烈火の娘
▽ 1


父と母と兄とわたし。
世間での評価的には少し収入が良いくらいの中流家庭で、特に不自由なく日々を暮らしていた。


「アカネ、今日は早く帰って来なさいね」

「どうしてお母さん? わたし今日は委員会の用事があるから遅れそう」

「あら、そうなの? お父さんは珍しく仕事を早く切り上げるし、お兄ちゃんも部活休むのよ。用事なら仕方ないけど、出来るなら早くね」


どうしてだか早い帰宅を促すお母さんへ訝しげに承諾の返事をして、わたしは学校の支度をする。
お母さんは評判の若々しい美人で、わたしは小さな頃から鼻が高かった。
お父さんやお兄ちゃんも、特に女性から大人気で…確かに世間から見れば格好いい人だと、わたしも思う。
3人とも怒ると怖いし厳しい部分もあるけれど、わたしにとっては、とても自慢の家族だった。

出掛け際に昨日お母さんが焼いてくれたアップルパイの残りを摘んで、行ってきますと家を出た。
空は快晴で、今日は苦手な授業が先生の不在で自習になって、ちっぽけな事だけど嬉しい。
今日がもっと良い日になれば素敵だなと思いながら学校に到着し、教室の扉を開けると、いきなりクラッカーが鳴った。


「えっ、なに……!?」

「アカネ、誕生日おめでとー! 14歳じゃん!」

「誕プレせしめる権利が君にはある! ただし高い物はカンベンな」


ふざけたような、しかし楽しい祝いに、わたしの顔は綻んでいたと思う。
たまに、自分の誕生日を忘れていたなんて話を聞いて、本当にそんな人いるのかと疑問だったけど、今回の誕生日をわたしはすっかり意識から消していた。
少し小さめの中学校。
クラスメイトはほとんど小学校からの持ち上がりで、中には幼稚園の頃から一緒な友達だって居る。
このままの時間がずっと続きそうな気がして、大人になるのを拒否したくなるほど居心地が良かった。


++++++


その日の委員会の仕事を早めに切り上げ、家族が待つ家へと帰宅する。
14歳にもなって、こんなに誕生日を家族で祝うのが楽しいなんて、親離れ出来ないようでちょっと可笑しいかもしれない。
だけとわたしは温かい家庭が大好きで……、クラスメイトから家族の不満を聞く事が増えるにつれ、平凡でしかなかった自分の家庭が、幸せに満ちていると気付けたから。
お父さんが珍しく早く帰って来る、お兄ちゃんも今日は部活を休む。
家族が揃う家へ、わたしは心躍らせつつ駆けた。

辺りは夕暮れ、帰宅する人々の波の間を縫いながら、軽やかに家を目指す。
今日は、街の全ての音がわたしを祝福しているような気がしていた。

雑踏を駆け抜ける雑音、足音、足音、車のエンジン音や時折響く豪快なクラクションに、遠くから電車の音が混ざって行く。
通りかかったお店のドアが開いて中から穏やかなBGMが洩れ、不協和音のように物騒な消防車のサイレンが重なった。
やがて静かな住宅地に差し掛かり、それらの音は吹き抜ける風や買い物帰りのおばさんが乗る自転車のベルに変わって行く。
ぱたぱたとはしゃぎながら走る学校帰りの小学生を横目で見送り、次の角を曲がれば自宅が見える。


「……? あれ?」


その時わたしの耳に、静かな住宅地に相応しくないざわめきが届いた。
ざわめきだけじゃなく…何だか聞き慣れない音が多くて良く分からない。
不思議に思いながら角を曲がると、前方50m、自宅がある筈の場所が、真っ赤に染まっていた。


「……」


声が出ない。白い壁の筈の家がどうして真っ赤なのか、頭が認めない。
赤はゆらゆらと揺らめいていて、その前には人だかり、それよりも真っ赤で大きな車が目に入る。
さっき、街中を走っていた時に聴こえた消防車のサイレンって、まさか。

まさか、じゃない。

燃えてる。わたしの家が……燃えてる。


「……っ、お父さん、お母さん、お兄ちゃん!!」


ようやく我に返ったわたしは、すぐさま家の側まで走って行った。
野次馬を掻き分けて抜け出した途端に、消防士さんに止められてしまう。


「君、あぶないから近寄っては駄目だ!」

「お母さん達が、中にっ、助けて!!」


もう、何も分からない。
中にお母さん達が居ると思ったら、燃え盛る業火も全く怖くなかった。
消防士さんを振り切って今にも焼け落ちそうな家に無理やり飛び込む。
野次馬から悲鳴が上がったけれど、わたしの頭にはわたしの家族の事しか浮かんでいなかった。
わたし自身の事さえ、全く浮かばなかった。

玄関でお父さんとお兄ちゃんの靴を確認した。二人とも帰って来ている。
火の中を突っ切る。
きっとあちこち大火傷をしているだろうけれど、既に痛みも何も感じない。
次々と崩れ落ちる残骸を疎ましく思いながら、かつてリビングの扉があったと思われる部分を通過した。



……その瞬間、わたしの目に飛び込んで来たのは。


有り得る筈のない、【異形】



わたしの記憶を総動員しても、目の前の生き物は全く見覚えが無かった。
ただ、1つ。
実際に見た事など無いけれど、明確な姿なんて決まっていないけれど、1つだけ当てはまりそうな生き物を知っている。


「……りゅ、う……?」


竜だ。それが一番近いとしか思えない。
赤い体で、口からはチロチロと炎が洩れている。
わたしは遂に幻覚まで見えてしまったらしい。
けれど、燃え盛りながら崩れ落ちる家の中で冷静で居られる筈も無く、言葉が通じるかも怪しい巨体に食って掛かった。


「あなたが家をこんなにしたの!? お母さん達はどこ、返してよっ!」


叫んだ瞬間、気付いた。
炎を小さく吐いている竜の口元や体には、この目に痛い程の赤や橙の中でも分かる、赤黒い液体がこびり付いている事に。
あんな色をした液体は、他に知らない。


「……血……?」


呟いた瞬間、竜の口の牙に、何かが引っ掛かっているのが見えた。
あれは、お母さんが愛用していたエプロンと、同じ色をした生地で…。



お母さんは、お父さんは、お兄ちゃんは。

この化け物に、無惨にも食い殺されてしまった。



悲鳴も上げられない。
家が次々と崩れ落ちる。
次第に炎が身を焦がし始め、わたしはここで死ぬのだと、ただそれだけをぼんやりと浮かべた。
その瞬間、竜が一歩、わたしの方へ歩み寄った。
ずしり、と響いた重々しい感覚にハッとすると、大口を開けた竜が目の前まで迫って来ている。


「……や、っ……」


途端に恐怖が湧き上がる。
わたしも、この竜に食い殺されてしまう……。


「いやっ、いやぁ!!」


崩れ落ちる家材、燃え盛る炎、眼前には竜。
わたしは迷わず竜に背を向けて、火炎の中へと一目散に飛び込んだ。
生きたまま焼かれる事と生きたまま食われる事、どちらが楽かなんてわたしには分からない。
でも途中で、焼け落ちた家材に躓いてしまった。
派手に倒れた所は幸い燃えていなかったけれど、周りは灼熱地獄。


「……お母さん………お父、さ………お兄………」


意識が消えかけた瞬間、もう一度、この業火の中で背筋が凍りそうな程の重い足音が響いた。
倒れ伏したまま振り返ったわたしの目に飛び込んだのは、大口を開けた竜、そしてその口の奥から赤い光が湧き出て……。

竜の口から業火が放たれたのを最後に、わたしの意識は完全に消えた。


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