辞書にのらない
ここはこんなに寒いから


ふつふつと音を立てる鍋の蓋に手を伸ばそうとする煉獄さんを目線で押し留めると、彼は心なしか眉を下げた。もう少し煮込んだ方が野菜がとろりとして美味しいだろう。

「もう少しですよ、煉獄さん」

私の声よりも、お鍋の立てる湯気の音の方が彼には気になるのだろう。うむ、と言いながらもそわそわと鍋に視線を注ぐ姿に、思わずくすりと笑ってしまう。



金曜の夜から降り始めた雪は、朝起きると外の世界を一面を真っ白に塗りつぶしていた。ベランダの手すりに積もったふわりとした雪を両手ですくって朝食の準備をしていた煉獄さんに見せると、私の赤くなった指先を心配してすぐに雪を台所のシンクに落とされてしまった。冷たくなった指先を彼の手で温めてもらいながら、今日は大人しく1日家で過ごそうと早いうちから決まったのだった。
忙しい平日の間に溜めてしまった洗濯物や、掃除も分担してやれば午前中で終わらせることができた。お昼ご飯にチャーハンと卵スープを食べ終え、冷蔵庫の残りを確認する。使いかけの白菜と豚肉、お豆腐があるので鍋ならば買い出しに行かずとも作れそうだと安堵する。ゆっくりと空から地面に落ちてくる雪は、吹雪とまではいかないが降り止みそうにはない。暖かい室内から外を眺めていると、煉獄さんが後ろから引っ付いてきた。肩に乗せられた顎がいたずらに首筋にすり寄せられ、ふわふわとした彼の長い髪がこそばゆい。
「映画でも観るか?」
「うん。あ、年末に撮り溜めたバラエティでもいいな」
二人でソファに座って暖かいコーヒーをローテーブルに置く。ソファと煉獄さんにもたれるようにして、テレビの電源をつける。外は寒いけれど、二人並んで座ったソファの居心地の良さに、こんな冬の日も良いものだと私はぬくぬくと煉獄さんの胸に体を預けた。

しかし日が落ちるといかに室内といえども、少し肌寒くなってくる。
読みかけの本を閉じ、暖房の温度を一度上げて、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうかとキッチンに立つ。

本人は自覚がないようだが、煉獄さんはあまりお料理が得意ではない。
彼の弟である千寿郎くんに言わせるならば、キッチンに入れてはいけないレベルだそうだ。だが煉獄さんとて成人済みの立派な大人である。全くできないわけではない。むしろ彼は生来の積極性から料理に関しても手伝おう、俺がやろう、と進んで取り組もうとしてくれる。それを無下にするのも悪い気がするのだが、いかんせん、彼に全てを任せてしまうとまともな夕食を食べることはできないと同棲以来学習している。お湯を沸かすだとか、野菜を洗う、くらいは任せても問題ないのだが、ここから先に進むと煉獄さんはまるで魔法使いのように食材の原型を失わせるのだ。

「手伝うぞ」
「ありがとう、とりあえずお皿とかテーブルの準備お願いしてもいい? あとガスコンロ!」
「了解した!」

キッチンの物音が聞こえたのだろう、少し仕事を片付けると小一時間ほどPCに向かっていた煉獄さんがダイニングに顔を出す。いつも通りにこやかに申し出てくれる煉獄さんに安全な任務を与えて、ほうと一人胸の中で息を吐く。お鍋など誰でもできるのでは?とも思うが、今日は買い出しに行っていないのでこの食材が無に帰せば、私たちは食いっぱぐれることになる。なんとしても死守しなくては、と決意してそそくさと野菜を洗い、大きめのボウルに切った野菜を並べていく。
白菜、人参、白ネギ、豆腐、そして冷凍していたキノコ類を加え、最後に豚肉を冷蔵庫から取り出す。本当は水菜とかマロニーとかあればよかったんだけどなぁ、とないものねだりをしてしまう。

