花と獅子

美妙なる惨劇


裏口で待っていた宇髄と鈴音に合流し、そのまま人目を避けながら鈴音の案内に従って一番近くの松方家の所縁の医院へと向かった。
興味津々でゆきの顔を覗き込もうとする宇髄を避けるのは至難の業だったが、深窓の令嬢の顔を見ず知らずの男に見せることは憚られた。しかし宇髄にはそれが俺の個人的な独占欲に思えたようで全力で冷やかされてしまい、だんだん苛立ちが募ってきた頃に目的の医院に到着したのだった。
西洋の教会のよう外観のそれは馴染みのないものではあったが、窓ガラスからもれるオレンジ色の明かりが柔らかくなんとなく安心感があった。


ぎぃっと軋む音をたてる扉を潜って中に入ると、鈴音が事情を話しに奥へと消えていったので暫く玄関口で待つことになった。
腕に抱えたゆきは未だ起きる気配を見せず、ひどく白い顔が心配だ。
宇髄は顔を見ることは諦めたようで繁々と腕を組んで此方を眺めていた。
「それにしても憲兵の制服もよくにあってんなぁ、煉獄」
「そうか?急を要していたとはいえ彼には悪いことをしてしまったな」
宇髄に言われ自身の格好を見下ろすがあまり見えないのでなんとも言えない。
鈴音に助けを請われ、ゆきの救出の為に近くにいた憲兵から制服をお借りすることにしたのだった。宇髄の案であり、彼が忍び時代の薬を使って眠らせ制服を拝借したのだがシャツ一枚で道影に放置してきたことは非常に申し訳ない。
まぁしかし憲兵の制服効果は絶大であった。要人の身柄を引き渡すように言えば、慌てふためく様子は流石憲兵様々である。鬼殺隊の隊服では残念ながら、鬼ならいざ知らず、人にはあまり効果はない。

「煉獄様」
話がついたのであろう鈴音の呼び声で奥の診察室へゆきを運び白く清
潔なベッドに寝かせる。青白い頬が心配で思わず手を伸ばしそうになる。

「お待たせしました〜さてお嬢様を診ましょうか」
どたどたと足音を響かせて入ってきた調子の外れた声にゆきに向いていた意識が戻る。

「おや?憲兵サン?もう治療だから出ていってくださいよ。女の子の肌は見ちゃいけません」

彫りが深い白皙に薄氷のように色素の薄い青い瞳。異人か。

「む、貴方が医者か?」
「そうですよーきっと熱中症でしょう、ちゃんと治しますから。さぁさぁ鈴音、この人連れてってね」

バタンと鈴音と共にドアから閉め出されて仕舞った。入り口では宇髄がちょうど鎹烏から伝令を受け取っているところであった。

「派手な嬢ちゃんも届けたし、俺はそろそろ報告に戻るぜ」
「了解した!俺は彼女の意識が戻ったら戻るとしよう」
「おう、お館様からもそうしろと来てるぜ」
ぽいと読み終えた手紙をこちらに投げると、じゃあな、と風の如く姿を消した宇髄にありがとう!と声をかけると、奥から「ウルサイ!」とお叱りが飛んできた。

「お館様からも許可が出たことだ。診察が終わるまでこちらで待たせて頂こう」
「左様ですか…あの、ではお屋敷に人を呼びに行ってきても宜しいでしょうか。その間お嬢様の側を離れるので、煉獄様に付いていて頂けると大変助かるのですが…」
階級の高い隊士に対して依頼をするなど、隠としては言い出しにくかろう。杏寿郎は快く承諾した。

鈴音が夕闇に染まる市内へ走り去ると、こじんまりとした医院は時計の音しか聞こえなくなる。時折カチャカチャと診察に使っている器具の音が奥から響く程度であった。暫くすると異人の医者がドアから出てきて、ロビーで待ってる杏寿郎を目に留めて驚いた顔をした。

「アレ、貴方が待ってるの?ふうん…お嬢様は点滴終わって、目が覚めたら帰れるよ」
「承知した!様子を見ても良いだろうか?」
「いいけど、静かにね!」
露骨に煩いという顔で耳を塞ぐ仕草の医者に承知した、と声を抑えて答えればぐっと親指をたててサインを送られる。起きたら水を飲ませることと、奥で本を書いてるから帰るとき声かけるように言って、バタバタとまた足音を立てて奥の方へ引っ込んだ。

ぎぃと軋むドアを潜ってゆきのベッドの脇に置かれた椅子に座る。
点滴の管をつけた彼女は、先ほどより幾分か顔色が良くなっていた。

それにしても、寝ていると本当に生きているのかと疑いたくなるような人だ。
小さな顔に白く滑らかな肌は中国の白磁の陶器のようで、精巧に作られた人形にさえ見えてくる。やはり杏寿郎には美しいからこそ、触れるのが恐ろしくもあった。
汚してしまいそうな、壊してしまいそうな。
そうだ、あれと似ている。芯から凍えるような冬の朝、庭にうっすらと降り積もった新雪。踏めばすぐに溶けて、己の跡がつく。指で掬ったそばから溶けて消えゆく淡雪。美しくて己の腕にありったけかき集めて皆に見せたいのに、遠くで見ていることしか出来ないもの。


