カヤノがコキリの森で暮らし始めて一ヶ月が過ぎた。
祭りはとうに終わっているが、皆のリクエストを受けながら演奏を続けていたせいか、あれからコキリ族の子供達とはすっかり打ち解けてしまった。
カヤノ自身は相変わらず表情が殆ど変わらず、喋り方も抑揚が少ない上に感情が読めない。
が、話し掛けられて無視する事は無いし、遊びや手伝いを誘われたらそこそこ応対するので、コキリ族達はカヤノがそういう性格だと割り切っているようだ。

そんな中、カヤノの面倒をよく見てくれているサリアは、カヤノにちゃんと笑って欲しいと思っていた。
暗くて大人しいのはカヤノ本来の性格ではなく、何か辛い事があって沈んでしまったのではないのだろうかと。
さすがに直接訊ねるような事はしないが、何かと気にかけてくれていた。


「カヤノ、一緒に遊ぼう!」

「……うん」


カヤノは、12歳という子供の姿に戻った自分に戸惑っている。
家族から抑圧されずに過ごせること自体は非常に喜ばしいが、元の世界で自分が幼かった……、
まだそこまで家族への不満が無かった無邪気な頃を思い出してしまい、どうにも胸が苦しい。

厳しいけれど確かに優しさもあった、あの家族達はもう……。
カヤノ自身が、殺めてしまった。


「(……後悔? 今更? もうどんなに悔いたって、時間を戻す事はおろか謝る事すら出来ないのに)」


家族を殺めた事を後悔していると、認めたくなかったのかもしれない。
半ば開き直るような心で、かつての蛮行を忘れようと必死だった。


ある日 一人で居たカヤノは、誰かに名を呼ばれ振り返った。
そこには以前、迷いの森に入ったカヤノを探しに来てくれた妖精。


「カヤノ!」

「え……ナビィ?」

「覚えててくれたのね! 実はデクの樹サマがアナタの事を呼んでるの、一緒に来てくれない?」

「良いけど……」

「よかった、じゃあ早速行きましょ。あ、皆にはナイショにしててね」


妖精は顔が無いが、その代わりか声や雰囲気で感情が伝わり易い。
カヤノが了承した瞬間にナビィから感じた安堵や喜び。
今の自分よりよっぽど人間らしいと思えたカヤノから自嘲の笑みが零れた。
そんなカヤノを見たナビィが、どこか悲しそうな雰囲気を出す。


「ねえカヤノ……コキリの森での暮らし、楽しくない?」

「え? ……ううん、そんな事は……ないけど……」

「……ひょっとしてさ、カヤノって、あんまり笑った事ないんじゃない?」


その予想は的中している。
この世界に来る前から、最後に本当に心の底から笑ったのがいつか、なんて思い出せない。
久し振りの笑顔も、今のように悲しげで自嘲に満ちたもの。
何も言わず目を逸らしたカヤノに、ナビィは更に悲しそうな雰囲気を出し、躊躇いがちに言葉を続ける。


「ワタシが言える事じゃないけど、楽しかったら笑っても良いと思うわ」

「……ナビィは知らないのかもしれないけど。私、罪があるから。本当は楽しむ事自体が駄目なんだと思う」


沈んだ顔で言うカヤノに、ナビィは悲しそうな雰囲気を崩さない。
何だか辛くなってしまったカヤノは、呼んでいるのなら早く行こうとナビィを促し、デクの樹の元へ。

この世界に来た時 初めに降り立った広場に、大木であるデクの樹は変わらず鎮座していた。
カヤノを呼んで来ましたー、と明るく言うナビィに反応し、ご苦労だったと労ってから口を開く。


