ダークが剣を抜きインパへ切っ先を向ける。
インパはそれにも怯む事なく、カヤノを抱き込んだまま苦しそうな顔で答えた。


「ここには魂が残っている。苦しみ抜いて死んだ者達の恐怖と悲愴と絶望が渦巻いている。私はシーカー族としてこの者達を解放してやりたいのだ」

「そのためにカヤノが苦しんでいるんじゃないのか」

「……そうだ。だが、きっともうカヤノにしか出来ない……」


相変わらず耳と頭が引き裂かれそうだが、インパに抱き込まれているお陰で背筋の冷たさが緩和された。
すると響き渡る悲鳴の中、一瞬だけ違う声が聞こえる。


『たすけて』


「あ……?」


その声を認識した瞬間、今までの悲鳴の轟音が嘘のように静まる。
塞いでいた耳を放して立ち上がると、一歩一歩ゆっくり歩を進めた。
インパ達は突然の雰囲気の変化に、ただ後を付いて行くしか出来ない。

奥の壁にあった重い鉄扉を開いた先。
その大きな部屋は恐らく本格的に拷問が行われていた場所。
磔にする為の木組みや鉄のテーブル、壁や柱に繋がれている鎖と拘束具。
それらの器具、床や壁にも血が染み込んでおり、惨劇は容易に想像できた。

ここで数えきれない程の者が凄惨に痛め付けられ嬲り殺しにされた。
空気が淀み重く圧し掛かって来るように感じるのは気のせいではないだろう。
助けを求める声は先程の悲鳴ほどではないものの、またも無数に大きくなっている。
カヤノは両手を合わせると目を閉じて祈り、切なそうな表情で目を開いて部屋を見回す。


「苦しみは終わりました。もう、あなた方は本当は痛くも苦しくもないんです。ただ味わった恐怖に縛られているが故に、そこから痛みと苦しみを受けているだけ。呪縛から解放して差し上げます。天の楽土へお行きなさい」


両手を広げ、全てを抱き締めるように。
巫女の一族が持つ恐怖を和らげる力を最大限に放ったカヤノ。
するとみるみるうちに、圧し掛かって来るようだった空気が軽くなる。
部屋の様子は何も変わらないのに、淀みすら消え去ってしまった。


「……インパさん、これでよろしいですか?」

「あ……ああ。ありがとうカヤノ、怖い思いをさせたな」

「いいえ。亡くなってからもずっと苦しみ続けていた彼らに比べたら。ところで、どうしてインパさんが彼らを解放しようと?」

「ここで立ち話も気が滅入るだろう。家に戻ってから話そう」


確かに、空気が軽くなったとは言えここは無数の人が惨殺された拷問部屋だ。
外へ出ようと部屋を後にするが、カヤノは退室する直前、背後に声を聞いた。
悲鳴でも、助けを求める声でもなく、悲しそうな声で。


『ああ……あなた……も……』

「……?」


振り返ってみたが当然だれも居ないし、それ以上は何も聞こえない。


「かやの?」

「え? あ、何でもないわナーガ。行きましょう」


早く立ち去りたいのも事実なので、もう気にしない振りをして拷問部屋を後にする。
来た道を戻り、井戸から出て太陽の光を浴びた時は心底ホッとした。
……あの部屋で苦しみ抜いて死んだ者達も、また太陽の光を浴びたかっただろうに。

インパの家へ戻ったカヤノ達は、彼女に話を聞いてみる。


「それでインパさん、話を聞かせて下さいますね」

「……まずカヤノ。以前お前に、昔の私はシーカー族の使命に納得できず反発していた、と話したのを覚えているか?」


確かハイラル城下町でゼルダと遊んだ日の夜。
すっかり暗くなった城下町でガノンドロフと会った所をインパに助けて貰った時。
リンク達の所へ戻りながらそんな話をした覚えがある。


「はい、覚えています」

「……前ハイラル王は実に排他的で、異なる神を信仰する事を禁じていた。交流があった隣国ジェンシー王国は異なる神を信仰していてな」


ジェンシー王国はハイラル領ではないのだから異なる神を信奉していても批判できない。
だが他の神を認めていなかった前王(ゼルダの祖父)は、ジェンシー王国を良く思っていなかったそうだ。
それで戦争に勝利したのを切っ掛けに改宗を強要し、応じなかった者達を拷問によって惨殺するよう命じた。


