烈火の娘
▽ 1


ラウス領を目指して旅している最中。
早朝、早く休んだせいか早起きしたわたしは宿から外に出てみた。
辺りはすっかり明るいけれどまだ陽は昇っていなくて、適度な冷たさの空気が気持ちいい。

ふと、先の方にエリウッド様の姿を見つけた。
マントもコートも身につけていないラフな格好の彼は、わたしが近付いて行くと気付いてくれた。


「エリア……、……アカネ。おはよう」

「おはようございます、エリウッド様」


エリアーデ、と言いかけたのだろうけど、聞かなかった振りをする。
わたしをアカネ扱いして下さるエリウッド様だけれど、やっぱりわたしをエリアーデさんだと確信してるんだね。
何を言って良いか分からなくて隣に立ったまま無言で景色を見ていると、ふとエリウッド様が話し掛けて来る。


「アカネ。やはり君は僕の従妹のエリアーデだと思う。時間が経つにつれ、君がエリアーデにしか見えなくなってるんだ」

「……わたしの容姿ももう、アカネではなくなっているんですか?」

「いや、違う。容姿はアカネそのまま、黒い髪に黒い瞳だし、エリアーデとは全く違う。にもかかわらず君がエリアーデだとしか思えない」

「不思議ですね……」


容姿が全く違うなんて分かり易く別人である証明になる筈なのに、それを踏まえた上でわたしがエリアーデさんとしか思えないなんて。
わたしが戦闘で使っている魔法なんかより魔法だよ。

……でも、やっぱりわたしはアカネ。
アカネなのに。


「エリウッド様。わたし、消えたくありません」

「え……?」

「だってわたしがエリアーデさんなら、アカネという人物は居なくなってしまうでしょう!? わたしはわたしの故郷で14年過ごして、家族だって友達だって居るんです! わたしはアカネなんです……!」


少しだけ声を荒げてしまう。

とにかく怖かった。
あの手紙を信じるのであればわたしは、アカネは、エリアーデさんが正体を隠す為の隠れ蓑に過ぎない。
わたしがエリアーデさんに戻ったら、アカネは居なくなる。
両親は分かってくれるかもしれないけど、手紙に書かれていなかったお兄ちゃんは、学校の友達は、わたしを見ても分からなくなるかもしれない。

そんなのイヤだ……!

泣きそうになって俯いてしまうと、エリウッド様の寂しそうな声が降って来る。


「どうするのが最善なんだろう。君はもうエリアーデとは別の一個人という訳だろ? けれどやはり僕達にとって君はエリアーデで……」

「……」

「僕の、僕達のエリアーデを想う気持ちが、君を苦しめてしまうのか」


エリウッド様はエリアーデさんに会いたがっている。
それはきっと、わたしが両親やお兄ちゃんに会いたいのと変わらない気持ち。
それに思い至った瞬間、とんでもない罪悪感が襲って来た。
どうすればわたしがエリアーデさんに戻るのか分からないけど、わたしさえエリアーデさんに戻れば解決する話なんだ。

……だけど、自分勝手かもしれないけど、嫌だって思う。
消えたくない。まだ生きていたい。
こんな旅をしている以上は命の危険があるだろうけど、アカネとして死ぬのとアカネという存在が消えるのは、似ているようできっと違う。


「すまないアカネ。君を困らせるだけでなく、苦しめてしまうなんて……」

「いいえ……大切な人に会いたい気持ちはわたしも分かりますから」


わたしが消えたら、お父さんとお母さんは、お兄ちゃんは、友達の皆は、悲しんでくれるだろうな。
きっといつか決断しなければならない時が来てしまう。
エリアーデさんに戻るか、アカネのままで居るか。


「エリウッド様、このお話は一旦保留にしませんか。まずはエルバート様やわたしの家族を探し出すのに集中しましょう」

「……そうだね。そのうち良い解決法が見つかるかもしれない」


果たしてそんな物があるかは分からないけれど、わたしのキャパシティではそんなに色々と背負えない。
だから今は、重い決断から目を逸らしておこう。



リキア同盟国の中央に位置するラウス侯爵領。
ここの領主であるダーレンという人は、強欲で知られる人なんだって。
エルバート様の失踪やヘルマン様の死について関わってるのかな、なんだか恐い。

