それは長く、もどかしい時間だった。
ガノンドロフはリンクが開いた扉から聖地へと侵入したが、神が用意していたらしいガーディアン達に阻まれ、思うように進めない。
それでも少しずつ配下を使い攻め続け、今では聖地の1/3がガノンドロフの手に。
トライフォースを手に入れハイラルを、ゆくゆくは世界を支配する。
その思いの中、片隅にぽつんと、しかし他のどんな欲望とも違うはっきりとした形を持つ少女が居る。
それだけが色鮮やかに浮かび上がり、ガノンドロフの心を満たした。


「……カヤノ」


あの様子では何も覚えていないのだろう。
しかしガノンドロフは確信を持っている。
間違いなく彼女は自分が欲したものだと。

かつての……表向きは美しくとも裏で暴政を敷いていた頃のハイラル王家の犠牲となり、歴史の闇に封じ込められてしまった哀れな犠牲者。
歴史の犠牲者など、どんな国のどんな時代にでも居るものなのだろうが、関わり親しんでしまえば“よくある事”などと片付けられないのは当たり前だ。

覚えていなくとも構わない。
今のカヤノを手に入れて我が物とするだけ。

現在ハイラルは野放し状態だが配下の魔物を放っている。
国も機能していない今、大掛かりに討伐されるような事は無い筈だ。
聖地を制圧して戻った時には国を魔力が覆っている事だろう。

だがトライフォースを手に入れるまで後どれくらい掛かるか分からない。
トライフォースを手に入れ、ハイラルへ戻って支配を盤石なものにして……。
そうしなければカヤノを取り戻しに行けない。
カヤノを優先して万一にもトライフォースを入手し損ねれば事だ。
今こうして聖地へ侵入できたのだから、目的を達するまで出るべきではない。


「カヤノと共に居たあの小僧……確かリンクとか言ったか? どうやら聖地のどこかに封じられたらしいが、戻って来られると邪魔だな」


例え先にカヤノと再会されたとしても始末すれば良いが、面倒が増えてしまうのは望む所ではない。
手に届きそうな所にあって届かないカヤノに、ガノンドロフは歯噛みした。


+++++++


「なあカヤノ、オマエなんかでかくなったよな?」


切っ掛けは、ミドのそんな言葉。
気が付けばコキリの森に戻ってから2年。
14歳も過ぎたカヤノは、成長しないコキリ族達と比べると浮いていた。
彼らが心配で、そしてここでの生活が楽しくてずっと滞在していたが、そろそろ潮時なのかもしれない。

きっとコキリ族の誰もが浮かべていたであろう疑問をミドが口に出した次の日、カヤノは旅立つと友人達に告げた。
もちろん引き止められたが、これ以上は一緒に居られない。


「じゃあ皆、行って来ます。元気で居てね」

「それこっちのセリフだよ!」

「気を付けてねカヤノ、無茶はしないで」

「ナビィとナーガも元気で!」

「次はリンクと一緒に帰って来てくれよな!」


別れを惜しんでくれる言葉に後ろ髪を引かれそうになるが、何とか耐える。
寂しそうな顔をしたサリアが進み出てカヤノの手を取った。


「……カヤノ、また見送る事になるなんて……やっぱり寂しい、な」

「惜しんでくれてありがとう、サリア。でも私は皆を、皆が生きる世界を守りたい」

「うん。きっとカヤノもリンクもそういう運命なんだよね。あたし祈ってる。二人が無事でいるように、帰って来られるように」


掴んだままの手をぎゅっと握られる。
その温もりをずっと感じていたいけれど、時の流れはそれを許さない。
名残惜しそうに手を離し、カヤノは踵を返した。
もう“コキリの皆と一緒に過ごしたカヤノ”としては戻れないだろうと予感しながら。



2年振りのハイラル平原は相変わらず淀んだ空気を孕んでいたが、それでも森の中では木々によって狭められていた空が大きく開け、青空と流れる風によって爽やかさを一番に感じる。


「ナビィ、次はどこに行こう」

「そうねえ……そう言えばルト姫の所に遊びに行くって約束してなかった? 平和になったら、みたいに言ってた気もするけど、あれから2年半も経ってるから心配なさってるかもしれないよ」

「じゃあゾーラの里に行きましょうか」

「さかな!」

「さ、魚? ナーガ、魚って?」

「おいし、かった!」


記憶を辿ると、ジャブジャブ様へお供えする為の魚を捕まえていた時、ナーガがせっかく捕らえた魚を食べてしまった事を思い出す。
よっぽど美味しかったのだろうか、夢見るような顔でうきうきと首を揺らすナーガは、見ていて微笑ましさと愛しさが募って行く。

その時。
どこからともなくハープの音が聞こえた。
その出所を探って視線を巡らせたカヤノの目に飛び込んだのは、少し離れた木の幹に寄り掛かってハープを爪弾く一人の少年。
青いぴったりとした服を身に付け、口元と頭を白い布で覆って目元しか見えない。
その目元も前髪によって片目が隠れており、素顔はほぼ窺えなかった。
胸の辺りには涙を零す一つ目の紋章が描かれており、どこかで見たような……と思っている間に少年が視線は落としたまま声を掛けて来る。


「……待つのは、辛いかい?」

「え?」

「勇者の目覚めはまだ遠い。待ち遠しいものは余計に遠く思えるだろう」

「……!」


勇者、とはきっとリンクの事だろう。
リンクの事を知っている……安易に味方だと断定はしない方が良さそうだ。
カヤノは近付く事なく距離を取ったまま質問に答える。


「今はまだ辛くないわ。ナビィとナーガが一緒だから」

「そうか」

「だけど……寂しい。リンクも寂しい思いをしなければ良いけど。何年で目覚めるか分からないけど、失った時間は戻らないでしょう?」


国を、世界を救う為とはいえ青春時代の多くを失う事になる。
生きる時間を失うのは、やむを得ない理由があったとしても辛いだろう。
少年はハープの音を止め、ようやくカヤノの方へ目を向けた。


「勇者はいずれ失った時間を取り戻すだろう」

「……どうやって?」

「王家の秘宝、時のオカリナ……あれを使えば聖剣を引き抜く前に戻れる」

「時のオカリナにはそんな力もあるの? ……だけど、待って。聖剣を引き抜く前に戻っても、同じ事の繰り返しになるでしょう」

「時のオカリナを用いれば、記憶を保持したまま時を移動できる。そうして持ち得た“武器”をどう使うかは彼次第だ」


つまり目覚めてからガノンドロフを倒し、その知識を利用して元の時代に戻ってから奴を、という事だろうか。


「ボクはシーク。君はカヤノ、だったね」

「! どうして私を……!」

「ボクはシーカー族の生き残りなんだ」

「シーカー族って、確かインパさんと同じ……」


王家に影から仕え支える運命を背負った一族。
それならばカヤノやリンクの事を知っていてもおかしくないか。
言われて思い出したが、少年……シークの胸元に描かれている紋章。
涙を零す一つ目のシンボルを、インパは首元に身に付けていた気がする。

シークはカヤノの元へ歩いて来た。
悪意も何も感じない雰囲気で逃げる事が出来ず、手を伸ばせば触れられる所まで接近された。
ナビィは警戒を滲ませるが、ナーガは平然としている。


「君からは懐かしい匂いがする」

「ど、どんな、匂い?」

「優しい、甘い……とても愛しい匂いだ」

「……」


そんな事を、落ち着くような甘い声で異性に言われれば照れざるを得ない。
平然としている辺りシークに他意は無いのだろうが。


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