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「このラウスではどこを向いても戦の準備をしている! 君たち親子は一体何を企んでいるんだ!? はっきり答えてもらおう!」
珍しく声を張り上げて詰め寄るエリウッド様に、エリック公子がたじろいだ。
けれどすぐに立ち直って表面上だけの朗らかさを消してしまう。
「……オスティア侯と連絡を取ったかどうか、聞き出してからと思ったが……」
「なにっ!?」
「クックック……エリウッド! 僕は昔からお前も大嫌いだった! 僕の槍で、お前の善人面を苦渋に歪ませたいと……ずっと思っていた! やっと願いが叶う!」
エリック公子が隠し持っていた槍を突き出そうと構えた!
このままじゃ……!
「エリウッド様っ!!」
気が付いたら咄嗟に飛び出していた。
わたしに面食らったエリック公子がぎりぎりで槍を止めた為に刺さらなかったけれど、彼は正面に躍り出たわたしを目を見開いて見ている。
「……エリアーデ、か?」
「え……」
「何だエリアーデじゃないか! 行方不明になったと聞いたが見付かったのか!」
「待て、彼女は……」
エリウッド様がわたしの側に来ようと歩を進めたみたい。
けれどわたしはその前にエリック公子に腕を掴まれ、馬上に引き上げられてしまう。
飛び降りようにも背後からがっちり掴まれていて出来ない。
「い、いや! 放して下さい!」
「アカネを放せエリック、彼女はエリアーデではない!」
「馬鹿にするな! お前は昔から僕がエリアーデに近付くのが気に入らなかったようだが、そんな見え透いた嘘に引っ掛かると思っているのか!」
「エリウッド!」
突然割り込んで来た声にそちらを見ると、ヘクトル様が向かって来ている。
馬上、わたしのすぐ背後に居るエリック公子が驚愕に声を張り上げた。
「お、おまえっ! ヘクトル! まさかもうオスティアと連絡を取ったのか!?」
「さぁ、どうだろうな? そんな事よりアカネを放しやがれ!」
「お前もそうやって僕を馬鹿にするんだな! 揃いも揃って……!」
この人、わたしの事がエリアーデさんにしか見えていないみたい。
今朝エリウッド様が言ったように容姿そのものは黒目黒髪のわたしなんだろうけれど、それでもエリアーデさんだとしか思えないって事なんだろう。
ヘクトル様が言うには、あちこちにかなりの数のラウス兵がふせられているらしい。
やっぱりエリック公子は最初から戦うつもりだったんだ……!
「お前達がいくら必死になっても逃げられはせん! なにしろ数が違う! それも我がラウスが誇る精鋭の騎馬部隊の攻撃だ。何分生きていられるかなあ!?」
「お願い、下ろしてっ!」
叫びも虚しく、エリック公子はわたしを乗せたまま城まで退却する。
馬から振り落とされるかもしれないと思うと暴れる事も出来ず、わたしの名を叫ぶエリウッド様とヘクトル様が遠ざかって行くのを見送るしか出来なかった。
お城に連れて来られ、馬から下ろされた瞬間に暴れようとした。
けれど力には歴然とした差があって、すぐ腕を掴まれ止められてしまう。
「お願い、帰してください! どうしてわたしを……!」
「つれないなエリアーデ。散々奴らにされて来た妨害が、ようやく無くなるというのに」
「だから違うんです、わたしはエリアーデなんて人じゃありません!」
言った瞬間に甲高い音がして、少ししてから頬を叩かれたのだと気付いた。
口の中が少し切れて血が出る程の力で、叩かれた頬はきっと赤く腫れているだろう。
「お、お、お前まで僕を馬鹿にするのか!」
「ち、違います! わたしは本当に……!」
「誰か! こいつを牢に入れておけ! 見ていろ、すぐエリウッド達の首を持って来てやる。そうすれば僕に従うしか無いと分かる筈だ!」
エリック公子に呼ばれた兵士達に両脇を固められ、引っ立てられて行く。
待って下さい、話を聞いて下さいと必死で訴えても逆上した相手には効果が無い。
わたしは城の地下牢に入れられた。
檻に縋って声を掛けても、去って行く兵士達は振り向きもしない。
誰か居ないかと暫く声を上げ続けていたけれど、やがて諦めて座り込んだ。
石造りの牢屋は床も壁もひんやりとしていて冷たい。
お兄ちゃんの失踪やエリアーデさんの事があった上でこの仕打ち。
何だか久し振りに心が折れそうになってしまった。
「……お兄ちゃん」
ほぼ無意識に名を呼んだ瞬間、涙が瞳に溢れて来た。
こういう時お兄ちゃんが居てくれたらどれだけ心強いだろう。
あの優しくて温かい腕に包まれたい。
大丈夫だって笑って頭を撫でて欲しい。
じっと黙っていると今まで起きた事を取り留めも無く考えてしまう。
特にさっき、わたしの口から出たわたしの声ではない言葉。
ヘクトル様はエリアーデさんの声と口調だと言っていた。
だけど少しだけキアラン領に入ったあの日。
仲良く談笑しているエリウッド様とヘクトル様を見た時に頭に浮かんだ言葉と、
だいぶ口調が違うような……。
……まさか、あの時はまだわたしが混ざっていたけど、さっきの言葉はわたしが少しも出ず完全にエリアーデさんになっていたとか……?
