花と獅子

嘘と夢


朝食が済んだ頃に、隠が旅館前まで迎えに来てくれた。彼らの案内でさっそく産屋敷邸へと向かう。
最近はほとんどあまね様が出向いて頂いていたので、こうして訪れるのは久しぶりであった。

「ゆき、よく来たね」
「耀哉様、ご無沙汰しております。お加減はいかがでしょうか」

玄関から奥のお部屋に通されてしばらくすると、お館様とあまね様がいらっしゃった。相変わらず顔色は青白かったが、お身体はしゃんとしてらっしゃる。病魔の進行が目に見えては進んでいないことにほっと息を吐く。

シュルツ先生にはお館様について、松方家の恩人である由緒正しい方とそれとなく話てある。それだけで訳ありと察してくださり、深く質問をされることもなく今回の往診を引き受けてくださった。

「今日は随分気分がいいよ。ゆきはあまねに聞いていた通り変わりないようだね」
「はい、大過なく過ごしております。それもこれも隊士の皆様と耀哉様のおかげでございます」
「松方家が奥として財源を潤沢に確保してくれていることも大きいよ、いつもありがとう。さて、今日はお医者様を連れてきてくれたとか」

耀哉様にシュルツ先生を紹介すると、先生が日本式に頭を下げて挨拶した後に今日の診察について話したいと許可を申し出た。きっと先生には耀哉様の病がどれほど根深いものか分かったのだろう。
限られた時間の中なので、あまね様とお話ししてお部屋の手配や治療として血液が欲しいことなどを了承を頂き早速診察に入ることとなった。

「お嬢様、手伝いに鈴音を借りても?」
先生の言葉にちらりと控えていた鈴音に目線を送ると一瞬戸惑いを見せたものの了承してくれた。お館様は隠や一般隊士が顔を見る機会などほとんどないお方である。緊張するだろうが、医療についても一通り知識のある鈴音なら大丈夫であろう。

屋敷の奥の私室へとお館様とあまね様が向かわれるのを見送り、客間でしばらく待たせていただく。一人になると産屋敷邸はしんと水を打ったように静まり返る。立派な庭園を時折風が通り抜ける音と小鳥の羽ばたきくらいしか聞こえない。たしか使用人もいないのだったか。

祖父に手を引かれて初めてやってきた日は、自宅の西洋建築とは違う昔ながらの大きなお屋敷にどきどきしたものだ。
ふと、庭影からこちらを伺う可愛らしい視線と目があった。
「お邪魔しております」
小さく頭を下げると、顔を見合わせた二人はとてとてとこちらへ駆けてくる。年の頃は女学校の小等部に入りたてくらいだろうか、あどけないお顔に大きな目があまね様によく似ていらっしゃる。縁側に座り直してお庭に立つお二人と対峙すると彼女たちの好奇心満々の視線に見つめられる。

「お嬢様方、大きゅうおなりになりましたね」
「私たちをご存知ですか?」
「はい、初めてお会いした頃は2つか3つでいらっしゃいましたかね。お母様によく似てお美しい」
ぽぽっと薔薇色に染まるお二人の両頬が、まるでお人形のようで可愛らしい。双子の微妙な違いはさすがにわからなかったが色違いのお着物でなんとか区別がつく。
「お美しいのはお姉様の方です」
「お姉様はどこからきたのですか?」
ぴょんと縁側の両脇に座った彼女たちの鈴の音のような少女特有の高い声。りんりんと鳴ってるような音色がクラスメイトとの談笑を思い出して懐かしい気持ちになる。
「まぁお姉様だなんて、嬉しゅうございます。私はお嬢様のお父上と面会しているお医者様の付き添いで参りました」
「じゃあ遊んでくださる?」
「遊んでくださいな、お姉様。私たちもっとお喋りしたいわ」
ひしっと両側から迫られると嫌とは言えないし、診療が終わるまで待っているだけなので構わないだろう。笑顔で頷くと目に見えて喜んでいただけてなんだかこちらまで嬉しくなる。

手遊びを教えていただいたり、あやとりをしたり、お二人のお好きなお花を教えていだいたりしているとあっという間に時間が過ぎる。きゃっきゃと忍ぶような笑い声がお部屋に広がるとつられてこちらも笑ってしまう。声を上げて笑うのなど久しぶりで、はしたなかったと口元に手を持っていくとお二人が真似して口元を覆って澄ますので、おかしくてまたくすくすと笑い声が漏れてしまう。
「もう、真似っ子はおやめになってくださいませ」
「だってお姉様お綺麗なんだもの
お姉様みたいになりたいわ」
「そうだわ、どうすればそんな風になれるのか教えてください」
純粋な賛辞ときらきらとした瞳に見上げられ、いつもならさらっと返すところもしどろもどろになってしまう。
「そ、そのように褒めていただけるようなものは、ございません」
赤くなった顔を冷やそうと頬に手を当てるとお二人も同じように手を当てて見せるので、可愛いと恥ずかしいで言葉に詰まる。
そのときかたりと門の方で扉を開く音が聞こえた。お二人も聞こえたようで顔を見合わせてどうしようかと悩む。家人ではないが、お小さいお二人にご対応をお任せして良いものか判断がつかず、両方から縋るように伸びた手を取って三人で玄関へと向かうことにした。産屋敷邸を存じているとなれば鬼殺隊関係者でも限られた者であろうが一体誰だろうか。

