辞書にのらない
やさしさと欺瞞の天秤


「宇髄さんのお家ってどんな感じなんですか?」

駅で待ち合わせた煉獄さんと並んで歩きながら、今日のホームパーティーの主催者について尋ねる。
煉獄さん、宇髄さん、伊黒さん、蜜璃ちゃんの五人で月に1、2度開催される飲み会の延長で、今回は初めて土日にしかも宇髄さんのお宅でお昼からお酒を飲むことになった。
料理は任せろ、と自信満々に言っていたのできっとよくこうして男性陣は集まっているのだろう。

「そうだな、なんというか不思議な家だ。親戚から譲ってもらったらしい古い家を自分で改装しているぞ」
「へぇ、ご自身で……たのしみです」

蜜璃ちゃんは午前中からバイトがあり到着は3時ごろになるそうで、先にやっておいてくれとのことだった。
私ははじめての宇髄家訪問ということで最寄り駅で合流してくれた煉獄さんはさりげなく車道側を歩いてくれたり、お土産に持ってきお酒もするりと持ってくれる紳士っぷりできっとよくモテることであろう。

「駅から距離があるのが難点だが、車で来ると1泊コースになってしまうのでな。歩かせてすまない」

足元を気遣う煉獄さんにふるふると首を振る。
ヒールを履いてきたことまで見られているとは、彼はすごい。
天気もいいので歩くのも気分がいいですねと答えると、そうかと目元を綻ばす煉獄さん越しに違う男の顔が浮かぶ。

つい最近までお付き合いをしていた人もよく気のつく人であった。
女の人の扱いが上手で年上の彼のリードは私の知らない世界ですぐに虜になってしまった。
でもその女の扱いの上手さで気付くべきだったんだろう。一体誰が彼をそういう男に育てたのか。
妻帯者だなんて夢にも思わず、偶然知ってしまってからは逃げる様に別れたけれど未だに彼の面影をいたるところに垣間見る。

煉獄さんは全く悪くないんだけれどよく出来た行動にこうして時々嫌な影を見てしまう。
無意識に溢れそうになるため息を飲み込んで、今日のメニュウについて会話を再開する。

「七瀬さんはアレルギーはないのか?」
「そうですね、なんでも美味しく食べれちゃう方かと」
「それはよかった、宇髄の料理は多国籍料理だがうまいからな。伊黒は偏食家で好きなものしか食わないんだ・・・全部うまいのにもったいない」
「伊黒さんいつもそうですよね…お肉とかもあまり召し上がりませんし。魚介はお好きそっ、ひっく」

会話を遮って突如飛び出たしゃっくりに口元を抑える。
恥ずかしいやら驚いたやらで足が止まる。

「…ひっく」

必死に息を止めた甲斐もなくまた出るそれに焦れば焦るほど高い音でひくひく言ってしまう。

「…ふふっ、はははっ!」
耐えかねたかの様に吹き出した煉獄さんにそうしていると少年のようだと新たな一面に驚く。
しかしそんな驚き程度では治りそうもなく、また再度ひっくと声が漏れる。

「笑わないで、っく、ください、ひっく」
「すまない、可愛らしくてつい…」

ちょうど歩道にあったバス停に座らされると煉獄さんは向かいの自販機で水を買ってきてくれた。
キャップをきゅっとひねって軽く開けた状態で渡された冷たいペットボトルをお礼を言って受け取り一口、口に含む。
我が家は昔からゆっくりお水を飲むという方法でしゃっくりを治してきた。
うまくいくときと、いかないときと確率は半々くらいといったところか。

「…とまった…?煉獄さんなおりまし、ひっく」

「なおってないな」

口元を抑えて顔を赤くした私の様子に笑いを耐える煉獄さんが徐に荷物を隣のベンチに置いた。

「うちはいつもこうしているが、どうだろうか」

煉獄さんの大きな両手がこちらに伸びてきてぎゅうと両耳に蓋をする。
空気が遮断されて耳の中の気圧が変わる感覚と至近距離で向かい合った煉獄さんの美しい顔に心臓がどきりと不整脈を起こす。
20秒ほどであろうか、しばらくそのままにこにこと私の顔を見ていた煉獄さんの手が耳から離れると、空気が冷たく感じる。

