花と獅子

千寿郎とメイドの内緒話


「さぁどうぞ、千寿郎さん」
「お、お邪魔します!」

まるで御伽話に出てくるお城のように広大な敷地のお屋敷に千寿郎は緊張しながら、隣に立つゆきさんを見上げる。にこにこと笑顔で入るように促してくれたゆきさんは、今日も可愛らしい洋装のワンピースに身を包んでいた。淡い桜色の生地にレースやフリルが首元や袖口に装飾された可愛らしい洋服は彼女の柔らかな雰囲気とよく合っていた。こんな大きな家に住む彼女はやっぱりお姫様だったのだなと思いながら、千寿郎はゆきさんの後ろをついて見慣れない洋館の廊下を進む。

兄上からゆきさんのところに遊びに行っておいでと言われたときは、驚いてしまって「え!」と大きな声で叫んでしまった。父上にはお使いで街に行くと言っておくからと兄上は声を落とすようにと唇に人差し指を当てる。今度の土曜日だから早起きするように、と言われたが緊張してしまってまだ薄闇の頃から目が覚めてしまった。離れの方でまだ寝ているのだろう父上に簡単なご飯だけ作ってから、朝日の差し込む頃にこっそりと物音を立てないように家を出る。煉獄家から少し歩いた大きな道で、炎柱邸に泊まっていたのだろうゆきさんと鈴音さんが自動車の前に立って待っていてくれた。初めて乗る自動車にも、いい匂いのする綺麗な年上の女性に囲まれていることにも、胸がどきどきしてしまってせっかくたくさんお話ししたのに、何を話していたのかあまりよく覚えていない。

「杏寿郎さんがね、たまには千寿郎さんをどこかに連れて行ってやりたいと仰ったんですよ」
「兄上がですか?」
「えぇ。柱に就任されてから多忙を極めていらっしゃるので、なかなか丸一日お時間を取れないことを嘆いてらっしゃったので…杏寿郎さんの代わりにはなりませんが私のお家へお招きしましょうかと提案したらご了承くださったのですよ」

黒いワンピースの上に白いエプロンを付けたメイドの女性が数人やってくると、二人が並んで座る皮張りのソファの前に置かれた飴色のテーブルにティーセットを準備しはじめた。ころんとした白い陶器のポットから湯気の立つ濃い赤褐色の液体がとぽとぽと注がれる。花の匂いが少しだけ混じったようないい香りに引き寄せられるように彼女の手元を覗き込んでしまう。

「本日はアッサムのミルクティーでご用意いたします」

目が合うと、にこりとメイドの格好に着替えた鈴音さんが笑いかけてくれた。

「お砂糖もご用意しておりますので、苦かったら入れてください」
「はい、あっ、これこの前いただいたチョコレートですね」

焼き菓子と一緒に色とりどりの包装紙で包まれたコロンとしたフォルムには見覚えがあった。以前お土産にともらった甘い洋菓子だ。特に好きだった赤色の包みに目を輝かせると、ゆきさんがどうぞと勧めてくれた。

「お口に合ったようでよかったです。千寿郎さんはどの味がお好みでしたか?」
「この赤色のが、一番すきでした。外は少し苦いけど中にとろっとした甘いキャラメルが入ってて…」
「美味しいですよね。鈴音も千寿郎さんと同じ赤色がすきなの。私はこちらの青色のミルクチョコレートがすきなんですけどね」

ゆきさんは青い包紙から薄茶色の艶々としたチョコレートを口に入れる横で、千寿郎もまた食べられるとは思っていなかったチョコレートをぱくんと頬張る。口の中の熱でゆっくりと溶けていく独特の舌触りは、初めて食べた時から少し不思議で、見たこともない遠い異国のことを想像してしまう。

ゆきさんと二人でチョコレートをいくつか口の中に溶かしたころ、コンコンと木製のドアを叩く音がしてメイドの女性が入ってきた。

「歓談中に申し訳ございません。お嬢様、お電話が入っております」
「分かったわ。千寿郎さんすみません、少し席を外します。鈴音、お話し相手になって差し上げて」
「かしこまりました」

申し訳なさそうに眉を下げたゆきさんは足早に部屋を出ていく。このお家には電話があるのだ、と千寿郎は見てみたいとうずうずとした好奇心が芽生えた。それが顔に出ていたのだろうか、空いている前のソファに腰を下ろした鈴音さんにくすりと笑われてしまった。

「電話、まだ珍しいですからね。後でお屋敷をご案内しますから、見られると思いますよ」
「ほ、ほんとですか!わぁ、嬉しいな」
「お昼はお庭でサンドイッチをと思っています。千寿郎さん、チョコレート食べすぎないでくださいね」
「さんどいっち!楽しみです。今日は、本当に朝からずっと夢みたいで…ありがとうございます」
「私は何も。お嬢様も今日をとても楽しみされていました。もっと千寿郎さんと仲良くなりたいのだそうですよ。煉獄様の弟だからというだけではなく、きっとよくできた兄を持つ者同士、なにか似たところをお感じなのだとお察ししております」

千寿郎はゆきさんが以前話してくれた彼女の幼少期の話を思い出した。あのとき彼女にもらった言葉は最初は少し難しく感じた。けれど父や兄と同じ道を進むことだけじゃない、それ以外を選んだとしても何も無駄にはならないのだという言葉が最近自分を支えていると思うのだ。本当は自分でも、分かっているのだ。努力だけでは、どうにもならないことがこの世にはいくつもあるのだと。追いかけたいと縋っても、追いつくことも走り続けることも、できないこともあるのだと。

「ゆきさんは、とっても優しくて、人のことをまるで自分のことのように考えてくれる。俺なんかよりも全然すごい人だと思います。でも、そんなゆきさんと似ているところがあるのならとても嬉しいです」

少し恥ずかしくて、無意識に自身の結んだ髪に指を伸ばしていた。鈴音さんはつんとした綺麗な顔に微笑みを浮かべて頷いてくれた。その笑顔に千寿郎もつられて頬が緩んでいた。
ついでに鈴音さんに気になっていたことを聞いておこう、と口元に手を当てて小さい声で鈴音さんにたずねる。

「そういえば、あの、ちゃんと兄上から聞いていないのですが…ゆきさんと兄上は、その、恋仲なのでしょうか」
「まぁ、千寿郎さんはすぐに気づかれるかと思ってましたが、案外鈍くていらっしゃいますね」
「へ!じゃじゃあ、やっぱり、そうなんですか!」
「今度お嬢様がお邪魔した際は煉獄様の様子をじっと観察してみてください。きっと足取りも軽く、お顔はいつもよりも3倍は柔和になっていらっしゃいます」

秘密を打ち明ける様な真剣な音色で紡がれる兄上の様子にくふふ、とつい笑い声が漏れてしまった。

いつか夢見た様に、ゆきさんを姉上とお呼びできる日が本当に来るのかもしれない。
口の中に転がした言葉を音にしたら、きっとそれは甘やかな響きを持っているのだろう。


(1st anniversary企画/みやこ様)