烈火の娘
▽ 3


「なに、それ……詳しく教えてよ」

「あのフェレ公子達はきっと勝つから暫くここで待て。城の近辺は騎兵だらけだからな、馬も居ないお前が逃げられるとは思えない」

「質問に答えて! あなたはわたしのお兄ちゃんでしょ!?」


いつの間にかわたしの目からは涙が溢れていた。
牢の檻に必死で縋って、隙間から手を出してお兄ちゃんの手を握ると、お兄ちゃんの方も優しく握り返してくれる。


「やだ……お別れなんてやだよ……どこにも行かないでよ!」

「ごめんなアカネ。……俺だってお前と一緒に居たい。でも俺の意思じゃないんだ、どうしようもない!」


お兄ちゃんの方も、声が今にも泣きそうに震えてる。
自分の意思じゃないけど離れなくちゃいけないの? どうして?
誰かに命令されているとか脅されている可能性を訊ねたけど、そうではないらしい。


「……アカネ。この15年、本当に楽しかった。幸せだったよ。どうしようもない自己中で大馬鹿だった俺に、温かくて優しい時間をくれた」

「お、兄、ちゃん……」

「生きろ。絶対に生き延びて幸せになってくれ。それが俺の最後の願いだ」


お兄ちゃんは後ろに退いて、檻越しに握っていたわたしの手を放す。
もうわたしとは二度と交わらない事を示すかのように。

お兄ちゃんは瞳に涙を溜めながら、優しく、とても優しく微笑んだ。


「本当はお前の兄じゃないけど……それでも俺はいつまでもお前の兄貴だ」

「待って……お願い、待って……」

「世界で一番、お前を愛してる」


お兄ちゃんは体を覆うように纏っていた無地のシンプルなマントを取り、檻の隙間から取れるような近くに置いた。
そして笑顔を浮かべたままわたしを見て、すぐ踵を返して走り去る。


「待って行かないで! お兄ちゃんっ!!」


わたしの叫び声にも振り向く事すらしない。
残されたわたしは呆然と檻に縋ったまま、お兄ちゃんが去った方を見るだけ。
何で、どうしてと頭の中ではぐるぐる疑問が回っているけど、口に出してしまうと途端に泣いてしまいそうで何も喋れない。

わたしは足下に目をやり、お兄ちゃんが置いて行ったマントを見た。
愛用していたのか少し色がくすんで、端が多少破けていたりする。
体を包み込むようなマントは わたしには大きい。
檻の隙間から拾って体を包み、奥の壁に寄り掛かって座り込むと温かかった。

何をする気も起きなくて暫くじっと座り込んでいると、やがて誰かの足音が聞こえて来る。
石の階段の方からランプの灯りが見え、現れたのはエリウッド様とヘクトル様。
マーカスさんとマシューさんも一緒だ。
彼らは牢の一つに入れられているわたしを見付けて駆け寄って来る。


「アカネ、無事かい!?」

「……エリウッド様」

「エリックの野郎フザケた事してくれやがる! もうちっとボコっとけば良かったぜ!」

「ヘクトル様……」


マシューさんが鍵を開けてくれたので立ち上がって扉の方に行くと、なぜか彼がぎょっとしたような顔でわたしを見た。
疑問符を浮かべていると、恐る恐るといった風に話し掛けて来る。


「アカネ、お前……大丈夫か?」

「え……?」

「何か今にも死にそうな顔してるぞ。顔色も悪い」

「……」


牢は少し寒かったけれど、お兄ちゃんのマントで体を覆っていたから大丈夫だ。
……あ、そうだ、お兄ちゃん……。

マシューさんが牢から離れたのでわたしも出る。
側まで寄るとわたしの様子が分かったのか、エリウッド様達までぎょっとする。
ヘクトル様が鬼のような形相で詰め寄って来た。


「まさかエリックの野郎に何かされたのか!?」

「……いいえ、何もされてませんよ。大丈夫です」

「何もされてないとしても大丈夫じゃねえだろ! エリウッド、早く休ませるぞ」

「ああ。アカネ、歩ける?」

「……はい」


ヘクトル様を見ているとお兄ちゃんが浮かんで来る。
急激に目頭が熱くなって、次の瞬間には涙をぼろぼろ零してしまっていた。


「アカネ!?」

「……あ……うあっ……お兄ちゃん……」


涙を止め処なく流しながら体がガクガク震えて、足に力が入らない。
がくん、と膝から崩れてしまったわたしをヘクトル様が横抱きに抱え上げる。


「マシュー、先に戻ってどっかの部屋を確保しとけ!」

「了解です!」


マシューさんが素早く階段を駆け上がって行くのを、首を傾けてぼんやりとした視界で見た。
ヘクトル様は出来るだけ揺らさないよう歩いて下さっているのか速度は早足程度だ。
隣に並んだエリウッド様が心配そうに声を掛けて来る。


