王妃ヒルダは微笑んでいた。
……生前の話である。

ハイラル王の妻にして王女ゼルダの生母。
ゼルダを産んでから体調を崩し、一日の多くをベッドの上で過ごす。
病床から見る部屋の美麗な石壁は難攻不落の牢獄と何も変わらないが、それでも王妃ヒルダは微笑んでいた。


「おかあさま、もっとお話きかせて!」


ベッドに入ったまま上体を起こしているヒルダの隣、まだ4歳になったばかりのゼルダがはしゃぎながら話をせがんだ。
それを苦笑しながら止めるのは、王妃母子に仕えるインパ。


「姫様、そろそろお部屋に戻りましょう」

「ええ? もうちょっといいでしょうインパ……」

「王妃様はご病気なのですよ。たくさん休んで頂かないと」

「あ……そうね。ごめんなさい、おかあさま」


本当に良い子に育った。育ってしまったと思う。
この歳にして言った我が儘をすぐ引っ込めてしまう子。
母の体調の事があるとしても、相手の顔色を窺う癖が付いているように思う。
ヒルダは微笑んでゼルダの頭を撫でた。


「もう少しお話ししてあげましょうか?」

「ううん……おかあさまのぐあいが悪くなったらイヤだもの……」

「優しい子ね、ゼルダ。じゃあまた明日ね?」

「はい。おやすみなさい、おかあさま」

「おやすみなさい」


侍女に頼んでゼルダを部屋に戻らせる。
インパが残ったのは、ヒルダが彼女に話があるからだ。
ゼルダと共に来る前から予め言っておいた。
人払いを済ませ、二人は話し始める。


「それで王妃様、お話とは一体?」

「あなたは知っているでしょう。私が母方から受け継いでいる血の事……」


かつて世界を支配しようと反乱を起こしたハイラル王家の分家。
強大な魔力を持っていた彼らは光の精霊によって影の世界に追放されてしまった。
ヒルダの先祖は分家の一員であったが、その考えに反対して本家に協力した為、追放を免れた。

一般的に魔法使いの血を引く者は魔力を受け継ぎ易いが、それには親の意思も重要だ。


「女には子宮という魔力を生成して溜め込める器がある……。だから一般的に女魔道士の方が、男魔道士よりも魔力が高くなり易い」

「はい、存じております。特に魔道士の胎内に宿る胎児は魔力の泉に浸かっているも同然。妊娠した時に意識して魔力を流し続ければ、何もしないより魔力をずっと多く子に受け継がせられると……」

「けれど私は、ゼルダにそれをしなかった」


力を持つという事は、それだけ平穏な生活から離れてしまうという事。
そんな人生までゼルダに受け継がせたくない、王女という立場はあるけれど、それを除けば平凡で幸せな人生を娘には送って欲しいと願っていた。

……しかし。


「どうやら私は、死期がそう遠くないようです。あと何日か何年かは分からないけれど」

「! 王妃様、そのような気弱な事を仰らないで下さい……!」

「いいえ、確かな事。死期を前に魔力が最後の輝きを放とうとしているのか、私には未来の色々な事が見える……いずれゼルダに試練が訪れます」

「試練、とは」

「はっきりと分かる訳ではないけれど……」


数年後、ハイラルを揺るがす争いが起きる。
国は一度 暗黒に包まれてしまうけれど、救いも見えた。
緑色に光る石を掲げ、妖精を連れた一人の少年。


「ゼルダもいつかそれを夢で見るでしょう。しかし実際にはあと一人」

「あと一人……」

「黒い髪と瞳を持つ少女が少年と共に。彼女もハイラルにとって救いとなる」

「その少女、姫様の夢では見えないのでしょうか?」

「運命と神の意志に遮られて見えない筈です。彼女はゼルダに深く関わり過ぎる」

「と、申されますと?」

「少女の名はカヤノ」


その名を聞いた瞬間、インパが息を飲んだ。
衝撃に目を見開き小刻みに口元が震えて……ややあって何とか口を開く。


「王妃様、確かその名は封じられた……!」

「ええ、今のハイラル王国にとって最大級の禁忌でしょうね」


言葉とは裏腹にヒルダは微笑んでいた。
その笑みは自嘲的なものだったが、その理由をインパは知っているので何も言えない。
そして同時に、死期を悟った王妃が心穏やかな理由も分かった。


「こうなるのなら、ゼルダに強い魔力を受け継がせるべきだったのでしょうか」

「王妃様……」

「……いいえ、もし魔法が未熟な時期に危機が訪れてしまえば、力を持っていたばかりに戦おうとして命を落とすかもしれない」

「その可能性もあります。確実な予知が不可能な以上は、何を言っても想像にしかなりません」

「そうですね。……インパ、もし未来の少年少女達が困っていたら、助けてあげて下さい」

「畏まりました。姫様が最優先にはなりますが、余力があれば必ず」


話したい事は話し終えた。
インパが部屋を後にし、下がらせた侍女達が戻るまでの一人の時間、ヒルダは愛しい娘に想いを馳せる。


「愛してるわ、ゼルダ。いつか必ず幸せになってね」


王妃ヒルダは、微笑んでいた。


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