「……いやだ。お願いエリアーデさん、許して。わたし、消えたくないっ……!」
本気で怖くなってついつい涙声になる。
声に出して少しでも発散しないと耐えられそうになかった。
体操座りで壁に寄り掛かり、蹲るようにしていると体が芯から冷えるけど、お兄ちゃんの優しい笑顔を思い出しながらじっとしていると、だんだん眠くなって来る。
こんな所で寝ちゃ風邪引いちゃうかな……。
だけど自分でも知らないうちに疲れてたのか、眠気が止まらない。
「(ちょっとだけ、寝よう)」
今エリウッド様達が戦っているだろうに暢気だけれど、きっと彼らなら負けないと信じてる。
そもそも魔道書が取り上げられてしまったし、ここから出る事は叶わない。
ゆっくり船を漕ぎ始めたわたしは、間もなく眠りに落ちてしまった。
++++++
「アカネ、おい、アカネ!」
「ふぇ……?」
突然 誰かに名前を呼ばれ間抜けな声で反応してしまった。
瞬間、今の声が誰のものか思い出して一気に覚醒する。
牢屋の檻の外にはわたしが会いたくて堪らなかった人。
弾かれたように駆け寄って、彼がしているのと同じように檻に縋る。
「お兄ちゃんっ!!」
「外で戦ってたフェレ公子とは合流してるんだろ? 良かった……」
フレイエルと戦う為に残ったお兄ちゃん。
やっぱり負けてなかったんだ!
安心したら泣きたくなったのか涙が溢れ、それをお兄ちゃんは檻の隙間から手を入れて優しく拭ってくれた。
「フレイエルに勝てたんだね……!」
「いや、悪い。勝てた訳じゃないんだ」
「え、じゃあ逃げて来たの? でもあいつを倒せなかったからって悪いとか思わないで。お兄ちゃんが生きてる方がよっぽど大事だよ!」
「アカネ……」
「わたし、お兄ちゃんに言いたかった事があるの」
これを言えなかったばかりに、わたしはお兄ちゃんと別れてからずっと後悔していた。
エリアーデさんの事ばかり考えてて忘れていたけど、例えわたしとエリアーデさん両方が消えずに済む方法が見付かっても、それだけじゃ駄目。
わたしの目標は、お父さんとお母さんとお兄ちゃんと、無事に揃って一緒に日本へ帰る事。
「逃亡生活になったって良いの。お兄ちゃんが死んじゃうよりずっとマシ。無茶しないで、お願いだから生きてよお兄ちゃん……」
「……」
心から声を搾り出すように言うと、お兄ちゃんは黙ってしまう。
嫌だよ、黙らせない。
分かったって言うまで何度でも言うんだから。
「黙らないでよお兄ちゃん。死なないで、一緒に生きて!」
「アカネ。俺はお前に別れを言いに来たんだ」
「……え?」
予想だにしなかった言葉に、脳が理解を拒否する。
お兄ちゃん今、わたしにお別れを言いに来たって……言った、よね?
その言葉が脳に浸透してしまうと、喉の奥から嗚咽がこみ上げて来た。
泣く直前の動作に目頭が熱くなって声が震える。
「な、んで、……どういう、こと?」
「お前の兄貴で居られる時間がもう残ってない」
「……?」
お兄ちゃんが何を言っているのか理解できない。
わたしの兄で居るのにどうして制限時間があるの?
「俺は確かに日本で、お前の兄として14年間を過ごした。だけどなアカネ……本当はお前に、兄なんて居ない」
その言葉に、いつかフレイエルに言われた言葉が蘇る。
『お前に兄なんか居ない。下らない夢見てんなよ』
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