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紙幣や硬貨としてのお金が無く、支払いは全てこの市民証で行うらしい。
生体情報を登録しているので本人以外は使えない。
市民証の発行と同時に、銀行口座のような個人バンクなる物を貰え、手に入れたお金はそこに振り込まれる。
個人バンクと市民証は連結していて引き出しは市民証から行える。
……って、じゃあ個人バンクの意味って……?
わざわざ口座なんて作らずに直接市民証に振り込めばいいのに。


「税金とか罰金とか、固定された機械から集める方が効率いいらしいの。それに賢く利用してる人も居るわよ。月に決まった額を引き出した後に口座をロックして、その範囲内でやりくりしたり」


なる程、つまり変に考えず、手元でチャージが出来るおサイフケータイだと思えばいいわけか。
使い方を教わりながら操作すると、画面に【100000】という数字が出た。
何でも新規登録者には10万が支給されるとかで、やたら太っ腹だ。
紙幣や硬貨が無く全て数字データのみの取り引きだからか、円やドルみたいな単位は無いみたい。
……ん? 1=1円って考えていいのかな?
まさか10万って、1000円くらいとかじゃないよね。

取り敢えず、この街で生きて行くのに最低限必要な物は手に入った。
……そう思ってから、ふと、考える。

この街で生きて行く? これからずっと?
そもそもここは何処で、私は何故ここに来たの?
ここは日本じゃない。
でも言葉が通じるし……夢か、じゃなけりゃ異世界と考えるしかなかった。

楽しんでいた思考が急激に冷めていく。
ピーチ姫は優しくしてくれるけど、本心が見えた訳じゃない。
まさか何も無しに見知らぬ人の身柄を責任持って引き取るなんて、そんな家族同然の真似はしないはず。

日常が退屈で学校とかも嫌になって逃げ出したいと思った事がある。
夢小説のヒロインみたいに日常を捨てて、楽しい異世界にトリップしたいとも思っていた。
でも、現実に異世界にトリップしても、楽しくて皆親切で……なんて都合の良い事にならなかった。
心を大きく占めるのは不安と恐怖だと気付いた時、私は、どうしようもなく帰りたくなった。

これは現実、甘くない。
何か起きたらどうしよう……私には何の力も無い。
戦えないのに、怖いのなんて嫌なのに、痛いのなんて嫌なのに……。


「コノハ、大丈夫? 何だか顔色が悪いわよ」

「……ちょっと、具合悪いみたいです」

「急いで帰った方がいいわね、行きましょう」


車に戻って都市高速に乗り、今度は海沿いを走る。
ピーチ姫の家は観光業主体のイーストエリアにあるらしく、北から東へ、時計回りに外周を進む。

高い位置にある都市高速から、突き抜けるような蒼さの空と煌めく碧い海が見えた。
文明の進んだ未来都市でもこれは変わらない。
自分の世界と何も変わらない空と海に安心して、少し落ち着く事が出来た。
それにしても、大金持ちしか住めないって聞いたイーストエリアに家があるなんて、さすが姫……。
って、この世界じゃ姫じゃないみたいだけど。


+++++


1時間後、ピーチ姫の家に辿り着いた。
勿論単なる家ではなく、眼前にあるのは広大な庭が付いた、海辺の高台にある豪奢な屋敷。
ビルばかりだった他の場所と違い、この辺りは普通に地球でも見かけるような豪邸ばかりだ。
ただ、やっぱりここにも違和感があるけれど。
本当に何なんだ。何かが足りないのに分からない。


「凄い、いい眺め!」

「私の家の3階から見てご覧なさいよ、もっと高くて良い景色よ」


門が自動で開き、車が屋敷内へ入って行く。
降りると、潮騒と風の音が耳に心地良い、静かな土地。
こんな所で暮らせるなんて、本当に素敵だなぁ。

……って、さっきまであんなに不安がってたのに、私って現金……。

鍵にもなるらしい市民証をセンサーに翳して玄関の扉を開け中に入ってみると。
……悲鳴を上げそうになった。いや、別に恐怖だったとかじゃなく。
広いエントランスではロボット達が掃除をしたり、忙しく働き回っていた。

