花と獅子

不機嫌なお兄様と杏寿郎


「煉獄杏寿郎です」

ゆきの隣で歯切れ良く溌剌とした声で名を名乗った鬼殺隊の隊士は、澄んだ瞳をこちらに向ける。

「松方喜壱だ。よろしく」

正直なところ無視してやりたいし、口もききたくない。
しかしそんな大人気ない対応をゆきの前ですれば、きっと大きな目で瞬きもせずに、こちらを黙って見つめてくるだろう。信じられない、という顔で。
可愛い妹の前で大人気ない対応をとることもできず、社交用の笑顔を浮かべながらも、心中は穏やかではない。

「お兄様と煉獄様は以前お会いされているかと思いますが、あの時はきちんとご紹介できませんでしたから今日は煉獄様のことをもっとよく知っていただきたくて」

ゆきは隣に座る隊服姿の煉獄を、にこにこと見上げる。そんな妹に微笑み返す二人の姿に、頬が引きつりそうになる。

「…鬼殺隊の柱だそうだね」
「はい。炎柱を襲名しました」

端正な顔立ちに加え、鍛えられた筋肉質の身体で溌剌とした発声。明瞭解明な受け答えに時折見せる本質を見透すような冴えた眼差しは、一角の人物であることを匂わせる。それでも、思ってしまうのだ。

鬼殺隊でさえなければ、と。

ゆきが結婚する男とはどのような男であろうかと、考えたことがある。聡明で美しい妹に相応しい男とは誰だと。狭い貴族社会の中で醜聞が一つもない年頃の青年を集めても、ゆきに宛てがうべき男を見つけることはできなかった。全ての縁談を突っぱねた自分に、誰ならいいのだ、と弟は呆れたように言う。誰ならいいのか。誰ならばこの世で一番大事にしてきた妹を任せることが出来るのか。喜壱自身が一番知りたかった。自分よりも優秀で、自分よりもゆきを慈しんで、己の命よりも大事に扱ってくれる、そんな人間でなくてはいけない。

ゆきには幸せだけを与えてやりたかった。その心を曇らせることなく、笑って過ごせる様な、そんな人生を歩んで欲しいのだ。

「ゆき、すまないが煉獄殿と二人で話がしたいんだ。少し席をはずしてくれる?」

隣の男とこの兄の顔を交互に見つめたゆきは、同性同士でないと話にくこともありますものね、と微笑んで席を立つ。

メイドの出した紅茶から立ち上る湯気くらいしか動くものもない空間で、煉獄杏寿郎は背筋を伸ばしたままこちらを見つめていた。しんとした静寂の中であっても、気負うことなくじっと喜壱の言葉を待つように顔を上げていた。

「君の生まれや育ちについて特に何か言うつもりはない」
「はい」
「貴族であろうがなかろうがどうしようもない人間はたくさんいる。ゆきが自分で選んだのだから、君がそうでないことは分かっているつもりだ」

それでも認められない気持ちが燻っている。言葉にしながら己の中に彼を傷つけたいような攻撃的な感情があることを、嫌でも理解する。

「喜壱殿は、私が彼女にふさわしくないとお思いなのですね」

その言葉にもちろんそうだ、と返すことはできない。

「ふさわしかろうがなかろうが、ゆきが選んだということが、私にとっては重要だ」

微笑んで見せると、煉獄は僅かに眉を下げて困ったように笑う。言葉にしながらその通りだと思う。結局のところ、ゆきが選んだのだから自分には否定のしようがないのだ。

「貴方の話をゆきさんからもよく伺います。優秀で優しい兄上だと」
「可愛がってきたからね。母を早くに亡くして……うちは男ばかりだ。寂しい思いをしてやしないか、泣いてやしないか。今でもいつも考えているよ」

兄と同じが良いのだと駄々をこねて男の子の格好をしたゆきが後ろを追いかけてきたことを思い出す。妹のまだおぼつかない足がもつれて転ぶのではないだろうかと、譲治と二人、何度も後ろを振り返りながら遊んだものだ。
淑やかな完璧で理想の令嬢だと評されるゆきがあの頃の様に心の底から笑うことが出来るのは、もう兄のそばでは無くなっているのかもしれない。

この男が、ゆきに笑顔を与えているのだろう。

「ゆきが君が良いと言うのだから、婚約するなならばすればいい」

表面上だけでもきちんと対応しないといけないと、分かっていたはずなのにぶっきらぼうな言い方になってしまった。色素の薄い、橙色の瞳の全容が見えるほどに目を見開いた煉獄は一拍遅れてしっかりと頭を下げていた。

「ありがとうございます」
「よさないか。私が結婚に反対していた父親の様じゃないか…そんな大仰にしないでくれ」

コホンと軽く咳払いをしてすっかり冷めてしまった紅茶を飲む。感情がよく顔に出るのであろう、煉獄は唇を噛み締めるようにしていたがその口角はしっかりと上がっている。素直な男だ。
身に纏った黒い隊服に、言うのは酷だと分かっていたが、どうしても言ってしまった。

「約束してくれ。ゆきを悲しませるな……置いていったりするなよ」

先ほどまでの歓びをふ、と顔から消した煉獄はしばらく間をあけてからはい、と一言だけ口にした。

私には鬼殺隊の強さなど分からない。その庇護者であれ、産屋敷の当主には忠誠を、と代々言い続けられたそれは、ゆきが継いだものだ。隊士たちが人知れず刀を振るい、異形のものを祓っている。
命をかけて、人のために、戦っている。
戦争を知るからこそ、その意味がよく分かる。それでも誰かじゃ無く、ゆきを一番に守って欲しい、そういった意味をきっと彼は汲み取ってくれたのだろう。

「喜壱殿は、思っていたよりも正直な方だ」
「はぁ?正気か君。私がどれだけ分厚い外面とよく回る口を持っていると思うんだ?」
「はじめにお会いした時は、そうです。貴方の様な方には口では負けると。でも今はとても素直な方なのだと思いました」

どう言う意味だと聞きたい様な、聞きたくない様な気持ちで会話を一方的に終わらせるも、煉獄は今日一番にこにことしている。

その時コンコンと控えめなノックの後に、ドアから中を覗き見るゆきがやってきた。

「お兄様、煉獄様、そろそろ私もお話に加わりたいのですが……」
「そうしてくれ。もう十分だよ」

柔らかなスカートを揺らしてもう一度煉獄の隣に腰を下ろしたゆきは、首を曲げて煉獄の顔を見上げる。目を合わせて微笑むゆきと煉獄の姿を見ているとまた少しムカムカとした気持ちになってくる。

「煉獄様、お兄様とっても素敵でしょう?」
「あぁ!とても!」

楽しそうな声で紡がれたゆきの言葉を聞いていると、まぁいいかという気持ちになった。きっと自分ではこんなふうに生き生きとゆきを笑わせることは出来ないのだろう。

「本当に、僕の妹は可愛いくって困るよ」


メイドが新しい紅茶を手にやってくる。
午後の柔らかな日差しが窓からさんさんと降り注ぐ様子を、遠い日を見る様に見つめて暫く目を閉じる。今この瞬間を一分も取りこぼさずに覚えておければ良いのにと思う。