辞書にのらない
ここは楽園であるために


「これで最後だ」
「ありがとう
じゃあとは、ソファだけだね」
煉獄さんがダンボールを奥の部屋に運んでくれるので、わたしはひたすら開梱するべくガムテープを剥がしていた。
煉獄さんのTシャツから伸びる腕の筋肉と青い血管の筋が男らしくて、思わず見惚れてしまう。本や雑貨で結構重いはずの箱だけど、軽々と待ってしまうのだから、たまらなく格好いい。本当に歴史の先生なのかな。
「ん?
ハサミか?ゴミ袋か?」
「んーん
ソファ受け取ったら、サインお願い」
了解、と歯切れ良く答えた彼は大きめのソファを運ぶ運送業者のお兄さんにたちに手伝おう、と颯爽と声をかけていた。

ここは元々煉獄さんが一人暮らしをしていた賃貸マンションだ。
お付き合いが始まって、お互いの家を行き来もしていたけど、煉獄さんは当初からここに二人で住まないかと誘ってくれていた。帰り道が心配だ、家に帰って君がいれば天国だ、生活費の節約だ、とたくさんの理由を並べられ特に嫌だというかこともなかったので、とんとん拍子でこの同棲生活が決まったのだ。
私一人の給料では住めそうにない家賃の2LDKは、広めのリビングダイニングが売りであり、はじめてこの部屋に訪れた時から私も気に入っている。

人と住むことに抵抗がないわけではなかった。でも彼はいつも正面から向き合って言葉をくれる人だから、大丈夫だろうと直感的に思ったのだ。

「七瀬、家具や食器は俺が開けても良いだろうか?」
引越し屋さんや購入した家具の運送業者さんからの作業完了の書類の控えをダイニングテーブルに置いた煉獄さんは次の仕事に取り掛かるべく確認に来てくれた。
「うん。お願いします
わたしはお洋服とか、本とか片付けちゃうね」
「あぁ、重いものや高いところは呼んでくれ
クローゼットも半分以上空いてるからすきにしていい」
座ったままダンボールから荷物を出すわたしの頭をくしゃりと撫でた煉獄さんの手のひらに猫の様にすりすり頭を押しつけて上目で見上げると、煉獄さんから「んんっ」とむせる音がした。
きみ…可愛いが過ぎるぞ、とため息をついて、腰を屈めその端正な顔を近づける。
焦点の内側に入った頃に目を閉じると顔を少し傾けるように後頭部を固定する彼の左手がこっちだと導く様に首を撫でた。ちゅ、と柔らかなキスを唇にもらって緩く目を開けると煉獄さんがもう一度鼻先にもちゅ、とキスをくれた。

「続きは終わったら、な」

いやらしさのかけらもない子犬の戯の様なキスの後、静謐さを纏った煉獄さんから瞳にだけ熱を灯して夜のお誘いを受けてぽっと頬が熱くなる。

「さぁ昼までに半分は頑張ろう!」

そんな大人のディープな雰囲気を消し去るような溌剌とした声に、やはり彼は体育教師なのではないのかと思う。


ラジオをBGMに作業を再開してしばらく。
箱から服を出してウォークインクローゼットに着々と掛けてゆく。ワンピース、ブラウス、スカート、パンツ…お洋服大好きって煉獄さんには言ってあるけれどもこんなに多いって分かってたかしら。どうしよう、既に大方埋まってしまったがまだ一箱あるのだ。それに下着や肌着などを仕舞う小型の箪笥か棚とかも欲しいかも。
あとバッグと靴もどこに仕舞おうか…。
半分以上クローゼット空けてくれた優しさに感謝しながらも自身の宝物たちが入り切るか心配で頭を抱える。
でも掛けた洋服の下にまだ空きスペースがあるから引き出しのついた収納を追加すれば綺麗に収まるかも。

「よもや、ほとんど君の城だな!」
「わっ!煉獄さん、びっくりした〜」

クローゼットの構想のためにウォークインの中で悩みながら腕を組んでいると、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。

「あの、お洋服多いよね・・
引いた?でも、どれもすきでね、ちょっとは引越しで減らしたんだけど…」
言い訳のような弁解をしながら組んでいた右手を顎にかけてお城と呼ばれたクローゼットを見渡す。
「女性は身だしなみに気を使うものだろう
しかしこれは入りきらないな!
明日収納の家具も買いに行こう
サイズを測っておいてくれ」
「本当?ありがとう
じゃあ小さめの引き出しのついたタンスがいいな・・3段くらいで白いやつ・・
そうだ、イケアに行きたい!」
「わかった
だが、あそこは混むから朝イチだな!」
「ありがとうー!」
グレー、ネイビー、ブラウン、ホワイト、ベージュ、ピンク、ターコイズ。
色とりどりの綺麗なお洋服たちのお城の完成は明日に延期だ。
「他にも必要なものも出るだろうし、明日は一日買い物だな」

一旦お昼にしようかとリビングに行くと、二人で住むにあたり煉獄さんが買い換えた大きなソファがすでに梱包を解かれて鎮座していた。
テレビの向かいに置かれたベージュのL字ソファは、私たちにとってはちょっと、いやかなりの高級品だ。

「休日はリビングで君と過ごしたいから、居心地がいいソファがいい」
他の家具やインテリアの色や柄などはほとんどすきにしていい、と言ってくれた煉獄さんが珍しくこだわったものである。
引っ越し準備と並行して数週間前から家具屋さんを巡って、座り心地を確かめるデートを繰り返し、やっと決まった子である。
お金は折半にしようと提案したが、引っ越し費用もあるからとやんわり断られてしまった。
色や素材、大きさ、座り心地と悩み抜いたものなので、私も煉獄さんも届くのをとても楽しみにしていた。

「わぁ・・!やっぱり素敵
リビング広いから圧迫感もないね!」
「うん、これなら君とゆっくり寝そべって映画も観れるな」
「もう座った?」
「いや、まだ・・七瀬と座ろうと思って待っていた」
ぽり、と頬をかいて珍しく照れた顔を見せる煉獄さんに胸がキュンと鳴る。
どちらともなくするりと指を絡めてソファに腰を下ろして目を合わす。
「いいね」
「うむ、いい!」
ぽすんと、隣に座る煉獄さんのがっしりとした肩にもたれかかる。

ゆったりと体を預けられて、二人で座っても十分な余裕があり、こうやってぴたりとくっついても沈み込んだりせずに体勢がキープできる。これからこのソファで2人でどんな話をするのだろう。毎日毎日、ここで何があったか報告しあったり、未来の予定を立てたり、時には口論になるかもしれないけれど、ここがこれからの私の居場所である。

さらりと煉獄さんの指が髪を梳いていく。長い髪を撫でてもらいきもち良くてうっとりと目を閉じる。

「…少しずつ作っていこう
これからは七瀬との二人暮らしだからな」

「はい、煉獄さん」

柔らかく午後の日差しが差し込んで、ベランダの観葉植物の木の葉の影が足元に広がっている。
あぁなんて素敵な休日だろう。
隣には好きな人がいて、心地いいお部屋があって、人生に必要なものは全てここにある気がする。

そんな壮大なことを思いながら自然と頬が上がって、煉獄さんと目を合わせて2人して少し照れ笑いを浮かべる。

今日から私、朝倉七瀬は煉獄杏寿郎さんと一緒に暮らします。



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