烈火の娘
▽ 3


「お兄ちゃんっ!!」


わたしがようやく悲鳴を上げたのと、お兄ちゃんが炎を振り払ったのは同時。
お兄ちゃんはそのまま走って霧の中へ消えてしまい、足が竦んだわたしは追い掛ける事すら出来ない。
どうするべきか判断できずに狼狽えていると、わたしの悲鳴を聞き付けたリンがケントさん達を伴い戻って来る。


「アカネ、どうしたの!?」

「お兄ちゃんが、炎魔法の攻撃を受けて……向こうに走って行っちゃったの! どうしよう、リン!」

「ケント、セイン。マシューを連れてアカネとシュレンを探してあげて」

「しかしそれでは、リンディス様が……」

「私の方はワレスさんも居るから大丈夫。シュレンほどの人なら大丈夫だと思うけど、だからこそ居なくなるなんて心配だわ。それにイーグラー将軍の部下には魔道士が居ないって話だったけど、炎魔法を受けたらしいじゃない。奇襲を受けると危険だし、倒しておいた方が良いわ。霧も濃いし、気を付けてね」


リンの言葉で、ケントさんとセインさんはわたしに協力してくれる事になった。
マシューさんも連れて引き返し、宿を取った小さな村辺りまで戻って来る。
先程から何かじゃりじゃりした物を踏んでいるような気がするけど、霧が濃すぎて上手く確かめられない。


「お兄ちゃーん、どこに行ったの、返事して!」

「おーいシュレン、こんなに可愛いアカネさんを悲しませるなんて言語道断だぞ、出て来ーい!」

「セインさんどさくさに紛れて恥ずかしい事を言わないで下さい!」

「何を仰います! やはり誰を悲しませるかは重要でしょう、そこを行くと天使のように愛らしいアカネさんは決して悲しませては」

「お前はこんな時まで、いい加減にしろセイン!」


すぐさまやって来たケントさんが、馬を隣に並べてセインさんの頭を叩いた。
いったーい、と大げさな動作をするセインさんがおかしくて、少し気が休まる。
マシューさんも、何やってんだかと言いたげに苦笑していた……けど、急に真剣な顔になり、わたし達から視線を外してしまう。
同時にわたしとケントさん達も何か異様な雰囲気に気付いて気を引き締めた。

わたし達はマシューさんに倣って同じ方を見つめる。
すると急にその方角を中心として、わたし達の近辺だけ霧が晴れてしまった。
そして現れたのは。


「仲が良いなあお前ら」

「あ、あなたは!」


全身をフード付きの黒いローブで纏っているから、容姿を窺う事は出来ない。
ただ、こちらを見下しているような態度は分かる。
わたしは緊張しながら魔道書を握り直した。

フレイエル。
以前に、わたしを憎み、苦しませながら殺すとまで言っていた危ない人。
今すぐにでも逃げ出したいけど、こんな人が居るならお兄ちゃんが益々心配だ。
マシューさんが冷や汗を流し、フレイエルから視線を外さずわたしに訊ねる。


「……なあアカネ、お前、こいつと知り合いか?」

「ち、違う! この人わたしを殺そうとしてる危ない人なんです。こんな人が居るなんて、まさかお兄ちゃんの身に何か危険が……」


お兄ちゃん、の単語に、フレイエルが少し反応した。
何事かと思っていると彼は辛うじて見える口元を笑みの形にし、嘲笑する。


「お兄ちゃん? 何を言ってるんだアカネ、お前に兄なんて居ないだろ」

「居ます! わたしのこと何も知らないクセに、知ったようなこと言わないで!」

「少なくともお前よりはお前のこと知ってるんだがな。お前に兄なんか居ない。下らない夢見てんなよ」

「夢なんかじゃ……!」


そこでふと思い出す。
確か今日フレイエル以外にも、わたしに兄が居ないなんて言った人が居た。
エリウッド様。
そして彼は、わたしを自分の従妹と間違えていた。
……まさか。