「何方様でしょうか?」

母屋の玄関口を出て大きな外門の前に佇む人物に声をかける。
隊士といえば、男性を想像して仕舞いがちであったが、黒い隊服に身を包んでいたのは小柄な女性であった。
両手にお嬢様方を連れて現れた見知らぬ人間に対して警戒するような鋭い目で検分される。

「…胡蝶しのぶと申します。薬をお持ちしたのですが」

蝶の鱗粉のような鮮やかな羽織と艶のある眼差しが印象的な彼女が名乗ったその名に思わず息を飲む。
がさりと紙袋を持ち直した彼女の前まで進み出て恭しく受け取る。

「かしこまりました
お預かり致します」

両側から事の成り行きを見守るお嬢様方にこれをもってお部屋に戻っていてくださいますか、と声をかけると二人揃ってこくりと頷いて礼儀正しく一礼してからこちらに背を向ける。産屋敷家の短命はこういったところにも強く影響が出ている。教育も躾けも松方の家とは毛色が違うけれども本質は同じだ。大人になる年齢が早いのだ。

「失礼ですが、貴方は?」
しのぶ様が口元にだけ笑みを浮かべて警戒を解かずに質問を投げかけてくる。取り繕うことをしないこの方は存外素直な方のかもしれない。
「一度、お会いしたいと思っておりました。いつも文面のみのご挨拶でご無礼を致しました
<奥>の松方ゆきと申します」
意外だったのかぽかんと一瞬間の抜けた表情を見せたしのぶ様は、本当に、とぱちりと長い睫毛を瞬いた。
「お手紙では数えきれぬほど意見を交わしましたが、こうしてお顔を見てお話しするのは初めてですね」
「…失礼な口をききました。いつも手紙の落款でしかお名前を拝見していなかったので、男性だとばかり思っていました」
「私も、しのぶ様は男性だと…こんなに可憐な方だったのですね」
二人で顔を見合わせて思わずくすりとどちらともなく笑ってしまった。

年の頃は二人とも同じくらいだろうか。しのぶ様の癖のある黒髪と艶やかな目鼻立ちはさぞや隊内でも人気であろう。そんな彼女との手紙の内容は新種の薬や毒物、取り扱い禁止の薬品、軍需物資、そして火薬や武器。凡そ年頃の少女の文通内容ではなかったなと、思い出すと苦笑いが浮かぶ。

「治療院もお始めになったとお手紙にありましたね。必要なものが増えればなんなりと隠を通して言ってくださいませ」
「ありがとうございます。機会があれば蝶屋敷にもいらしてください。いつもゆき様の博学と広い知見には助けられています。病院としてもご意見頂戴できれば嬉しいです」
「しのぶ様こそ、同じ女性でこうして隊士でいらっしゃりながらこれだけの薬学の知識をお持ちで、素晴らしいです」

(私は剣は握れませんから)
つい昨日、千寿郎さんに言った言葉を飲み込む。
私はどこまでいっても彼らには遠く及ばない。彼女の身体を見ても決して剣技に向いた体格ではないだろう。ましてや女性である。それでもこうして鬼殺隊に席をおき、御館様に御目通りが叶う地位にまで上り詰めたのだ。並大抵の覚悟と努力ではないはずだ。
命を懸けて剣を振るい彼女のように戦場に立てれば鬱々としたこの思いからも解放されただろう。だがそれは、奥の守護者たる松方の者がすべきことではない。私の戦いは産屋敷家の、鬼殺隊の悲願達成の支援である。それは刃を持って炎のごとく一瞬の命を燃やすことではないけれど、日々粛々と火を灯し続けていくことが使命だと思っている。最後の日が来ることを願って。

「ゆき様、これからも私の良き相談相手でいてくださいね」
「しのぶ様…私でよければいつでも。今日、ここでお会いできたことの幸いを感謝します」

戸惑いがちに差し出されたしのぶ様の手を両手で握り返す。
同士の握手を交わしてもらえるとは思いもよらなかった。認めてもらえたようで喜びに口元が緩む。
しのぶ様の手は私よりもさらに小さい。こうして二人で手を取り合っていると女学生のたわいもない約束のように見えるだろう。できるならそういう関係で彼女と出会ってみたかった。学業やお茶会や洋服のことを相談できる純粋な同級生として、学び舎でともに過ごせるようなそんな甘い関係でもし出会っていれば。叶わないことを夢見る目は二人とも同じような気がした。
けれど数えきれない手紙の中で交わした言葉がこの二人の本質であり、そのことが誇らしくもあり、また涙が出そうなほどにただただ悲しかった。