烈火の娘
▽ 2


ヴァロール島の奥地、島の中心部。
深い樹海と霧を分け入った先には巨大な建造物があった。
その巨大さは人間の次元ではない。
出入り口も建物を支える柱も、回廊も祭壇も……何もかもが人間が使うには大きすぎる。
まるで、人ならざる何かの為に用意されたとでも言いたげに存在していた。

そしてその建造物の中、最奥にはこれもまた巨大な門が存在していた。
アカネ達が島へ上陸して間もなくの頃、その門の前には数人の男達の姿。


「……あの姉弟を逃がすとは、やってくれたなフェレ侯爵よ……」


全身を黒いローブで覆い、頭は黒い布をターバンのようにして巻いているが、それで右目を隠していた。
この者こそがネルガル。
ネルガルは忌々しそうに目の前の男を見下ろす。

鮮やかな赤い髪、優しさを湛えつつも意思の強い青い瞳。
彼はフェレ侯爵エルバート。
長い監禁生活で弱ってはいたが、威圧感を放つネルガルに怯む事なく視線を返していた。


「お前達の好きにはさせん……!」


そんな2人とは対照的に狼狽する男が一人。
ここまで来てしまったラウス侯爵ダーレンである。


「ど、どうするのだネルガル殿っ! あの姉弟を逃がしてしまったのでは例の儀式が行えんのではないか!?」

「何度言えば分かるのだダーレン殿っ! 貴殿はこの男に利用されているだけだ! この世界に【竜】を呼び戻す手伝いをするなど、人を滅亡に導く行為だとなぜ分からんのだ!」


人を圧倒する力を誇る竜。
かつての人竜戦役では神将器と八神将の活躍により人の勝利で終わったが、今の世にはもう八神将はおらず、神将器も封じられたまま。
もし今のエレブに大量の竜が現れ争いが始まれば、もはや人に勝利は無いだろう。
だがそんなエルバートの鋭い言葉をダーレンは嘲笑で返す。


「ふ……ははは……人が滅亡……滅亡か! 確かに竜は脅威かもしれん。だが、このネルガル殿が居れば何も恐れる事は無い! ネルガル殿は竜を操る事が出来るのだから……はは……ははは……」

「ダーレン殿……もはや正気ではないのか?」


野望に踊らされ欲望に支配されたダーレンは、もはや狂人となってしまった。
エルバートはそれを見て憎しみよりも憐れみを覚えてしまう。
ネルガルは侮蔑の視線でダーレンを見、吐き捨てるように。


「リキア全土に戦いを起こさせ、一度に大量の【エーギル】を手に入れる計画……この程度の男では不足だったか。まあ他に当てが無い訳でもない」

「貴様っ……!」


この男だけは、愛するリキアに戦乱を巻き起こそうとしたこの男だけは許せない。
両手は枷で戒められているが、エルバートはその枷を振り上げ叩き付けようとする。
エルバートが怒りに身を任せ向かって来るのを、ネルガルは魔法で衝撃波を作り出し弾き飛ばしてしまった。
壁に叩きつけられたエルバートを一瞥し、それから別の方向へ声を掛ける。


「エフィデル! リムステラ!」


そこへ現れたのは、これまでリキアで暗躍していたエフィデルと、エフィデルに似ているが彼よりも女性的な容姿をしているリムステラ。


「……可愛い【モルフ】、私の芸術品よ……お前達に新しい仕事を与えよう。まずリムステラ、お前はベルンへ行きソーニャと連絡を取るのだ。国王と会合できるよう手配させろ。いいな?」

「御意」

「エフィデル、お前はこの男……ラウス侯を連れて行け。島に上陸したネズミ共を始末させるんだ」

「はい」


リムステラは一人で、エフィデルはダーレンの腕を掴むと彼と共に、それぞれ転移魔法で命じられた場所へと向かう。
彼らが消えてからネルガルは倒れているエルバートの元へ歩み寄った。


「さて、フェレ侯爵よ。お前の血筋はどうやら、しぶといのが特徴らしい」

「……!?」

「リキア攻略を邪魔したネズミの名はエリウッド。この島にまで来るとはさすがと言った所か?」

「エリウッドが、息子が来ているというのか!? やめろ、わしはどうなってもいい。息子には手を出すなっ!!」

「ククク……お前が逃がした姉弟、その姉の方も今、エリウッドと共に居るという」

「そんな、馬鹿な……!」


自分の行動は全て無駄になった。
それどころか最悪の状況まで招こうとしている。
その事実に愕然とするエルバートをネルガルは嘲り笑う。


「この森でエリウッドは死ぬ。そして、あの娘を連れ戻し次第 儀式を始めるとしよう。長い責め苦にも屈する事の無い強い肉体と精神……お前は最高の生贄だ、フェレ侯爵」


ネルガルが去ってからも、エルバートは動く事が出来ない。
ただただ息子の無事を祈るだけ。


「エリウッド……ここに来るんじゃない。娘を連れ、逃げるのだ……!」


そんなやり取りを物陰から見ていた女が一人。
キアランで侯爵ハウゼンを助けた、オスティアの密偵レイラだ。
まさかネルガルの目的が古の竜を呼び出す事だったとは……想像すら出来なかった。


