聖魔の娘
▽ 2


戦わずとも、命のやり取りを行う戦場の中に居ては気を抜けない。
竜石も無い今、戦う術が無いのだから尚更だ。


「エルゥ、改めて今日は助かった。もう少し進軍が遅れていたら、デュッセルの救出に間に合わなかったかもしれない」

「どういたしまして。でも何だか悪いわ。ずっとあの姿で戦えたら、もっとエフラム達の力になれるのに……」

「大丈夫だ。俺達は皆で力を合わせて戦えるし、君も闇魔法で戦力となってくれているだろう」


竜の姿になれば強大な戦闘力となるが、同時にあの巨体は良い的にもなる。
ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしないものの、そもそも戦時中の敵国に居るのだから目立ち過ぎるのは良くない。
そして、それだけでなく。


「……怖かったでしょ」

「ん?」

「竜化した時の私の姿」

「……怖くなかったと言えば嘘になるな」


その気になれば、生きとし生けるもの全てをその下に平伏させる事が出来るのではないか。
そう思ってしまう程の恐怖と威圧感。
見ていると心臓が押し潰されそうで、彼女が使う闇魔法と同様、“禍々しい”とさえ感じてしまう。
本当に普段の彼女は穏やかな美しい女性だというのに、彼女の使う闇魔法や竜化との差異が激し過ぎる。
以前に滞在した事のあるグラドには多くの闇魔道士が居たが、あんな禍々しさを感じた事は無い。


「ミルラの竜姿も威圧感が無い訳じゃないけど、私とは違い過ぎる。彼女は単に強大な故の威圧感だけど、私のは禍々しさから来る威圧感だもの」

「もしかして竜化するのが好きじゃないのか?」

「ええ」


そうして恐れられる事に、逆に恐怖しているのだろうか。
エルゥは見る限り人間と仲良くしているし、魔物が人の世に出て行かないようずっと闇の樹海で戦い続けていた事からも、人間が好きなのかもしれない。
自分が好意を持つ相手から嫌われるのは辛い事だろう。


「俺は、慣れたい」

「え?」

「君の竜化した姿を、少しも恐れないようになりたい」

「エフラムったら無理しなくて良いわよ。信頼してない訳じゃない、って事は分かってるから」

「それでもだ!」


少しだけ声を荒げたエフラムにエルゥは面食らった。
エフラムは真剣な……少し睨み付けるようにも感じる視線でエルゥを見ており、その通りに強い口調で言葉を続ける。


「君は諦めているんだな、自分が人に恐れられるのは仕方が無いと」

「実際にそうだと思ってるもの」

「それなら俺は恐れない。今はまだ少し恐れてしまうが、必ず慣れる。竜化した君と真っ直ぐ目を合わせたり、躊躇いなく傍に寄ったり出来るようになる」

「……出来るかしら、いくらエフラムでも」

「出来る。必ず出来るようにする」


ただ、ひたすら。
エルゥはひたすら嬉しかった。
竜化するのが好きではない理由の一つが、恐れられてしまうから。
エルゥは人間が好きだ、が、自分の竜化した姿は、他の生き物にとって恐ろし過ぎる事は理解している。
それならば正体とも言える竜の姿を見せないしか方法は無い。

だがエフラムの今の言葉。
例え結果的に恐れなくなる事が出来なくとも、そう誓ってくれるだけで嬉しい。


「……ありがとう、エフラム」

「まあ、もしかしてあなた達、海へ出るおつもりですの?」


突然、背後から知らない女性の声がした。
振り返った二人の視線の先には3人の人物。
杖を手にした馬上の少女、恐らくトルバドールだろう。関係は無いがどことなく気品を漂わせている。
それにごわごわと髭をたくわえたやや老年の戦士と、軽薄そうな若い男。
少々呆気に取られながらエフラムが答える。


「あ、ああ、そうだが……」

「忠告して差し上げますわ、今はおやめなさいな。地元の者達も怖がって、誰も船を出そうとしませんのよ」


話を聞けば、海に魔物が出るという。
なんでも巨大な幽霊船が現れ、船を次々に沈めてしまうのだとか。


「ですが心配ご無用ですわ。このわたくしが、その幽霊船を成敗して差し上げます」

「げ……また始まったよ……」

「ガハハ! 粋ですぞラーチェル様!」


若い男が溜め息まじりに吐き出し、髭をたくわえた戦士は豪快に笑う。
何だか芸人でも見ている気分になったエルゥがクスリと笑うと、そこで馬上の少女……ラーチェルと呼ばれた彼女が真っ直ぐエルゥを見た。

そして、一瞬。
ラーチェルが先程までの天真爛漫な様子を引っ込め、汚らわしい物でも見たかのような苦い表情をしたので、思わず息を飲む。
だがエルゥしか気付かなかったらしいその表情はすぐ戻り、様子も戻った。


「失礼、何となく尋常ではない雰囲気があったので……。どうか気を悪くなさらないで下さいませね」

「あ、いえ。大丈夫です」

「とにかく、海の平和はこのラーチェルが守りますわ。どうぞ安心なさって下さいまし! では船を探しますわよ、ドズラ、レナック!」

「ガハハ! お待ちを!」

「だから行き当たりばったりで行き先を決めんなって……ああもう、やってらんねー……」


片や何とも楽しそうな、片や何とも疲れていそうなお供を引き連れ、ラーチェルは去って行く。

……感覚の鋭い者だと、竜人が人の姿をしていても気付いてしまったりする。
ひょっとしてラーチェルも、エルゥが人間ではないと感じ取ったのだろうか。
竜は人でも魔でもない。見る者によっては魔物にしか見えないだろう。
あの少女も、竜を魔物だと思うタチなのだろうか。

……そうでなければ、もしかすると彼女は……。


「……何だったんだ、今のは」

「え? さ、さあ。だけど海が危ないっていうのは確かみたいね」

「しかしカルチノがグラド側についた以上、エイリーク達が危険だ。あまり時間を取っていられない」

「分かっているわ。その魔物の船に遭遇するとは限らないのだし、皆には黙っておきましょう」


それが良いだろう。余計な不安や混乱は与えたくない。

やがて手配された船に乗り、一行はタイゼル港を目指す。
先程の少女の言葉は気になっていたが、ここで立ち止まる訳にいかない。
エルゥはミルラと共に甲板から海を眺めていた。
ミルラは普段通りの態度だが、どことなく目を輝かせているように見える。


「ミルラって海を見るのは初めてだったかしら?」

「はい。すごく青くて大きいです……。姉様は見たことがあるのですか?」

「ええ、船に乗るのも初めてじゃないわ。かなり久し振りだけどね」


こんな旅の最中なのだから、ミルラが少しでも楽しんでくれているのならそれでいい。
出来れば次は物見遊山で訪れたいが……果たしてこの旅の果てに“次”がやって来るのか不安だった。
魔石の話を聞いたエルゥは、ある一つの大きな懸念を抱いている。
グラド帝都から感じた禍々しい気配、あれが魔石の力だというのなら、あれが魔物を溢れさせているというのなら。

……時間が無いかもしれない。


「……姉様」

「……」

「あ、あの、姉様」

「……え、あ、ごめんねミルラ、考え事してたわ。どうしたの?」

「……あの……その」

「エルゥ、ミルラ」



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