「それを命じられたのは、シーカー族だ」

「……! で、ではインパさんが一族の使命に反発していたのは」

「そういう事を行っていると知ったからさ。そのような事を命じる王家も嫌いだった」


インパが使命を受け入れられたのは、旅をして国の人々を好きになったのが切っ掛け。
そして王妃と姫に仕えているうちに誇りさえ持てるようになった。
つまり国に住む人々を好きになったので、彼らを守る為に汚れ仕事も行う覚悟が出来たという事。


「もちろんあの虐殺に関しては今でも納得できないし惨い事だと思う。しかし王家に仕える運命だけは受け入れる事が出来た」

「それで……シーカー族として、ジェンシー王国の人々を供養しようと私を……。だけど、どうして私だったんですか?」


カヤノが持つ不安や恐怖を和らげる巫女の力を、インパは知らない筈だ。
地下に下りる前に魔法を見せて欲しいと言われて見せたので、魔力に活路を見出してそれで何とかして欲しいと思ったのかもしれないが。


「それにあの凄まじい悲鳴……私以外に聞こえなかったのも何故なのか……」

「悲鳴か。実際の悲鳴ではなく、殺された人々が縛られていた恐怖の具現化かもしれない。カヤノは何か特殊な力を持っているようだし、それで聞こえたのではないだろうか」

「なるほど。確かにそうかもしれません」

「ちなみにカカリコ村の墓地の奥には、処刑場もあったそうだ。そこではジェンシー王国の王族や上流階級の処刑が行われていたのだろうな……」

「ハイラル王国もそんな後ろ暗い歴史があるんですね……」

「ああ。我々はこの美しいハイラルを守らねばならない。それには“美しく見えるよう暗部を隠さねばならない”という意味も含まれている」

「……」


それで話が終わってしまった。
なぜ供養を自分に頼んだのかという質問をはぐらかされてしまった気がするが、インパがそれに関して言おうとしないのには理由があるのだろう。

そこでふとカヤノは、一つ気になる事を思い出して訊ねてみた。


「そう言えばインパさん。私は以前、シークと名乗るシーカー族の少年に出会いました。あの人はインパさんのお知り合いですか?」

「! シーク……か……。そうか、会ったのか。まあ知り合いだ。決して悪い者ではないから安心してくれ」


詳しく話してはくれなかったが、詳しく訊ねなかったので仕方が無いか。
悪い人ではないと確信がついただけでも収穫だ。

もう一度外の空気を吸いたくなって、インパの家を後にする。
ダーク以外の全員が、ふぅ、と体内に溜まった息を一気に吐き出した。


「カヤノ、具合は悪くない? さっき本当に苦しそうだったから」

「もう大丈夫よナビィ、ありがとう」

「カヤノが苦しいならナビィ、お前が癒やせばいい」

「……ダークそれ、ワタシに命を使えって言ってるのよね?」


妖精はその命を使って傷や病を癒やす事が出来る。
そして命を使った後は消滅し、また妖精珠として生まれ再び妖精になる。
しかしカヤノはナビィにそんな事をして貰うつもりは無い。
大切な友人である彼女とお別れなんて絶対に嫌だし、打算的な話をすれば、彼女がデクの樹から授かった敵の情報を得る力は惜しい。


「もう、ほんっとカヤノ以外はどうでもいいのね!」

「どうでも良くはない。ただカヤノが最優先というだけの事」

「いいもんいいもん、ワタシはナーガと仲良くしてるもん!」

「だーく、なびぃ、かやの。みんななかよく!」

「え、待ってナーガ。今の流れで私も怒られるの?」


こうして仲間達と話していると、一人じゃないと強く強く実感する。
ガノンドロフ達が一体いつ聖地から出て来るのか、もう出て来ているのかは分からない。
相変わらずハイラル城下町やハイラル城には危険で近付けないのだ。
そんな不安とリンクが居ない心細さも、仲間と居れば緩和される。
ハイラル各地を転々として人々の温かさに触れれば癒される。


「(ああ、私……この国、好きだなあ)」


カヤノは心からそう思った。




−続く−


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