「…とまったか?」
「どうでしょうか?…止まりましたね!すごい、ありがとうございました」

初めてのしゃっくりの止め方に驚きながら同じように両手の指先で耳を押さえてみる。自分でやるとさっき煉獄さんにやってもらったような完全密封にならなかった。なにかコツがあるのだろうか。
それにしてもこうもさらっとボディタッチというのか、顔まわりを触れてくる距離の近さはすごいと思う。
こうやって彼は女の人をたらし込んでいるのだろうか。

「…君、いまなにか失礼な事考えているだろう」
「えっ、そんなことないですよ。ただ煉獄さんもてるだろうなって思ってただけです」

むぅ、と眉間に軽くしわを寄せた煉獄さんのご機嫌を直すべく、ほら、煉獄さんかっこいいし〜、と付け加えると更にしわが深くなった。
あれ、私なにを間違ったのだろう。男の人のお相手は職業柄けっこう上手いはずなんだけどなぁと首を傾げる。

「…思ってもない事を言われても嬉しくない。それより君の方こそ、その隙の多さをどうにかしなさい」
なんでか叱られてしまった。年上の煉獄さんに言われるとあまり言い返せなくてツンと口を尖らせる。
「思ってますよ、綺麗なお顔だしお相手には困らないだろうなって」
「それは褒めていないし、普通に彼女いなくて困ってるさ」
それは知らなかった、と驚きの眼差しで見上げると皺の寄った眉間がふっと解けた。

「好きな女に本気でかっこいいと言われないなら意味がない」

さぁそろそろ行こう、とカラリとしたいつもの雰囲気に戻った煉獄さんの後を追って、なんだか私も子供じみた言い方をしてしまったなと反省する。
いい大人なのに何をやっているのだろうか。

そう言えば彼とはこんな軽い言い合いのような事も一度もなかったなと思い出す。
思い出の中の彼の顔がすこしだけピントが合わない写真のようで、こうやってちょっとづつ忘れていくのかなとすこし寂しくなる。
目尻のシワも朝の髭も寝起きの跳ねた癖っ毛も、好きだったところ全部少しづつ忘れていくのか。

「っ七瀬、危ない」

ぼんやりと思い出に浸っていた思考がぐんと腕を引かれた衝撃で現実に戻ってくる。
硬い胸板に視界を塞がれてチリンと背後を自転車が通り抜ける。煉獄さんの腕の中に仕舞い込まれるように引かれた体をそっと戻す。
久しぶりに男の人の体を触ったなと火傷したかのようにヒリヒリする腕を撫でる。

「ごめんなさい、考え事してました」
「…いい、大丈夫だ。腕痛かっただろうか、すまない加減が出来なかった」
「いえ、痛くはないです」

ただひどく熱くて、煉獄さんの腕の中がいい香りでどきんと心臓が痛かった。
眉を下げて罰が悪そうにしている煉獄さんに申し訳なくなって、本当に大丈夫です、行きましょうと軽くジャケットの裾を引く。

「それより名前、初めてですね」
「ん?」
「七瀬ってさっき呼んでくれましたね」
「…あぁ、咄嗟だったから」
「宇髄さんも伊黒さんも初回から呼び捨てだったし、煉獄さんも七瀬でいいですよ?私の方が皆さんより年下ですし」
並んで歩く煉獄さんを見上げると、それもそうかと薄く笑っていた。

「七瀬」

「なんですか、煉獄さん」
「…呼んでみただけだ」

悪戯っ子のような瞳にくすり笑ってしまう。
煉獄さんに七瀬と名前を呼ばれるのは少し気分が良かった。

心なしか甘やかに聞こえるのは気のせいだろうか。



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