「鍋も出してくれたんだ」
「うん。あとはなにかあるか?」
「うーん、つめたいビールかな」
「はは、了解した」

煉獄さんの準備してくれたダイニングテーブルの上のお鍋の中にお水を入れて、かちりとガスコンロを点火する。ぱっと広がる青い炎を確認して、鍋の中に火が通るまで時間のかかる野菜を入れていく。鍋の味付けはインスタントだが、これがなかなか美味しいのだ。テーブルに切った具材を運んでくれた煉獄さんが、最後に冷蔵庫からビールを取り出して持ってきてくれた。

「先に乾杯するか」
「うん!」

ぷしゅっと缶を開けて、お互いグラスに注ぎ合う。少し泡が多くなってしまったが美味しそうなビールにゴクリと喉がなる。

「かんぱーい!」

カチンと二人で小さくグラスを合わせて一口飲み込むと、ガスコンロの熱でいい感じに火照っていた体にしゅわしゅわと苦味とともにビールが染み渡る。はぁ、と心の底から漏れ出たため息が二人分重なってダイニングテーブルの上に落ちる。

「なんでこんなに美味しいんだろうね」
「麦の力だな・・・・・・偉大だ」

寒い日に温かい鍋を作って冷たいビールを飲むなんて矛盾しているはずなのに、どうしてかビールというのは夏でも冬でも美味しいのだ。ビールの開栓とともに、鍋の中にどんどん具材を追加していく。お肉や柔らかい野菜も放り込み、蓋をすればあとは待つだけだ。向かいに座った煉獄さんは、一度空になったグラスに2杯目を手酌で注ぎ、大きな目をじっとお鍋に向けたまま待機している。大きなワンちゃんが「待て」をしている時に少し似ているな、と可愛く思いながらちびちびとグラスを傾ける。

「七瀬、そろそろじゃないか?」
「えーまだ1分も経ってないよ」
「むぅ・・・」

「七瀬、もういいのではないか?」
「うーん、まだ白菜が白いからダメ」
「白菜はよく煮込んだ方が味が染みて美味しいからな!」

何度も確認してくる煉獄さんのお腹はきっとぺこぺこなんだろう。彼のそわそわした様子に、少し意地悪をしたくなるが、食べ物の恨みが寝室に持ち込まれた例もあるので、やめておくことにする。ふつふつとした美味しそうな音が大きくなり、空気穴から漏れ出す白い湯気が部屋の温度を一気に上げたころ、布巾で鍋の蓋を開ける。
ほわりと湯気の立つお鍋に、煉獄さんの表情がぱっと明るくなった。

「もういいと思うよ」
「ようやくだな!」

煉獄さんの取り皿を受け取って、野菜もお肉もたくさん装う。お出汁のいい匂いが、私のお腹もきゅうきゅうと刺激していた。

「はい、どうぞ」
「いただきます」

大きな手をぴたりと合わせて合掌する煉獄さんは、男の人なのにこういった所作が美しい。きっと彼のお母さんがしっかりした人なのだろうと思う。大きな口でふぅふぅと息を吹きかけ、一口頬張った煉獄さんの目尻がきゅっと下がる。

「うまい!」

いつもの言葉を聞きながら、私も一口頬張る。熱々の野菜から滲み出るお出汁の味が染み渡る。

「おいしい」

二人の間にもくもくと白い湯気が立ち上っていて、ふと外の白さを思い出してベランダを見る。まだ雪は降り続けているようで、相変わらず真っ白な景色が広がっていた。

「どうした?」
「ううん。あったかいお家で、あったかいお鍋を煉獄さんと食べれるのも、雪のおかげだなって」
「そうだな。だが明日には止んで欲しいものだな」
「何かあるの?」
「いや、一歩も外に出られないのは体が鈍るからな」

ストイックな煉獄さんの言葉に、肩を竦めると煉獄さんはきょとんとした顔をする。

「なんでもないよ、おかわりいります?」
「うん、もらおう!」

既に空になっているお皿を受け取り、野菜が柔らかく煮込まれた鍋を再度かき混ぜる。お鍋から漏れ出す湯気で、このお部屋も鍋の中のように温かくほかかほかになっているような気がした。
美味しく煮込まれた私たちは、この冬の日の夜をどう過ごそうか。



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