの目には彼が諦めているようには微塵も見えなかった。
きっと今も降伏など欠片も思わず、切り抜ける術を考えているに違いない。

気持ちが良い、エルゥは素直にそう思った。
この状況でも果敢に立ち向かおうとするエフラムなら、きっと運命を作り上げてくれると、立ち向かってくれると信じる。
エルゥは、エフラム・フォルデ・カイルだけに聞こえるよう、声を潜めて話し掛けた。


「皆さん、私の闇魔法を使えば、この状況を切り抜けられると思います」

「なんだって……?」

「私の闇魔法で暗闇を作り出して、敵の目眩ましをするんです。なんとか、魔力を溜める時間稼ぎが出来れば……」


考えている時間は無い。
今すぐ決断しなければ、絶好の機会を逃すだろう。
エフラムもフォルデもカイルも策が無い今、エルゥの提案に乗るしか現状から逃れる道は無い。


「……分かった。エルゥ、お前を信じよう。2人もそれでいいな」

「はっ。エフラム様の決定に従います」

「と言うか、他に方法ないですもんね。じゃ、エルゥに任せますか」


エルゥはその返事を聞き、すぐさま密かに魔力を含蓄させて行く。
ヴァルターには気付かれずに済んだのだろう、奴は勝ち誇った笑みを崩さぬまま余裕綽々だ。


「現実を受け入れ、大人しくこの私に降伏しろ」

「降伏だと?」

「そうだ。そうすれば命だけは助けてやるぞ。お前の生死は私の手の中にある。私の機嫌を損ねるなよ?」


聞きながら、エルゥは吐き気がしそうだった。
こんなタイプの男は心の底から大嫌いで、今すぐに何か言ってやりたい。
だが口を開きかけた瞬間にエフラムが、凛と響く声できっぱり言い放った。


「断る。ヴァルターとか言ったな、悪いが俺は今、お前と遊んでる暇は無いんだ。取り敢えずお前達を蹴散らし、この地から脱出させてもらう」

「なに……? 貴様、気でも触れたか。ここから我ら蛇竜騎士団を突破して逃げ果せると本気で考えているのか?」


ヴァルターの顔から笑みが消えている。
それで気付いたが、奴は笑んでいても目だけは決して笑っていなかったようだ。
今ならもう少し時間稼ぎが出来ると、エルゥはエフラムに続いて喋る。
少しでも奴を挑発して会話を続け、魔力を溜める時間稼ぎをしなければ。
それが無くともこんな男には何か言ってやらないと気が済まない。


「私達はこの場を切り抜け脱出する。決してお前達に降伏などしない!」

「ほう。女、なかなか威勢が良いものだな。今なら許してやらん事も無いが。そこに跪き、命乞いしろ。羊のように哀れっぽい声で鳴いてみせろ」

「黙れ! 全てが貴様の思い通りになると思ったら大間違いだ。貴様のような男は同じ空気を吸っていると思うだけで虫酸が走る。屈服など絶対にするものか!」


エルゥの啖呵の後、暫しの沈黙が訪れた。
この重い間も、時間稼ぎをしたいエルゥ達にとっては非常に有り難い。
突然、ヴァルターが声を上げて笑い出す。
急な事にエフラム達は驚くが、いつでも走り出せるように準備は怠らない。
やがて一頻り笑い終えたヴァルターは、先程のような歪んだ笑みを浮かべて周りの竜騎士に命令した。


「あの女は殺すな、ああ言った生意気な女を屈服させ、従える事ほど楽しい事は無い」

「エルゥはお前の言いなりになどならないぞ」


エフラムが割り込み、槍を構えた。
立ち向かうと見せかけ不意を突く為の行動。
カイルとフォルデもすぐに理解し、同様にする。


「カイル、フォルデ。覚悟はいいか?」

「騎士叙勲を賜った時より、この命は祖国に捧げる覚悟です」

「これだから、エフラム様のお付きはやめられませんよ」


再び、ヴァルターの顔から歪んだ笑みが消える。
奴が槍を構えた所を見るに、これ以上の時間稼ぎは不可能のようだ。
だがその時既に魔力含蓄は終了していた。
時間が掛かってしまいハラハラしたが、終わったからにはこっちの物だ。
エルゥはヴァルターが向かって来る瞬間、注意が獲物に向く時を待ち、魔力を解放した。


「救いようの無い馬鹿揃いだな……。絶望的な力の差、思い知らせてやろう!」

「させないっ!!」


解放された魔力は闇の力を借りて暗黒の球体を幾つも作り上げる。
それが瞬時にヴァルター達や周りのグラド兵を包み、目眩ましは成功した。
すぐさま、エフラムはフォルデの馬、エルゥはカイルの馬に飛び乗り、その場を走り去る。
グズグズしている時間は無い、敵を包み込んだ闇が消える前に出来る限り遠くへ逃れなければ。
無我夢中で馬を走らせ、かなりの距離を逃げた所で森の中へ隠れた。
窮地は脱したが、状況は依然として危険だ。

エルゥが、これからどうするか、
いっそ竜の力を解放して戦おうかと悩んでいると、不意にエフラムが笑い出した。
フォルデも笑い、カイルは声は上げないものの、くつくつと静かに笑う。
訳が分からず疑問符を浮かべるエルゥに、エフラムは目尻に浮かんだ笑い涙を拭いつつ話した。


「エルゥ……! お前っ、よくあんな気持ちの良い啖呵を吐いたな。お陰でスッとしたぞ」

「え? えっと……」

「胸の空くような思いって、この事だったんですねー……。ああ、あのヴァルターとかいう奴の顔、見ました?」


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