「フレイエル、まさかあなた、わたしを誰かと間違えてるんじゃないですか?」

「何だって?」

「今日フェレ公子のエリウッド様に、彼の従妹と間違えられたんです。髪の色や目の色が違うし顔も似てないらしいけど、何故か間近で見ても間違えられて。エリウッド様もわたしのお兄ちゃんを見て、彼女に兄が居たなんて……とか言ってたから、まさか……」

「で、そいつの従妹はお前と同じ名前なのか?」

「え……あっ」


その言葉に、フレイエルが初対面の時、名乗りもしていないわたしの名前を知っていた事を思い出す。
確かに彼はアカネと、初対面でわたしの名前をしっかり呼んだ。
確かエリウッド様の従妹はエリアーデ様だっけ、フレイエルはわたしを一度もその名で呼んでない。

……やっぱり彼が憎んでいる相手は、わたしなんだ。
心当たりなんて少しも無いし、理不尽すぎて恐怖より怒りが浮かんで来るけど。


「……用が無いならどこかへ行って下さい、わたしはお兄ちゃんを探すんです」

「そう言えばさっきな、俺を敵だと思い込んだ奴らが攻撃を仕掛けて来たんだ。炎で一掃したんだが、適当に燃やしたから誰が誰やら分からなくてな」

「……!」

「その辺、足下がジャリジャリしないか? 焼き損じた骨が破片になって残ってるんだ。お前の兄貴とやらも居るかもなあ?」


お兄ちゃん?
この骨……とも分からないような破片が?
小さい頃から一緒に遊んで、誕生日も祝ってくれて、異世界に来てしまったわたしが落ちるのを救ってくれて、いつも守ってくれて、大丈夫だってわたしを撫でてくれた、お兄ちゃん?
この、ゴミみたいな破片がお兄ちゃん?
お兄ちゃんなの? これが?

笑わないじゃない。
喋らないじゃない。
撫でてくれないじゃない。
慰めてくれないじゃない。


「口を慎んで貰おう。これ以上、我々の仲間を傷付けるのは許さない」

「酷い言葉で女の子を虐めるなんて、悪趣味極まりないね」


ケントさんとセインさんが、呆然と立ち尽くすわたしを守るように立ち塞がる。
マシューさんは辺りを窺っていて、逃走経路でも確認しているようだった。
全身が冷えるような感覚に襲われる。
なのに片手がやたらに熱い気がして、何となく目をやると魔道書を握っていた。
戦闘中だったから、魔道書を持ってるのは何もおかしい事じゃないんだけど。

対するフレイエルは、魔道書を持っている様子も無いのにローブの袖から覗く手から炎が迸っていた。
間接攻撃が出来る敵は放っておくと厄介になる。
ケントさんとセインさんは瞬時に馬を走らせ、フレイエルへ向かって行った。


「あ、危ない!」


一瞬。
フレイエルがまるで剣を振るかのように腕を一閃させ、それにつられるように発した炎の軌道がケントさん達に襲い掛かった。
フレイエルが魔法を発するつもりなのは皆が分かっていた事なのに、予想外な使い方をされて対処が間に合わない。
悲鳴にしか聞こえない馬の嘶きが響いて、ケントさんとセインさんが落馬する。
瞬時にマシューさんが短剣を手に斬り掛かるけれど、いとも簡単に避けられた。
出来た隙は数秒、何とか体勢を立て直したケントさん達だけど、馬がまだ立ち上がれていない。

再び放たれた炎に襲われたマシューさんが辛うじて避けるも、既に第二波を放つ準備をしている。
わたしは咄嗟に走り出し、マシューさんの前に立ちはだかった。
それまでに溜めていたありったけの魔力を集中させ、フレイエルに向けて放つ。


「天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ!」


呪文を唱えながら、真っ先に思ったのは“間に合わない”という事。
一体どんな手品か分からないけれど、さっきからフレイエルは呪文を詠唱している様子が全く無い。
初歩魔法だからわたしが唱えている呪文も短いけれど、さすがに無詠唱で魔法を放つなんて無理だ。
案の定、わたしが呪文を唱え終わった瞬間には、もう炎が迫っていた。
燃え盛る炎の矛先は、わたしじゃない。
軌道が逸れた炎はわたしから目標をずらすと、体勢を立て直したばかりのケントさん達の所へ。


*back next#


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