「(早くヘクトル様達にお知らせしないと。今ならまだ、間に合うかもしれない……!)」


ネルガル達が竜殿と呼ぶ建造物の中を、足音を立てぬようひた走るレイラ。
だがその先に突如として転移魔法陣が現れ、一人の男が出現する。


「!!」

「レイラだったか。どこへ行くんだ」

「あ、あなたは……」

「ん? 俺の事は知らないか? 見た事くらいはあるだろ」


言葉を交わした事は無いが、何度か見た覚えがある。
暗くて赤黒い血のような色をした髪、燃えるような赤い瞳。
確かフレイエルと言う名の、ネルガル配下の魔道士。
ネルガルが【モルフ】と呼んでいる配下は、波打つ黒髪に病的に白い肌、金の双眼という容姿をしている。
しかしそんな者達とは一線を画す容姿をした、他の誰とも雰囲気の違う男だ。


「で、どこに向かっていた?」

「その……私は見回りに……」

「話を聞いていた、って訳だな」


やはりこんな嘘では騙せなかった。
傍から見ればただ走っていただけのレイラを妨害したのだから、一部始終 聞いたのを見ていたのだろう。

瞬間、レイラは懐に隠していた剣に手を掛け、全霊を懸けた瞬発力でフレイエルに飛び掛かった。
この男は凄まじい炎魔法の使い手だと聞く。
そんな相手に攻撃の隙を作ってしまえば圧倒的不利……不意打ちで勝負をつけるしかない。

だが剣先がフレイエルに届く直前、響いた高い金属音。
二人の間に現れた褐色の肌をした男が、両手に握った鋭い刃でレイラの剣を受け止めていた。
漆黒に身を包み、何の感情も窺えない硝子玉のような瞳。
その凄まじい殺気と不気味さに、レイラは背に冷や汗をかく。


「ジャファル、やれ」

「……裏切り者には死の制裁を」


ジャファルと呼ばれた男は抑揚の少ない声でそう呟き、瞬時にレイラの剣を弾くと刹那、豪速でレイラの脇を駆け抜ける。
擦れ違いざまの一撃がレイラの首を切り裂いていた。


「あ……マ……シュ……」


最期、脳裏に浮かんだ男の名を呟き、レイラは絶命した。
それを見たフレイエルは楽しそうに顔を歪める。


「さすがだなジャファル。俺もここまでの剣の腕は持ってない」

「……」

「相変わらずか。……この女の死体は森に捨てておけ。島に侵入してる奴らへの見せしめとしてな」


ジャファルがレイラの死体を担いで行くのを見送り、フレイエルは息を吐く。


「エリウッド率いる一団が魔の島に上陸……まあ居るんだろうな、アカネ」


フレイエルにとってアカネは憎しみの象徴。
その憎しみは嫉妬に染まっているが、本来それをぶつける相手はアカネではない。
分かってはいる、が、理解する気はさらさら無い。


「もう俺にはアカネを殺す事でしか憎しみを発散する方法が無い。これ以外の方法で発散する気も無い。アイツにとっては理不尽だろうがな」


だが今まで成功しなかったのは邪魔があったから。
邪魔をしていたのはシュレン。
シュレンさえ居なければ、フレイエルはとっくにアカネを殺せていた。


「……それなりに長い付き合いだよなァ、シュレン。15年か? 地球の日本に居た頃からだしな。お前はずっとアカネを可愛がっていた。本当の兄貴でもない癖に兄貴面するのは楽しかったか?」


もうシュレンの邪魔は入らない。
……入らない筈だった。
それなのに今なお、シュレンはフレイエルを邪魔し続けている。


「妹は可愛いか? 本当は妹としてじゃなく一人の女として可愛がりたかったんじゃないか? だとしたら諦めろ、アカネの奴はもうお前を兄貴としてしか見ていない」


それならそれで、今まで散々邪魔してくれたシュレンを苦しめられそうだと、フレイエルはほくそ笑む。
もし本当にシュレンがアカネを一人の女として見ていたなら面白い。


「そうだ、シュレンだけ叶うのは不公平だろ。……お前も俺と同じ苦しみを味わうといい。それで俺の邪魔が出来なくなればいいんだ」


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