烈火の娘
▽ 1


魔の島と呼ばれているヴァロール島は、向かった船が帰らない事で有名らしい。
海賊達に協力を仰げなかったら八方塞がりだったかもね。
それにしても波も風も穏やかだから、これから向かうのがそんなに恐ろしい所だって思えないなあ。
どこまでも続きそうな大海原と果てしない空との青に挟まれて、凄く爽快だ。

でも、やがて見えて来たのは霧に包まれた大きな島影。
それを見た瞬間に言いようのない恐怖が襲って来た。


「(なんだろ。あそこに行くの、凄く怖い。怖いと言うか……嫌な予感がする)」


船が少しずつ近付くにつれ、嫌な予感がどんどん膨れ上がって行く。
決戦の予感がするからとかそう言うんじゃなくて……ひたすら感じるのは“嫌な予感”。

私は左の手首をそっと触った。
そこには、キアランで迎えた15歳の誕生日にお兄ちゃんから貰った、黒いレースで編まれたリストバンド。
編み込みで綺麗な装飾が入っていて、ブローチのような装飾がなされた3cmくらいの赤い石も付いてる。
お兄ちゃんがわたしに別れを告げてからというもの、寂しくなったり怖くなったりするとそれを触るようになった。


「(お兄ちゃん……また、会えるよね?)」


本当はわたしに兄なんて居なくて、あの人はわたしのお兄ちゃんじゃないらしい。
それがどういう事なのかちゃんと知りたい。


「アカネ、どうしたの? 酔っちゃった?」

「え」


優しく声を掛けられ、振り返ればリン。
どうやら心配と嫌な予感で酷い顔色をしていたみたい。
酔ったわけじゃないけど……と曖昧な返事をすると、察したようで。
わたしの事もお兄ちゃんの事も、リン達には話してある。


「シュレンの事ね?」

「……うん」

「あのバカ、あれだけアカネを奪われまいと敵意むき出しだったのに、居なくなるなんてどういうつもりかしら!」

「あ、はは……」


わたしを守ろうとしてくれていたリンとお兄ちゃんは、仲が悪くて喧嘩が多かった。
険悪なんじゃなくライバル的な感じだったけど、わたしの取り合い(?)は仲間内やキアラン城での名物みたいになっちゃってて……。
あ、思い出したら恥ずかしくなって来た。
それと同時に辛い気持ちも少し和らいで、心が軽くなる。


「絶対に見つけ出してとっちめてやるわ、アカネを泣かせた罰よ」

「タノモシーナー」


いつも見ていたやり取りが脳裏に浮かび、懐かしさに楽しい気持ちにまでなってしまう。
取り合いみたいにされるのは恥ずかしいんだけど、あのやり取りは面白くもあった。

……なんてようやく気を持ち直せた所で、にわかに船上が騒がしくなる。
どうやら小舟が漂っていたみたいで、慌てて見に行くと既にエリウッド様とヘクトル様も来ていた。
海賊頭のファーガスさんの話によると、海流の関係でこの辺りを漂う船はヴァロールから流れて来ているとしか思えないらしい。


「エリウッド様、ヘクトル様! 小舟があったって……」

「アカネ。今引き上げている所みたいだよ。どうやら人が乗っているらしい」

「魔の島から流れて来るったぁ穏やかじゃねえな。敵か味方か……」


エリウッド様とヘクトル様の言葉に緊張して、引き上げられて来る小舟を見つめる。
そこには人が倒れていて……女の子? っていうか、あれ、もしかして……!
慌ててリンと共に駆け寄って小舟から降ろし、リンが座り込んで女の子の体を横たえ、膝に乗せる。
間違いない、間違うはずもないこの不思議な魅力を湛えた女の子は。


