辞書にのらない
後ろめたさに似た安堵


宇髄天元はモテる男である。のらりくらりと女という島を渡り歩くようにして生きてきた。来るもの拒まず去るもの追わず、好き嫌いもなく食べてくれと言われれば食べてしまう。

そんな男の横に、今夜は絶対に食べてはいけない女がいた。

「七瀬、そろそろ酒やめろ。飲み過ぎだぞ」

ご機嫌に鼻歌を歌いながら左側にもたれかかってくる黒髪を邪険にもできず、しかしその手に握られたウイスキーのグラスはさっさと取り上げてしまう。七瀬の手の届かない反対側に置いて顔を上げると、向かいの席に座った煉獄と目が合う。こちらの様子に特に何を言うでもなく彼の隣に座った甘露寺と話しながらも、その目はひと時も七瀬と俺から離れない。

「んー?んふ、ふふふ、じゃあおみずください」

にこにこと笑いながら舌足らずになり掛けのぎりぎりの口調でオーダーする七瀬にはいはいとテーブルの上にある水の入ったグラスを渡す。

「零すなよ」

小さな爪を艶々としたベージュのネイルで整えた白い手が、ガラスのカップを大事そうに両手で包むと白い喉をこくこくと動かして半分以上嚥下していく。
ありがとう、とほんのり赤い目元を下げた七瀬は、にこにことこちらを見上げて一向に向かいの煉獄方には視線を向けない。酔っていても意識している相手は分かっていると言う事なのだろうか。それとも。

伊黒が不参加という事で四人の飲み会はいつもより少し早く解散となった。
平等に割り勘で会計を済まし、店の外に出ると七瀬と甘露寺は楽しそうにきゃいきゃいとはしゃいでいる。
煉獄が送って行くと言うだろうか、と後ろを振り返るとじっとこちらを伺う猫目と視線が交わる。

「…こわっ」
「…宇髄、君は」

煉獄は硬い表情で言葉を探すように口を開いたが、すぐにまた口を閉じてしまった。
大体の検討は付いているので、その肩をぽんぽんと叩いて送って行ってやれよ、と声に出そうとしたところで七瀬が声をあげる。

「宇髄さーん、今日私おなじ電車なんですよぉ」
「あ?お前違う方面だろ」
「きょうはねぇ、高校の友達のお家でお泊まり女子会するんですぅ!」

にこにこと舌っ足らずに報告してくる酔っ払いに、タイミングを読めと言っても無駄であろう。仕方がないと首の後ろに手を回し、七瀬の元に行く。本当に駅が合っているのかと、上機嫌の彼女のスマホを奪って、名前を聞き出す。

「トークルームあるやつ、えっと、これ、、ほらあ、この駅ひとつお隣でしょ?」

ベージュの爪が指し示すままに読んでいくと、確かに今日集まる約束をしているらしかった。駅名も同じ沿線で一つ手前で間違いない事がわかり仕方がないので俺が送ってやるしかない。
変な誤解が生まれる前に、七瀬のことを気になっているであろう煉獄と七瀬で帰らそうと計画していたのに、大失敗である。

「宇髄さん、七瀬ちゃんちょーっと酔っ払っているから、よろしくねっ!」
「蜜璃ちゃんまたねぇ」

賑やかな繁華街の狂騒に溶けるように二人と別れると、急に七瀬と二人きりでいる事が奇妙に思えてくる。思い返せば女友達というものが宇髄にはいなかった。そういう間柄になってしまうからだ。そうならないのであれば、そもそも異性と二人きりで出かけるような関係にならなかった。
まぁそうは言っても相手は酔っ払いの七瀬である。緊張のしようもないかと隣を見れば、黒目がちの丸い目とばちりと視線が合ってしまった。

「…お前、酔ってねぇんだろ」
「酔ってるもん」
「あぁ?何悪巧みしてんだ」

先ほどよりも理性のある目に半分演技だったのだろうかと訝しむ。自身の胸の辺りまでしかない七瀬は自然と上目遣いになり、ふてくされたようにぷくっと頬を膨らませる。
そういうわざとらしいポーズをしても可愛いのだから、女というのは愛嬌でうまく世の中を渡っていけるのだろう。

