花と獅子

お医者様とメイドの知り得た秘密


カタン、と隣のゆき様のお部屋から音がしたのでもうお目覚めになったのだろうかと慌てて身を起こす。しかし時計はまだ早朝の時間帯であり彼女が起床するには早すぎる時間であった。お手洗いかなと思いながら鈴音もあくびを噛み殺して窓を見ると美しい朝焼けが広がっていた。
(綺麗、朝って安心する)

お嬢様がお部屋に戻ってきたらあと小一時間は眠ろうかなとうとうとしているとギシっと階段が軋む音が聞こえてきた。違和感を感じそろりと音を立てずに立ち上がる。並の隊士のように呼吸や素晴らしい体術は使えないけれども、一応鈴音とて最終選抜前までは鍛えられていたし、それからも密かに訓練は積んで来たのだ。忍びとまではいかないが一般人にバレない程度の尾行は出来る。

どこに向かわれるのだろう。
屋敷であればおやすみなさい、と鈴音がドアを閉めてからおはようざいます、と起こしにいくまでゆき様は部屋からお出にならない。

部屋を出て階下に降りたゆきが緑の美しい庭を見てふわりと表情を綻ばせる様子に、あぁこのお庭を散策したかったのかと合点が行きそれならばお供しよう、と声を掛けようとしたところでポンと背後から肩を叩かれる。
驚きのあまり叫びそうになって振り返るとシュルツ先生がしーっと人差し指を唇の前に立てていた。

「先生、驚かさないでください」
「ごめんごめん、でもね鈴音ちょっとこれは上から静観しましょうヨ」
ほら戻りますよ、と腕を引かれてせっかく降りた階段を逆戻りする。少し心配ではあったが旅館の庭であるしこんな朝に狼藉者もいないか、と大人しく先生の後に従う。お嬢様には一人の時間がほとんどないのも気がかりの一つであった。このくらいは許して差し上げなければ気詰まりであろう。

宿泊者の部屋と部屋の間に設けられた談話スペースに二人で腰を下ろして窓からこっそりとゆき様の様子を伺う。
中庭の方を歩いて回られる様子にこんなところまで監視紛いのことをして申し訳ない気持ちになってくる。

「鈴音はいつからお嬢様のメイドやってるんでしたっけ」
「一度お暇を頂いていた期間もありますが…5年ほどお仕えしています」
「そっか、じゃあ昔のちいさ〜い彼女は知らないよねぇ」

先生は懐かしむように目を細めた。
「いつもお兄様方の後を一生懸命に追いかけて、お洋服もお揃いがいいと泣いて男の子の格好してましたネ
僕が勉強見てあげてた時期もあるんですけど、彼女3人の中で1番賢かった
みんな頭のいい勉強を苦にしない子たちでしたけど、お嬢様は本当に頑張り屋さんでしたヨ〜」
だから僕のお気に入りなんですナイショですよ、と茶目っ気たっぷりに目配せしてきた先生の話を忘れまいと脳内に刻み込む。お嬢様のことは敬愛している。日々その可愛らしさに感情の防波堤が崩れ落ちそうになるが表情にはなんとか出さずにしれっとした顔でお仕えしているのだ。

「だからね、幸せになって欲しいんです
鈴音もそう思ってるデショ?」

もちろんです、と返したところで窓の向こうのお嬢様が青紅葉の垣根に入ってしまいよく見えなくなってしまった。
折り重なるような緑の紅葉の間から、ふと明るい黄金色の髪が見えた。

「えっ!!れ、れん、ごくさま…!」
「あ〜やっぱり彼でしたか〜」

まさかあの男性との恋愛に興味がないに等しいお嬢様が。御自身の容姿への賛辞をさらりと躱し続け泣かせた御曹司の数は数えきれないゆき様がこうして人目を忍んで密会されるなんて。
衝撃的な光景に動悸が乱れる。まさか、あの清廉を絵に描いたような彼女が。肉欲や情愛から最も遠い存在のような彼女が。
自分の目で見えている光景なのに思わず幻ではないかと思ってしまった。