「ニニアン! ちょっと、しっかりして!」

「どうしてニニアンが……!」


ヘクトル様と共に後を追って来たエリウッド様も驚いた表情。
一人疑問符を浮かべるヘクトル様に、一年前、リン達と出会った時に助けた女の子だと説明していた。

リンが体を揺すりながら声を掛け続けると、ゆっくり目を開く。


「……あ……」

「ニニアン、気が付いた?」

「……? ……あの」


ん? なんかニニアンの様子がおかしい。
リンやわたしにすら反応を示さないし、宝石みたいに綺麗な赤い瞳はどこか虚ろで。


「大丈夫? どうして小舟になんて乗っていたの? ニルスは一緒じゃないの?」

「……」

「ニニアン?」

「……ニニアン……それは……わたしの名前……ですか?」

「えっ!?」


も、もしかして記憶喪失!?
ニニアンはこんな冗談を言う子じゃない。


「わたし……頭がはっきりしなくて……わたし、海に?」

「そうよ。小舟でこの近くを漂っていたの」


わたし達が知る限りの事を話してみたりもしたけれど、ニニアンの記憶は戻らない。
どうしよう、これから危険な魔の島に行くのに、ニニアンを連れて行けない。
ただでさえ体が丈夫じゃなさそうなのに記憶まで失ってるんだから。

だけど一つ思い出す。
ニニアンとニルスを追っていた集団。
お兄ちゃんがぽつりと【黒い牙】って言ってたはず……確定した訳じゃないけど、ニニアン達は【黒い牙】に狙われてる可能性がある。

今、エルバート様失踪の件や、リキア内乱未遂の件で暗躍している【黒い牙】。
エルバート様が居ると言われる魔の島にはきっと奴らも居る。
そんな場所から小舟で流れて来たなんて、もしかしてニニアン、【黒い牙】に捕まってて逃げ出したんじゃ……?


「……ニニアン、連れて行った方が良いかもしれません」

「アカネ? どうしてだい」


疑問符を浮かべるエリウッド様に、彼女が【黒い牙】に狙われている可能性がある事を教える。
それなら尚更 連れて行ったら危険じゃないかとも思うけど、もし連れて行かないならこの海賊船で待っていて貰う事になるよね。
わたし達を待つ為に、ファーガスさん達は魔の島の近海で待機していてくれるそう。
もしニニアンを狙って黒い牙がやって来たら……!
ファーガスさん達はとても強いみたいだけど、下手に巻き込んでしまっては危ない。
それに万一、戦いが起きて船が破壊されれば帰る手段が無くなる。

その考えを言うとリンが賛同してくれて、彼女はそれだけじゃなく、ニニアンの心も気遣う。


「アカネの言う通りだと思うわ。それに記憶を失っているニニアンを、彼女を知る人が一人も居ない場所に置いておけない。きっと不安で押し潰されちゃうわ。そのうち記憶も戻るかもしれないし、連れて行きましょう」

「……そうだな。確かに、僕らが傍に居て守ってあげた方が良いかもしれない。……僕らは今からあの島に行くけれど……君も来るかい?」


エリウッド様の言葉に、ニニアンは少し躊躇いがちに視線を泳がせた。
だけどリンの心配通り、記憶を失った自分の事を知っているわたし達と離れるのが不安なのか、ややあって頷いた。


「はい……どうか、一緒にお連れください……」


こうしてニニアンと思わぬ所で再会したわたし達は、彼女を連れて魔の島ヴァロールに上陸した。
ファーガスさんは2週間なら待ってやれるから、それまでに決着をつけろと言ってくれる。
お礼を言うエリウッド様にファーガスさんは。


「生きて帰って来い! それが最高の礼だ!」


なんて言って見送ってくれた。
かっこいいなあ、豪傑な海賊って感じだあ!

海賊達に一旦 別れを告げたわたし達は島の奥を目指して進み始める。
この島は大部分が深い樹海で覆われていて、霧も深くて視界が悪い。
そして船上でこの島を見た時に感じた嫌な予感……どうしよう、どんどん膨れ上がって来る。
体調はそんなに悪い訳じゃないから心配かけないようにしなくちゃ。
これからきっと戦いが待ってる、気持ちを切り替えないと!


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