烈火の娘
▽ 1


わたしがリンと草原で暮らし始めてから、もう2ヶ月が経ってしまった。
すっかり仲良くなったのはいいけれど、未だにここがどこなのか全く分からなくて、途方に暮れている。
手掛かりらしい手掛かりも無く、手元には謎の荷物があるだけだった。
三冊の本に二つのペンダント、一通の手紙。
わたしはある日、何の気なしに本を手に取り、開いて中を眺めていた。


「アカネ、今日の夕飯は……あ、読書中?」

「リン。ううん、いいの。ちょっと興味があって開いてみただけだから」

「でも読めるんでしょ? ひょっとしたら魔法が使えるかもしれないじゃない、やってみてよ!」


リンがあまりに期待を込めた眼差しをするものだから、ついついその気になってしまった。
わたしは開いたページに書いてある呪文らしき一文をなぞり、読み上げる。


「“天地の理よ、紅蓮に盛り我が敵を滅せ”!」


……。


やっぱり、と言うか。
何も起きる気配が無い。
こうなっては自分が残念に思えて、ちょっとムキになってしまう。
何度も呪文らしき一文を唱えたけれど、どこにも変化は現れなかった。
あーあ、と息を吐き、持っていた本を閉じる。
やっぱりこの荷物はわたしの物じゃなくて、誰か違う人の物なのだろう。


「本当にこの荷物、誰の物なんだろうね。持ち主さん今頃、困ってるんじゃないかなあ?」

「そうね。でも前に私が言ったけど、誰かがアカネに預けた可能性だってまだ捨てきれないわ。誰か心当たりは? このサカで魔法を使う人なんて見た事が無いし、他の国の人だと思うけど…」


そんな心当たりなんて、わたしにある筈も無い。
ここが……どこかは分からないけれど、一度も来た事がないのだから。
そもそも魔法なんて言うのが非現実的で、そんな物が存在するなら……。

と、そこまで考えた所で急にリンが、警戒するように辺りを見回し始めた。
反射的に声をフェードアウトさせて黙り込んだ私の前で、出入り口の方を盛んに気にしている。
次の瞬間、リンは剣を手に飛び出そうとした。
わたしは慌てて止めるのだけれど、意志の強い彼女には言っても無駄だ。
やがて帰って来たリンの口からわたしは、日本ではまず聞き得ない単語を聞く。


「大変! ベルンの山賊どもが山から下りて来たわ!!」

「えっ……山賊!?」

「また近くの村を襲う気ね、そうはさせない!」


すぐに出て行こうとするリンにわたしは、何か出来ないかと辺りを見回す。
近くにあった傷薬が目に入り彼女に渡すと、笑顔で有難うと応えてくれた。
あれくらいの人数なら私一人で追い払うからアカネは隠れてて、と言われ、わたしは本当に大人しく隠れていた。
武器を持った山賊と戦うのにわたしが付いて行った所で、出来る事なんて応援か足手纏いだけだ。

でも先程から広がる嫌な予感が拭えない。
何か良くない事が起こりそうな気がして苦しい。
リンが山賊に殺されたら……なんて頭に浮かんでしまい恐怖に身を震わせる。
こんな悲観的な事じゃいけない。
この2ヶ月、彼女が剣の鍛錬をしていたのはよく知っているし、きっとリンならすぐに倒して帰って来てくれる筈。
そう考えようとしても後から後から悪い事が起きる気がして、いい加減心配で頭が痛くなった。


「だめだ……やっぱりわたしも行こう!」


とは言え、武器も何も持ってないので役に立つとは到底思えない。
わたしはふと、誰かの物であろう荷物入れから、本を一冊取り出した。
リンはこれを、魔法が使える魔道書だと言った。
未だに信じられないけれど、使えるならリンの力になれるかもしれない。
信じられない、けど……。


「まずは、信じる事から始まるんだよね」


お母さんの教え。
さすがに現代日本で教えるには危険極まり無い教えかもしれないけれど、わたしは既に、この押し潰されそうな程の不安に耐えられなくなっている。
少しでも勇気が出るようにと、本を抱えてもう一度、復唱した。