「酔ってるから、ちょっと聞いて欲しいんですけど。自分が思ってるよりもずーーっと、大きいものを持っているんだなって知っちゃって。私まだこーんなんで、あちこちたくさん修理中で、まだなにも無いんです」

身振り手振りでへらりと笑いながら話す七瀬は困ったように首を傾げる。
なんとなく煉獄の話をしているのだろうとは思う。わざわざ俺を捕まえて聞かせるのだから、きっとそうなのだろう。

「イコールになる関係なんてないんじゃね?」
「イコールねぇ…なんないなーー、私たぶん穴あいてるからもらっても全部溢れちゃうし」

甘露寺から七瀬は失恋したと早いうちに聞いていた。元彼の話はできればしないで欲しいと詳細は濁した甘露寺の様子に、良い別れでは無かったのだと、まだそれを思い出として語れる状況では無いのだと、察しがいった。

「だからって飲み会の度に俺の隣に来るのはやめろ」
「宇髄さん私のこと絶対趣味じゃ無いし。いーじゃないですか」
「俺は派手にいい女が好きだからな、今のお前みたいなウジウジした奴は嫌いだね」
「嫌いとか言わないで下さい。へこみます。」
「…男ってのは好みじゃなくても嫌いでも、やることはやれるぞ」

お前こそ俺のこと全く対象外のくせにと腹が立ち、七瀬の顔を片手で掴んで距離を詰める。屈むように背を丸めると、急に縮まった距離感に顔を赤くした七瀬が金魚のように口を開けては閉じてと繰り返す。小さな口がぱくぱくと動く様子が面白く、もう少し見ていたかったけれど笑っていることが七瀬にバレてしまい赤くなった顔で睨まれる。

「揶揄ったんですね…」
「本当のことだ。あんまり男信用して触れたりすんなよ」
「そんなの私が一番分かってます」

ふっと表情が消えた七瀬は、ぷいと背を向けて先に歩き出してしまう。
そうか、そうだった。なにやらひどい失恋をしたのだったなと、失言だったかと思ったがどうして俺がここまでこの女に気を使ってやらねばならないのかと我に帰る。

「なぁ、もう前の男がどうとかやめてよお、お前のこと大好きな煉獄に向き合ってやれば?」

前を歩いていた七瀬が勢いよく振り返って真っ赤な顔で自分で開けた距離を詰めてくる。

「ちょ、ちょっと、宇髄さん!お、大きい声で好きとかどうとか言わないで!」
「自覚あるくせに今更純情ぶってんなよ」
「ぶってるとかじゃないです!もう、本当に、やめてください」

先ほど俺の顔を近づけた時に赤くなっていたどころでなく真っ赤になって恥ずかしがる七瀬に、ばっちり両思いじゃ無いかと笑ってしまう。

「俺の方がいい男であるということは先に言っておくが、煉獄はお前を泣かせたりする男じゃないから安心しろ」
「分かってます、とてもよく出来た方だって。何て言うか…本当に煉獄さん私のことすごく好き、ですよね」
「ははっ!自分で言うな!」
「…私から手をとれば、たぶんすぐに片付く話なんです、でも、やっぱりちょっと怖くて。人とちゃんと付き合うの、少し怖い」
「だからって俺を使うのはもうやめろよ、今日だってすげー怖い顔してんだぞあいつ」
「…すみません。でも伊黒さんと蜜璃ちゃんの邪魔も出来ないし…」
「お前が煉獄の隣にいればいいんだよ、ぎこちなくても、とりあえず次からそうしろ。
あと、もう一度言うが煉獄はお前を泣かせたり、裏切る男じゃない」

はい、と答えた七瀬はお酒のせいだけじゃなく赤い頬を冷ますように手で抑えていた。
煉獄も厄介な女を好きになったもんだと思う。失恋の傷が癒えるまで悠長に待っていないでさっさと捕まえておけば良いのに。

焦ったい二人の恋の行方に俺は一人ため息を吐いた。




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