「どうじゃカヤノ、この森での生活には慣れたか」

「はい」

「楽しんでおるか?」

「……えっ?」


予想だにしていなかった言葉に、カヤノは驚いて目を見開いた。
デクの樹は神から、カヤノが贖罪の為にこの世界へ飛ばされたと聞いているのではないのか。


「……デクの樹サマ、私の事は神様から聞いていますよね?」

「ああ。しかし神は、お前の事をワシに任せると仰った。それならばワシの思う通りに過ごさせても構わない筈。楽しければ笑い、悲しければ泣き、腹が立てば怒る。そんな当たり前の生活をしなさい。そして、出来る限り楽しんで欲しいと思うておる」


カヤノは、そんなデクの樹の言葉に唖然とした。

笑って、泣いて、怒る。

最後に心から笑ったのはいつだっただろうか。感情を露にして泣いたのは?
怒りは……家族を殺める際のあれは憎しみで、怒りとは違う気がする。
とにかく、そんな“当たり前”と言われる事をしなくなって、一体どれだけ経ったのだろうか。
それをしても良いと、そうして欲しいと言われたのは初めてだった。

心臓が高鳴り始めて胸が苦しい。
しかしそれでも、涙が出て来るような気配は感じられない。


「……私、どうすれば良いのか分かりません。楽しくて笑うって、感情が昂って泣くって、どうすれば良いのか……思い出せない……」

「カヤノ……」


自分の胸元を押さえ、衝撃を受けたように目を見開き、息苦しい思いをしながら……それでもカヤノの表情は、笑顔や涙に繋がらない。
デクの樹はそれを見て憐れに思う。
こんな少女が、笑う事も泣く事も出来ないような生活を送っていた。
そして今も、こうして苦しんでいる。
本人に苦しんでいる自覚は無いかもしれないが、見ていれば分かる。


「カヤノよ、今はまだ上手く行かぬかもしれん。ゆっくりでよい。お前の思うままに過ごしてみなさい」

「はい……」


その優しい声に、カヤノはふと、自身の父親を思い出した。
厳しく、カヤノが家族を殺める最終的な切っ掛けとなった父。
しかし思い出せば、優しく愛してくれていた記憶も確かにある。
それでも、神の与える運命を呪い嫌ったカヤノにとって、父の優しさを思い出したからと言って即座に反省したり後悔したり出来ない。
自分を抑圧していた父の姿も同時に浮かんだりして、もうどうすれば良いのか分からなかった。

ひとまずカヤノは本当の父を記憶の隅に追いやり、このデクの樹を父親だと思う事にした。
コキリ族の“親”らしいし、全くの的外れでもないだろう。


「ところでデクの樹サマ、私を呼んだのはこの話をする為だけですか?」

「いいや。お前には酷な話かもしれんが……運命に備えて貰いたいのだ」


それを聞いた瞬間、カヤノの肩がビクリと跳ねた。
贖罪の時間とやらが遂に来るらしい。
デクの樹の話によると、必要な道具があるのでナビィと二人で取りに行って欲しいとの事。
集落の中なので、迷いの森のような危険な事は無いらしい。
どうせ拒否権は無いのだから、問答などはせず早めに済ませたい。


「分かりました。ナビィ、案内よろしく」

「うん。……あ、ワタシ、まだコキリ族の子達に姿は見せられないから、見付かりそうになったら隠れさせてね」


その理由は分からなかったが、訊ねる気も無いので了承しておく。

カヤノはナビィと共に集落へ戻り、やや小高くなっている高台の隅へ。
草に覆われた地面を掻き分けると、そこにはカヤノぐらいの子供一人が通れそうな大きさの穴。


「……入るの?」

「モンスターも居ない筈だから大丈夫よ。この先に必要な物があるの」


そう言われても、こんなに狭い穴へ入るのはさすがに躊躇ってしまう。
詰まったりしないだろうか、入った後に戻って来られるのだろうか。
試しに少しだけ入ってみると、見た目よりは余裕がある。
何にせよ行くしかない。
一つ息を吐いたカヤノは、観念して穴の奥へ入って行った。


穴の奥はちょっとした広場のようになっている場所だった。
先行して先を確認してくれたナビィが示す先、大きな宝箱があり、中には小ぶりな剣と木製の盾が入っている。


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