「アカネ、君のお兄さんに何かあったのか?」

「……お兄ちゃんが、牢に来たんです。わたしにお別れを言いに来たって。自分の意思じゃないのにもう、わたしの兄では居られないって……!」


ヘクトル様に抱きかかえられ仰向けのまま、零れる涙を拭いながら話す。
きっと何を言っているのか分からないと思う。
わたしだって何が起きているのか分からないんだから。
それでもエリウッド様達は、黙って話を聞いて下さった。


「やだ……何でお別れなのお兄ちゃん……。わたしの兄で居られる時間が残ってないってどういう事なの……」

「妹をこんな泣かせるとか、とんでもない兄貴だぜ。これは探し出してきちんと弁明して貰わねえとな、アカネ」


いたずらっぽく微笑んで言うヘクトル様に、心が少し楽になる。
わざと軽めに言って下さったんだと思うと、その気遣いに照れ臭くなって小さな笑いが漏れた。

マシューさんが確保してくれた部屋に入り、ベッドに寝かされる。
その時にヘクトル様がマントを取って下さったけど、どこかに置こうとしていたのを貰っておいた。
今は少しでもお兄ちゃんの名残を身近に感じていたかったから。
呼ばれたらしいセーラが来てくれて、エリウッド様達は部屋を後にする。
捕らえたエリック公子から聞き出さなければならない事が山ほどあるって。

エリック公子に取り上げられた荷物も返して貰えた事だし、わたしは今の感覚を少しでも誰かに共有して欲しくて、お兄ちゃんの事をセーラに話してみた。


「はあ? シュレンがそんなこと言ったの? 意味わかんないわね」

「うん。どうしてわたしの兄じゃ居られなくなるんだろう……」

「さあねえ。それにしても“本当は兄じゃない”か。もし血の繋がりが無いんだとしたら、あの溺愛とベタベタっぷりはかなり怪しい感じになるわ」

「へ?」

「あいつアンタの事、女として意識してたんじゃないの?」

「……!?」


予想だにしなかった事を言われて更に混乱する。
だってお兄ちゃんだよ、わたしの……。

……でもセーラの言う通り、もし本当は血が繋がってないんだとしたら。
あの言動を家族じゃない年頃の男性にされたと思うと、急激に恥ずかしくなる。
散々大事にされて守られたよね?
世界で一番愛してるとか、言われたよね?
いやでもあれは兄として妹を大事にしてるっていう家族愛だろうし。


「血が繋がってないんだったら問題ないでしょ」

「……だけど、お兄ちゃんだし……」

「……ちょっとシュレンが哀れになって来たわ」

「ま、まだ確定じゃないよ、色々と」


お兄ちゃんがわたしを女として意識しているのか、そもそも血が繋がっていないのか。
まだ判断するには材料が少な過ぎると思うんだけど。

黙ってしまったわたしに軽い溜め息を吐いたセーラが話題を変えて来た。


「そう言えばエルクがまた一緒に旅する事になったわよ」

「え、エルク!? エトルリアに住んでるんじゃなかったの?」

「新しい雇い主が旅してて、その護衛をしてたんだって。アカネのこと話したら気にしてたから、後で来るよう言っとくわ」

「うん、お願い」


1年振りの仲間にまた会えるんだ!
エルクと言えば例の読めない魔道書の事が気になるんだよね。
彼の師匠だっていうエトルリア王国の魔道軍将に話しておいてくれるって。
何か情報を得られるかもしれない。
上手く行けば、あの荷物の持ち主が分かるかも。

そろそろ寝なさいよ、なんてセーラに言われてお言葉に甘える。
お兄ちゃんの事を共有できる彼女に話せた上に、エルクにもまた会えるんだって思うと心がだいぶ楽になった。
これなら何とか寝られそうだな……。

本当は心の奥底でじくじく広がる痛みを出来るだけ無視して、わたしは柔らかな温かいベッドでゆっくりと眠りに落ちた。




−続く−




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