5
「ナビィ、ナーガ! 逃げてッ!!」
突然響いたカヤノの叫び声。
成り行きを呆然と見ていたナビィとナーガはその声に我に返る。
「逃げてって、アナタを見捨てられるワケないでしょ!」
「かやの、たすける!」
「駄目! みんな捕まったら誰がリンクに事情を説明するの!? お願いだから逃げて、リンクの力になってあげて!!」
「ダーク、その子竜を連れて来い」
カヤノの必死の言葉を意に介さず、ガノンドロフが命じる。
すぐ傍に居たナーガは逃げ出す隙も無くダークに掴み上げられた。
次いでナビィにも手を出そうとするダークだったが、彼女はその羽を使い高く飛び上がる。
「そのまま逃げて!!」
「そんな……イヤよカヤノ! ワタシ、あなたから離れたくない!」
「駄目なの、それじゃ駄目!」
ここで連れ去られればどうなるか分からない。
命が危ぶまれる今の状況において、リンクとの再会は絶望的に思えたカヤノ。
リンクへの事情の説明もあるのだが、それ以上に。
……伝えて欲しい。
もう会えないかもしれないリンクへ、自分がどれ程リンクを待ちわびたか。
恋愛感情かどうかは分からなかったが、自分がどれ程リンクを好きだったか。
それを伝えて欲しい。
カヤノは涙をぽろぽろ零しながらナビィへ声を張り上げた。
「最後かもしれない私のお願い聞いてっ!!」
それが合図になった。
ナビィは悲しみを声にありったけ乗せて、涙声で名を呼びながら空高く飛び去って行く。
「カヤノ……! カヤノ、カヤノッ!!」
青い光を放つナビィは、すぐ晴れ渡った青空に溶けて見えなくなる。
妖精の一匹くらいは何とも無いと思ったのか、ホウキで空を飛べるツインローバはナビィの後を追おうとはしなかった。
先程、ツインローバの魔法によってナボール達 味方ゲルドの主力は消え去った。
ダークは裏切り、ナーガも捕らわれて動けない。
「(……もう、終わり、……みたいね)」
力無く涙を零しながら、カヤノは脱力した。
せめてもう一度リンクに会いたかったと、心の中で嗚咽を漏らしながら。
++++++
あのクーデターの日以来、久々に訪れる城下町とハイラル城。
城下町の城壁へ近づくにつれ空が曇り、魔力の瘴気で酷い澱みが出来ていた。
覚悟はしていたが城下町は惨憺たる有様。
薄暗くて人っ子一人おらず、建物は荒れ果て何十年も人など住んでいないよう。
しかし何よりカヤノを驚かせたのはハイラル城の変貌。
城下町は荒れ果て廃墟となっていたが、まだ街の面影はあった。
破壊されているだけで、少なくとも町の造り自体が変わっている訳ではない。
だがハイラル城の様子はどうだ。
かつてリンクと共に忍び込んだ緑溢れる敷地は、荒れて草木の一本も無い。
そして何より白く美麗だったハイラル城が、黒くおぞましい城に変貌している。
周囲は深い溶岩の堀で覆われ、その中心に浮いた台地の上に城が建っていた。
内部ももはや昔訪れた頃の面影など残っていない。
カヤノはダークやナーガとも引き離され、一室に閉じ込められた。
なかなか広く豪奢な部屋……王族の誰かの部屋だったのかもしれないが、完全に変貌している今の城では考えても無意味だろう。
その部屋は壁の一面が全面窓になっており、カヤノはそこから外を見る。
曇り空と薄暗い視界。ただただ気が滅入るだけだった。
「ナビィ……無事に逃げられたわよね? どこに行ったんだろう」
牧場か、カカリコ村か……ひょっとしたらコキリの森?
どこに居るのでも無事でさえ居てくれるなら良い。
そしていつかリンクと合流し、彼に想いを伝えてくれるなら……。
と、そこまで考えた所で部屋の扉が開いた。
ハッとして振り返ると、そこには悪の親玉。
「あ……」
思わず全面窓を背にして体をくっ付ける。
しかし身を引いても意味は無い。
この部屋にも、この国のどこにも、逃げ場は無いのだから。
ガノンドロフは扉を閉め……鍵も閉めると無遠慮に歩いて来る。
昔、城下町で会った時は彼の事を恐いと思わなかったが、きっとあれは気のせいだったのだろう。
何故なら今、こんなにもガノンドロフが恐い。
あと一歩で密着するという所まで踏み込まれる。
青ざめて小さく震えながら見上げる事しか出来ないカヤノを、ガノンドロフはただただ見下ろして来るだけ。
その視線や表情からは何を言いたいのか、したいのか窺えない。
暫くその状態が続いた事で少し恐怖が削がれたのか、カヤノは思い切って口を開いた。
「……あの。私、に、……何の用があるんですか」
あの場で殺さず連れ去ったのだから、何かある筈なのだ。
結局殺されるにしても、一旦は連れ帰る必要のある何かが。
ガノンドロフは答えない。ただ見下ろして来るだけ。
だがそれも長くは続かなかった。
カヤノを見下ろしたまま紡がれた言葉は。
「お前の望みを叶えたまでだ」
「……え?」
「これはお前が望んだ事だ。……カヤノ」
言い終わるや否や、カヤノを担ぎ上げるガノンドロフ。
突然の行動に驚いてろくに抵抗も出来ないまま運ばれ、落とされた先の背中には柔らかい感触がある。
そこがベッドだと気付いた時には遅く。
ガノンドロフが覆い被さるように迫って来る。
「あ……ま、待っ、なに、を」
「この状況で何をされるか分からん程に物知らずなのか、現実を受け容れたくないだけか」
後者だ。
いくら“そういう事”に疎くても、この年齢まで育って、そしてこの状況まで持って来られたら理解せざるを得ない。
『カヤノみたいな子は、初めては好きな人の為にとっとくもんさ』
以前、優しくそう言ってくれたナボール。
思わずリンクとの事を想像してしまったカヤノ。
そんな思い出に皹が入って行く。
ガラガラと音を立てて崩れて行く。
「いや……」
恐怖に震える弱々しい抵抗に、ガノンドロフは反応しない。
言葉だけで効果がある筈も無いが、押し返そうとする腕にも力が入らない。
「やめ……お願い、やめっ、んっ!?」
一瞬で息が詰まり、自分の状況をすぐ飲み込めなかった。
しかしガノンドロフに唇を奪われている事に気付いた瞬間、弱々しかった抵抗に力が籠もり始める。
「ん、んんーっ!」
覆い被さって来る奴の体を必死で叩いてもビクともしない。
声を発しようとしていた為に息が続かなくなり、ようやく解放された時には肩で息をするほど呼吸が荒れた。
ガノンドロフを見上げるカヤノの瞳は恐怖で濡れ、かたかたと唇が小さく戦慄いている。
「あ、あ……」
「手荒にされたくなかったら大人しくしていろ」
その言葉に心臓が止まりそうになる。
本当に止まってくれたら楽だったのかもしれないが、カヤノを縛る運命はその最終的な逃げすら許してくれない。
『カヤノ』
恐怖と絶望に浸食されながら、思い浮かぶのは自分に向けられるリンクの笑顔、自分を呼ぶリンクの声。
今は思い出の中に縋るしかないその幸福の象徴すら、自分を蹂躙せんとする悪の王に塗り潰されて、消えて行く。
かみさま、
これは、
罰ですか。
−続く−