烈火の娘
▽ 2


沈んだ意識の片隅で、何かがわたしの頬を微かにくすぐっていた。
ムズムズして目を覚ますと、まず最初に突き抜けるような蒼が飛び込む。
それが晴れ渡った空だと気付くのに数秒を要した。
わたしの頬をくすぐっていたのは、穏やかな風とそれに揺らされる草。
どうやら草原に寝転んでいるらしいけど……。


「……草、原?」


上体を起こしてみると、地平線の彼方まで緑の絨毯が広がっていた。
草原……何故こんな場所に居るのか分からない。


「天国、なのかな」


そうとしか考えられない。
だってわたしは、燃え盛る自宅に居たのだから。
天国なら、きっとお父さんやお母さん、お兄ちゃんもどこかに居る筈だ。
何だか疲れてだるかったし、頭もボンヤリするので少し寝る事にした。
死んでも疲れるんだね、と妙な部分に感心して、寝て起きたら全て夢だったというオチを期待して。

とても心地良い。
暖かな日の光も、風の感触も、運ばれて来る草の匂いも、鮮やかな青と緑のコントラストも全て。
天国っていい所だなぁと思いながら、疲労した意識を完全に沈め切る直前、誰かの声が響いて来た。


「あなた、大丈夫!?」


それは、少女の声。
でもわたしは、それが誰かを確認する間も無く、意識を全て沈めた。


++++++


次に目を覚ました時、わたしは白い天井を見た。

ほら、やっぱり夢だった。
いつものわたしの部屋、起きてリビングに行けばお母さんが朝食の支度をしていて、お父さんが新聞を読んでいて、お兄ちゃんが朝練から帰って来て、腹減ったー、なんて騒いでるんだから。
でも、普通の天井とは違う……組み立てられた木で支えられていて、天井は布で出来ているみたい。
どうしてなのか悩んで、寝転んだままシーツを少し退けると、澄んだ心地いい声が聴こえた。


「……気がついた?」

「……」

「あなたは、草原の入り口に倒れていたのよ」


そちらへ目を向けると……驚いた。
長いポニーテールの女の子が居たけれど、その髪色は緑色。
染めてるのかな、なんて思いながら起き上がる。
彼女は優しい笑みを浮かべて、お粥が入った器を渡してくれた。


「具合は悪くない? はいスプーン、それ食べて」

「……あ、あの」

「あ、ごめんなさい。私はリン。ロルカ族の娘。あなたは? あなたの名前を教えて?」


わたしはただ呆然としていて、警戒心も何も浮かび上がって来なかった。
日本語は通じるみたいだけれど、彼女の風貌や今いる何かの建物の内部からして、とても日本だなんて思えない。
取り敢えず、名乗ってくれた彼女にわたしも応えなければと、まだ少し呆然としながら名乗った。


「わたし、は、アカネっていいます……」

「アカネっていうの? ……不思議な響き。でも、悪くないと思う」


にっこり微笑む女の子……リンに、わたしの心も次第に解けて行く。
頂いたお粥を食べて一息ついた所で、リンが不思議そうに訊ねて来た。


「それで……見たところ、あなたは旅人にもサカの人にも見えないけど、どうして草原で倒れていたの? もし良かったら、話を聞かせてくれない?」


どうしてと言われて、瞬時に家の事を思い出した。
どうして草原に居たか分からない。言っても信じて貰えるか分からない。
だけど、この苦しさを少しでも和らげたくて、誰かに聞いて貰いたくて、わたしはリンに話した。


「家が、燃やされて……」

「えっ!?」

「お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、みんなあの化け物に殺されて…っ! 気が付いたら、草原に、倒れてて…」


少し我を忘れて興奮気味に話すわたしの手を、リンがそっと握ってくれた。
その瞬間に心の底から安心するような気がして、興奮も次第に冷めていく。
リンに向けた瞳は、どこか悲しそうに微笑む彼女を捉えていた。


「アカネ、あなた帰る場所はあるの?」


リンの言葉に、わたしは無言で首を振った。
ここがどこだか分からないし、第一、元の場所に帰り着けても、家は完全に焼けてしまった筈だ。


「じゃあ、もしアカネさえ良ければ、私と一緒に暮らさない?」

「え……で、でもいいの? そうだ、ご家族とかは」


至極当然の質問だと思って訊ねると、リンの表情が曇ってしまった。
どうしたのかと思っていると、リンは少しだけ視線を逸らして語り出す。


「父も母も…四ヶ月前に死んだわ。私の部族…ロルカ族は本当は、もう存在しない部族なの。山賊団に襲われ……かなりの数が死んでしまって……」


そして族長の娘であるリンに付いて来る者は無く、部族はバラバラになってしまったと、リンはわたしに語ってくれた。
次第に彼女の瞳が潤んで行って、一筋の雫が零れ落ちてしまう。
もう泣かないって決めたのに……と目を閉じたリンの手を、わたしは静かに握り返した。
そんなわたしの瞳も次第にぼやけて、きっと潤んでいたと思う。
そのまま暫くリンの手を握り続けていると、一つ息を吐いたリンはさっきまでの笑顔に戻った。


「ありがとう。大丈夫、落ち着いた。アカネの手って、あったかいのね」

「そうかな。確かに、そんな風に友達にも言われた事あるけど……」


そう言って笑うと、リンも嬉しそうに微笑む。
そこでわたしは、重大な事を確認していない事に気が付いてしまった。
これを確認しなければ。
きっとここは、お母さん達が居る場所じゃない。


「ねぇリン、ここ、一体どこなの? サカとか言ってた気がするけど」

「え? サカはエレブ大陸の東にある草原地帯よ。主に私たち遊牧民族が、幾つかの部族に分かれて暮らしていて……」

「エレブ大陸、って?」


そんな大陸、知らない。
世界にあるのは、ユーラシア大陸・南北アメリカ大陸・アフリカ大陸、オーストラリア大陸・南極大陸の六大陸のはず。
エレブなんてそんな大陸、地球には存在しない。
サカなんて国も知らないし、ひょっとして地域によって呼び方が違うという、そんな話だろうか。


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