ロボットって勿論あれ。
スマブラXに出たファミコンロボット。
ただ色からしてファイターの一員であるロボットじゃなく、
ザコ敵として亜空の使者に出て来た、量産型の白いやつだけど。


「すごーい、ロボットが家事してるー……」

「あらコノハ、あなたの居た所では家政婦ロボットは居なかったの?」


家政婦!? って事はまさかみんな女ですか!?
訊く勇気が無くて言えなかったけど、何だか見ていると可愛らしいのでどうでも良くなった。
屋敷の中は未来っぽくなく、むしろ中世のお屋敷みたいで素敵。
また別の異世界みたい。

私は荷物も無いので部屋に案内して貰うのは後にして、リビングでピーチ姫に訊いてみた。
どうして初対面の私に親切にしてくれるのか、その理由を。
訊くのは怖かった。
だって一体何を言われるか分からない。
ピーチ姫は少し黙って、ロボットが持って来たお茶を一口飲む。


「そうね、普通は不審に思うわよね。……コノハ、あなたが持ってるぬいぐるみ、どこで手に入れたの?」

「えっ……これは、ゲームセンターのUFOキャッチャーで……」


ケンジに取って貰ったピカチュウのぬいぐるみ。
言ってから、この世界でゲームセンターとかUFOキャッチャーとか通じるのだろうかと思った。
だって携帯電話って意味のケータイが通じなかったし。
ピーチ姫は案の定、ちょっと顔を顰めた。
ああ、やっぱり通じない……。


「そう、妙な所にあるものね」


あ、通じた。
妙な所って、別に普通じゃ……。

……いや、ここはピーチ姫が普通に居る、ロボットも居る。
ピカチュウだって、どこかに居るかもしれない。
それが特別な存在だったら?
ゲームセンターにぬいぐるみがありましたなんて不自然すぎる。
怖くなって恐る恐る訊いてみた。


「あ、の……ピーチさん。私なにか変なこと言いました?」

「いいえ、こちらこそ変なこと訊いてごめんなさいね。このままお茶にしましょう、後でコノハの部屋に案内するわ」


何なんだろう、不安だ。
ひょっとするとはぐらかされたのだろうか。
でも今は知り合いも居ないこの世界で、運良く転がり込んで来た幸運と親切に縋っておこう。
どうやって私の世界に帰るかは後で考える。
まあ、寝て起きたら夢オチでした、って言うのを一番期待してるけどね。

部屋に案内して貰い、少し一人の時間を貰った。
これからどうするか考えてみる。
やっぱりタダ飯食らいは良くないから働くべきだろうけど、家事はロボットが完璧にこなしてる。
となると、どこかでバイト探して働くか……。
私は、異世界からの唯一の道連れであるピカチュウのぬいぐるみをぎゅっと抱き締め、天蓋付きのベッドに寝転がった。

みんな今頃どうしてるんだろう。
お父さんとお母さんは私を心配しているだろうか。
ああ、明日マナとスマブラする約束してたのになあ……。

それに、ケンジ。
1年前の殺人事件の事を聞いて中途半端なままだった。
友達だし、彼に何か出来るならしてあげたい。


「ピーチ姫…あ、いや、ピーチさんに相談してみようか、ねえピカチュウ」


返事などある訳が無い。
だけど私は、この世界で唯一秘密を話しても良いであろう相手に、願いを込めて話し掛ける。
この子だけが、私が別世界の住人だと証明してくれる。
何だかこの世界の印象が強くて、元の世界を忘れてしまいそうで怖かった。


「帰った時に浦島太郎にだけはなりたくないよー……」


冗談半分、本気半分で私は呟き、いつの間にか眠りに落ちた。




‐続く‐


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