半刻ほどであったろうか、そんなことをぼんやりと考えていると、長い睫毛で縁取られた目蓋がぴくりと震えて、黒い瞳が光を宿す。

「…れんごくさま?」
何度か目を瞬いて、まだ半分眠りの中にいるようなぼんやりした声を出すゆきは自身の腕から繋がる管を視線で辿り点滴のぽたりぽたりと落ちる様子を眺めていた。
「気分はどうだ?水を飲ますようにお医者から言われているのだが、飲めるだろうか?」
いまだに眠そうな目でこちらを見上げたゆきはこくりと頷き、ゆっくりと身を起こす彼女の背をそっと支える。
「…まだ、ここは夢でしょうか?」
いまだにとろんとしている瞳がそろりと診察室をめぐる。なるほど、これは本当に寝ぼけている。
「…どうだろうか。そら、触れて確かめては如何かな」
悪戯のつもりでゆきに向かって憲兵の制服帽を取って少し身を倒すと、恐る恐るといった様子でゆきの白い指がこちらに伸びる。ふわりと杏寿郎の黄金の髪を撫でた彼女はしばらくして目を瞬き、はっと手を引っ込めた。
「し、失礼を致しました…!あまりのふわふわに、思わず…。あ、あの煉獄様!笑わないでくださいませ…!」
これまで見てきた凛とした彼女とは違う、年相応の愛らしい女の子がそこにはいた。青白かった頬は薔薇色に染まって、耳までその色が移ってしまったようだ。
「いやはや、すまない。まさか本当に撫でてくれるとは思わず、驚いた」

枕元に置かれた台の水を手渡すと、ありがとうございます、とまだ気恥ずかしそうにそそくさと受け取る。
小さな口から白い喉をこくこくとならしゆっくり飲み干したゆきはようやく落ち着いたようである。

それからここまでの顛末を追って話すと彼女は恐縮して何度も頭を下げた。
点滴が落ち切るまで、なんだかんだと話が尽きず、ゆきが閉じ込められた経緯や、鈴音のこと、お互いの家族のことや、異人の医者はドイツ人だということなど、取り留めとなく語らった。
そう言えば敬語が抜けてしまったことを謝ると、その方が煉獄様らしくていいと笑われた。
「どうぞ私の事もお好きにお呼びください、私は鬼殺隊の皆様に仕える身ですから」
そうは言われても、病室のベッドに座っているだけでも漂う品の良さに、隊士を呼ぶようにゆき、と呼び捨てになど出来そうにない。

「むぅ、ならばゆきさんと呼ばせてもらおう」
「はい、煉獄様」
君も様を付けずとも良い、と言おうとしたところでカツンカツンと高い靴音とほとんど足音のしない鈴音の草履の音が急ぎ足で医院に入ってきたようで、間もなくガチャリと診察室のドアか開いた。

「お嬢様、よかった…!」
「ゆき!大丈夫かい?」
「鈴音、お兄様」
涼しげな目元が印象的なゆきによく似た顔立ちの青年が、ぎゅっとゆきを抱きしめる。柔らかそうな頬を両の手で挟みまるで接吻でもせんばかりの距離感で彼女の様子を確認する。
「あの、熱中症です、お兄様。もうこうして動いても平気ですから…」
「いや、だめだ。明日も大事を取って休みなさい。お前は放っておくと仕事をしそうだから、今日は僕の屋敷に泊まること」
こつんとゆきにおでこを合わせる彼女の兄はまるで杏寿郎や鈴音など見えていないかのような親密ぶりである。
この間に医者を呼びに行こう、と席を立ったところ、慌てた様子のゆきに呼び止められた。
「煉獄様、あの、こちらは私の長兄で喜壱と申します。お兄様、こちらは煉獄様です。鬼殺隊の方で、本日私を助けてくださったのです」
「そうか鬼殺隊の…妹が世話になったね」
今気づいたとばかりに杏寿郎を振り返り、ありがとう、と手を取られる。
やはり正面から見た顔立ちも、こういった感情の表し方にも、ゆきと似たところが感じられた。

医者がゆきの点滴後の処置をしている間に着慣れた鬼殺隊の隊服に着替えて、そろそろ本部へ戻ろうかと外を確認していると、喜壱殿に呼び止められた。

「煉獄君。今日は本当に助かったよ」
「いえ…私はそろそろ失礼します」
「そうか、産屋敷殿へは後日礼をするが、今日のところはこれでいいかな」
徐に差し出された紙片は見慣れないものだったが、そこにある額面とサインで小切手であることが分かる。
「…こういったものは、受け取れません」
「堅いなぁ、、受け取ってくれないとこちらも困るんだけどな。隊士たちと美味しいご飯でも食べなよ」
はい、と強引に掌に握らされたそれは到底一回の食事では使いきれそうにない。
「…隊へのご寄付として、受け取ります」
きっと何を言っても聞き入れてもらえないだろうし、このタイプの人間は口では勝てそうに無いので諦めて頭を下げる。

夜はまだ少し肌寒い。
玄関口で見送ってくれている喜壱に対して再度頭を下げる。

「煉獄君、ご武運を。…今度家へ来ることがあれば僕も顔を出すよ。産屋敷殿に宜しく」

「承知しました。では失礼」

常人には消えたように見える脚力で夜の闇を駆ける杏寿郎は、最後の喜壱こ言葉を思い返す。
どうも釘を刺されたようだ。
2人で会うな、ということだろう。ご内儀と一緒の時しか彼女に会うことはないのだがなぁ。
ベッドで眠るゆきの頬を撫ぜそうになったことを思い出して、やましいところなど一つもないとは言い切れないと思い返す。しかし、お互いに腫れた惚れたの関係ではないのだから気にしすぎだなと結論づける。


しかしそんな杏寿郎の予想とは裏腹に、次の機会はまた不意に訪れた。