烈火の娘
▽ 2


だけどウーゼル様にも、サンタルス候の死やわたし達がラウスを落とした報は届いているはず。
結構な事態になって来ているのに特に使いが来たりはしてない。

ヘクトル様が仰るには、軍事国家である隣国ベルンが嫌な動きを見せていて、
リキアが付け入る隙を見せたらすぐにも攻め込んで来そうなんだって。

それで他国に現状を知られないようにする為に、盟主であるウーゼル様は表立っては動けないみたい。
内乱になりそうな騒ぎが起きてるなんてバレたらまずいよね。
マシューさんみたいな密偵も居る事だし、秘密裏に何かやるしかない。

割り当てられた部屋がある階、少しでも気分転換しようと廊下の窓から外を眺めていると、背後から「あ」と声が聞こえて来た。
振り返ってみればフェレ家の従騎士であるロウエンさん。

ボサボサになった緑色の髪で目元が隠れて表情が読み難いけど、基本が実直で真面目だから嫌な感じや不潔な感じは全くしない。
彼はその手に、鎧姿には不釣り合いな可愛いバスケットを持ってる。


「アカネ様、もう体調はよろしいのですか?」

「はい、少しずつ回復して来ました」

「良かった! あの、倒れられてからあまりお食事を召し上がっていないようでしたので、少しお菓子など作ってみたのですが……」

「え、ロウエンさんが?」

「はい!」

「……騎士のお仕事ってお料理も含まれてるんですか」

「いいえ、おれが個人的にやっています。エルバート様が行方知れずになられてから、エリウッド様の食が細くなっておりまして。
旅に出てからおれが作ってみたところ、いつもより多くお召し上がりだったので。それからはずっと」


ひえ、すごい!
従騎士ってキッパリ言っちゃえば下っ端だから、色々と雑用も含めた仕事があって大変そうなのに、そんな事まで。

食欲が出なくてしばらく少ししか食べていなかったから、有り難くお言葉に甘えた。
部屋に招いておやつの準備をして貰う。
小さなテーブルの上、バスケットから出されたのはアップルパイ。


「あ、アップルパイ! わたしこれ大好きなんです!」

「やっぱりそうだったんですね、エリアーデ様の大好物で……あっ」


しまった、と言いたげな様子で言葉を詰まらせたロウエンさん。
そうか、エリアーデさんの好物だったのか、アップルパイ。

……なんて冷静ぶってみても表情まで繕えなかったようで、ロウエンさんが目に見えて焦りながら頭を下げて来た。


「も、も、申し訳ありません! あなたはエリアーデ様ではないと聞いていたのに……!」

「……大丈夫です、気にしないで下さい」


何とか薄い笑顔を作って穏やかに言葉を返す。
力無い笑みだったと思うけど、優しい感じに見え……てたらいいな。

つい表情に出してしまったものの、仕方ない事だとも分かってる。
特にフェレ家の人達はエリアーデさんの帰還を心から望んでるよね。

わたしがそれ以上何も言わなかったからか、ロウエンさんはもう一度頭を下げた後に準備を続けた。
紅茶を淹れて貰って、アップルパイを切り分けて貰って。

現金なもので、美味しそうなテーブルの上の彩を見たらエリアーデさんの好物を用意された事なんて思考の彼方に行ってしまった。
一口食べれば今の状況すらどこかに消えて行く。


「お、おいしい……!」

「喜んで頂けたようで何よりです」


さっきの失言を気にしているらしいロウエンさんがホッと息を吐く。
わたしの事をエリアーデさんだって思われるのは、辛くなっちゃうだけで決して怒りたい訳じゃない。

調子に乗って3切れも食べてしまった。
太っちゃうかな、なんて思ったけど、最近あんまり食べてなかったからプラマイ0…になってるといいな。


「ありがとうございますロウエンさん。久し振りにお腹いっぱい食べちゃいました」

「ご満足頂けましたか? 気が落ち込む時はお好きな物を召し上がって下さい。
“腹満たされずして心もまた満たされず”と申しますでしょう」

「え、そんな言葉 初めて聞きましたよ」

「では覚えて下さいね。食は人生の一大事、幸福には不可欠なものですから!」


何だか思ったより面白い人みたい、ロウエンさん。
たまらずクスクス笑ってしまったけど、彼は気を悪くするどころか、嬉しそうに口元が笑みを形作る。

確かに食べなきゃ生きていけない。
空腹でも幸せを感じる事は出来るだろうけど、そこでお腹が満たされればもっと幸せになれるはず。
お腹が空き過ぎると地味に辛いんだよねえ……。

これを切っ掛けに食事の方も量を戻せた。
そうなると、心なしか体調の方も良くなって来た気がする。
こうして気を回してくれたロウエンさんには感謝しかないよ。


++++++


事態が動いたのはそれから更に2日後、ラウスを落としてから5日が経った日だった。
方々を調査していた偵察の人達から、ダーレンを見付けたって伝令が来た。
けれど奴らはどこかへ移動していて……向かう先はキアラン。
一刻も早く助けに行かなければとわたし達もキアランへ向かう事に。


「……リン、みんな……」


何も言わずに出て来てしまった温かな場所。
わたしがキアランを去って20日ほどが経った。
一緒に居た時間の方が圧倒的に長いのに、やけに懐かしい気がする。

だけど今はリン達も命の危機に直面してる状態。
無事に再会できるか……信じてはいるけど、どうしても不安。


*back next#


戻る

- ナノ -