しかし彼女は自ら彼に足を向け、こうして僅かな時間を彼と共有しようとしているのだ。
あの握り合った手もどう見たってただの握手ではない。そして煉獄様がゆき様に向ける視線のなんと甘やかなことか。
このまま時間をとめて差し上げたいと鈴音は心の底から思った。

そして同時に一縷の寂しさを感じた。
どうして何も打ち明けて下さらなかったのかと。
これから先も、誰にも何も打ち明けずにお一人で抱えていくおつもりなのだろうか。

メイドの鈴音でも容易に想像がつく程にゆき様と、鬼殺隊の柱候補である煉獄様では住む世界が違う。

「ゆき様には世界で一等幸せになっていただきたいと、常々思っておりました
格好良くてお優しい、王子様のような方と…」
思わずぽつりと声に出してしまった。
「おや、鈴音は彼じゃ不服なの?」

不服、いや煉獄様ご自身にはなん不満もない。美丈夫で公明正大でなにより柱になる程に強い剣士だ。
ゆき様を守ってくださる方としてはこれ以上ない。それでも、鬼殺隊の人間だ。
彼はいつ死ぬか分からない人なんです、と一般人の先生に言っても分からないだろう。

「お嬢様が自分で、自分の心に従って手を取った相手が彼だ
それが僕はとても大切なことだと思ってます」
「そうですね」

ただ二人の思いの行き着く先に輝く幸福を思い描けなかった。
ひとときの夢のようだ。
今までたくさん見てきた、そして自分が経験した最も辛い記憶と同じ悲しい未来を聡いゆき様が想像しないはずがなかった。

それでもゆき様はあの人を選んだのだ。
お心のままに。

ならば私がやることは一つだ。主人の笑顔のためにできる限り協力しようと心を決める。


「いやぁ、しかしこれ喜壱くんにバレたら怒り狂いますネ」
手まで握っちゃって〜、とカラカラと笑う先生に咳払いして遠回しにこれ以上見るなと言えば、残念そうに肩を竦めて籐の椅子に上体を預ける。
「先生も、共犯ですよ」
「ははは、もちろんですよ
僕の可愛い姪っ子ちゃんですからね」

なんなら駆け落ちでも手伝います、と先生が口にしたことでぞわりと寒気がした。
その可能性を全く考えなかったのは常日頃感じる彼女の周囲への真摯な向き合い方のせいだろう。
私を、鬼殺隊を、公爵家を捨て去るなんてことは絶対にしないとむいしきに思い込んでいた。
でも駆け落ちならば彼女は願ったものを手に入れられるかも知れない。

もしその選択を彼女がするなら、私もその時は連れて行って欲しい。
地の果てまでもついて行ってお仕えしたいと思うのは敬愛を超えているのだろうか。


「ところで鈴音、あの相手の人は軍人さんですか?」
そういえば先生の所へは憲兵の格好で行ったのだったと思い出す。
「そうですね、、詳しくはお話しできませんが軍人や警察の様なものです」
「秘密組織ですか、、それはつまり、ニンジャってことですか!」
「…違います」
「え〜絶対そうだと思ったのに…ニホンにはニンジャがいると聞いて僕はこの国に来たんですヨ」
なのにまだ一度も会ってない…、とがくりと項垂れる先生に思わず笑ってしまう。
そういえば最近柱になった方は元忍だと噂を聞いたことを思い出す。柱に会う機会などないだろうが、もしお会いできたなら先生に土産話が出来る。


「あら、鈴音も先生も起きていたのね
二人で何を楽しそうに話してらっしゃるの?」

暫くして階段を登ってきたゆき様はいつもより顔色が明るく大きな目が朝日にキラキラと輝いていた。
先程の密会を見てしまった今では彼女が恋をしているのだとよく分かった。
薔薇色の頬も、落ち着きなく髪を撫でる指先も、いつもの泰然としたお嬢様ではなく未だ少女の影を残した大人になり切る前の女の子。

いつか自分から打ち明けてくださる日まで今日のことはそっと胸にしまっておこうと思う。


煉獄様とゆき様の幸せな未来のために、私に出来ることはあるだろうか。
一つでもいいからあって欲しい。そう強く願う。