ラウス領はとても自然が豊かで、あちこちに優しい色の緑が溢れ、美しい水の流れる川が点在してる。
お城へ向かう道すがらで見た町や村では、人々が忙しそうに働いていた。
畑仕事をしてる訳じゃない。
ヘクトル様が苦々しい顔で隣のエリウッド様に声を掛けた。


「領内を見る限り本当に戦の準備が進んでるようだな。ラウス侯め、何を企んでやがる?」

「……」

「城に行きたくないって顔だな」

「行って……真実を聞けば戦になるかもしれない。戦っている僕らは目の前の敵を倒す事だけ考えていれば良いけれど、家族を失う者や住処を荒らされる人々は?」

「エリウッド……」

「その事を思うと、戦など起こらずに済むよう願わずにはいられない」


沈んだエリウッド様の言葉が胸にずんと重くのし掛かる。
今はこうして戦う側になっているけれど、リン達と旅したあの日々より以前では、わたしも力が無くてひたすら奪われるしかない立場だった。
平和な平成の日本で暮らしていた身として、力無い一般人の気持ちは分かるつもり。

どうしてラウス侯は戦なんて始めようとしているの?
確か国内の別の領地が相手の可能性が高いって聞いたけど……。
それは正当な理由があるものなの?
力無い民の事を考えず、私利私欲で戦を始めようとしているなら、許せない。


「民を治める身でありながら何故そのような事が出来るのか、理解できませんわ」


……え?

い、今の、わたし、の、声? わたしの、言葉?

明らかにわたしと違う声と口調で、わたしの口から出た言葉。
自分の意識とは全く別の所から発せられたようで血の気が引いた。
前方では声が届いたらしいエリウッド様とヘクトル様が驚いた顔で振り返ってる。
そしてこちらへ少し慌てた様子で歩いて来た。


「アカネ……? 今のは……」

「え、あの、その……」

「おいエリウッド、今の明らかにエリアーデの声と口調だったよな」

「……」


どこか泣きそうにも見える真剣な顔が、わたしの瞳を真っ直ぐ見つめて来る。
ヘクトル様の方も同様の表情で……胸が一気に苦しくなった。

わたしの存在は望まれていない。
邪険にされている訳ではないけど、彼らが必要としているのは、エリアーデさんだ。

暫く三人で黙っていたら、偵察に出ていたマーカスさんが戻って来た。
どうやらお城から一騎で騎兵が出て来たらしい。
そしてそれはラウス侯爵の息子であるエリックという人。

……その名前を聞いた瞬間、ぞわ、と嫌な感じがした。
会見を求めているその人にエリウッド様は応じるけれど、ヘクトル様はその人が嫌いらしくって、見回りをして来ると言い立ち去ってしまう。
わたしはそこから動く事も出来ずに、向こうから馬がやって来るのを呆然と眺めていた。


「やあ! 久し振りだなエリウッド!」


……一見 朗らかに挨拶して来るけど、どうにも上辺だけっぽさが拭えてませんよ。
エリウッド様もむしろ警戒を強めてる。


「エリック……用件は何だ?」

「用件? どういう意味だい? 僕はただ、旧友の君がこのラウスに来ていると聞き、こうして挨拶に出向いたんじゃないか!」

「……」

「ところで、どのような用向きでこのラウスに? オスティアに向かう途中なのかな?」

「……どうしてそう思うんだ?」

「君は侯弟のヘクトルと仲が良かったからだよ。……僕の方は彼が苦手だったけどね。貴族だというのにあの下品な振る舞い、口の利き方……全く信じられないよ」


吐き捨てるように言ったその言葉に、心からムッとしてしまう。
ヘクトル様は確かに表面上はそうかもしれないけど、心根はとても素敵な人。
……まだ出会ってからあまり日が経っていないのにそう思えるのは、やっぱりエリアーデさんの経験があるからなのかな。
エリック公子は何も言わないエリウッド様に構わず話を続ける。


「ヘクトルとは今でも付き合いがあるんだろう? 一番最近に会ったのはいつだい? 連絡はどうやって……」

「……エリック。一体何を探りに来たんだ?」


普段の優しい声音からはあまり想像できない厳しい声。
わたしはエリウッド様の背後に居るから彼の顔は見えないけれど、きっと険しい顔をしているんだろうとは分かる。


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