「信じる事から始まる……わたしはリンの無事を信じたいからこそ、自分の勘を信じて彼女の所に行く!」


リンが危機に陥っているなら助けになれる事があるかもしれないし、無事なら無事で一安心だ。
魔道書、と呼ばれるらしい本を手に、わたしは遊牧民用の住居……ゲルを飛び出した。
ずっと向こう、大きなゲルの前に人影がある。
あれだ、と思って近付いて行くと、途中に山賊らしき男が血を流して倒れていた。
反射的に凝視していまい、つい気分が悪くなる。


「(リンがやったのかな……でもそうしなきゃ殺されるんだろうな、きっと)」


ふと、男の側に落ちている斧が目に付き、わたしは凍りついた。
血が付いているけど、まさかリンは怪我を……!
傷薬を持たせておいて良かった、けど大丈夫なんだろうか……怖い。
わたしは急ぎ、向こうに見えるゲルまで走る。
近付くにつれ二つの人影がハッキリ見えて、またわたしは青ざめた。


「リ、リン!」

「アカネ……!? 来ちゃ駄目、すぐ逃げて!!」


古いゲルの前、血を流しながら懸命に立っているリンと、斧を構えた男。
リンは怪我のせいかふらついていて、まともに戦えるとは思えなかった。
男はわたしに気付くと、ニヤニヤ笑って嫌悪感しか覚えない声音で話す。


「またガキか…しかし上玉には違いねぇ。安心しな嬢ちゃん、殺しやしねぇよ。生意気だから少し痛い目見せてるだけだ」


その言葉に総毛立つ。
この男、リンを殺すつもりは無いのだろうけど、理由が余りに最低だ。
絶対、彼女にそんな酷い事なんてさせない……!
わたしは魔道書を隠し、山賊に向かって虚勢を張る。
リンを助けたい一心でも怖い事に変わりはなく、やはり足が震えていた。


「い、今すぐ帰って! リンに乱暴なんかしたら、絶対……許さない!!」

「おいおい、震えてる癖に健気だな。オレ様にそれ以上近付けねぇだろ?」

「お願いだからアカネ、逃げて! お願い!」


リンの懇願にも、わたしは一歩も動かない。
情けない話、逃げ出したくても足が震えて、もう不可能に近かった。
そんなわたしを面白がったのか、男は怪我をして碌に動けないであろうリンの方へ歩いて行く。
ハッとしても恐怖で動けないわたしは、ただそれを見ているしか出来ない。

日本に居た時は全く体験する事の無かった、友達が目の前で殺されてしまうかもしれない恐怖。
いや、それはどこに居たって体験するかもしれないけれど、わたしはそんな日が来るなんて考えた事すら無かった。
いきなり家族を失い、訳も分からないうちに外国に来てしまったわたしを暖かく迎えてくれた、リンが……。

嫌、誰か力を貸して!
お願いだから、リンを失うなんて……絶対に……!

…わたしは全く無意識に魔道書を構えていた。
そのままページを開き、突然、妙な呪文めいた言葉が勝手に口を突く。


「ρεγινα ηγνισ!」

「なっ……テメェ、まさか魔道士……!」


体中から力が抜けて行くかのような感覚の後、わたしの体から、信じられない程の業火が放たれた。
それは山賊の体を余すところなく焼き付くし、きっと地獄に落ちたらこんな風になるのだろうと思わせる光景を作り出す。
奴の全身は焼け爛れ、耳障りな断末魔の悲鳴の後、高温に耐えられなかった体が少し破裂した。
後には微妙な肉片や感じた事の無い焼けた臭いが辺りに残り、一気に吐き気が込み上げる。
怪我をしていたリンはふらつきながらも、口を抑えてうずくまったわたしの側に来てくれた。


「危なかった……相手が1人だと思って油断したわ。心配かけてごめん。……大丈夫? アカネ……」

「うっ……う……」


目の当たりにした光景の残酷さと人を殺したショックで、気分が余りにも最悪の状態だった。
碌に返事も出来ずに吐き気を我慢していると、今度は全身が震えて涙が溢れてしまう。
リンは自分が怪我をしている事も忘れているのか、わたしの背中を優しくさすり、心配そうに声を掛けてくれた。
いけない、わたしより、怪我をしているリンを手当てしなければならないのに、震えが止まらない。


「魔法、使えたのね。良かったじゃない、しかもあんなに凄い魔法……」

「わ、わたしっ! 人、を、殺し……て……!」

「でもっ! アカネが助けてくれなければ、私は今頃殺されていたかもしれないわ! 有難う、アカネのお陰で私、助かったのよ」

「うっ……うぅぅ……!」


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