花と獅子

流星を落す魔女


初めて会った時、声が甘い人だと思った。
穏やかで柔らかな甘い声。包んでくれるような丸みのあるその音が、姉を思い出させて泣きたくなるくらい好きだと思った。

それでもゆきさんが「煉獄様」と呼びかける声の甘さは一等であった。今日はじめて二人が話す様子を見たが、これは間違いなく男女のそれであろう。俗物的なところを感じさせないゆきさんの普段の様子からは意外なほど、炎柱の言葉や行動に表情を変える彼女を見ていると微笑ましい気持ちになる。
会う度に少しずつ好感と親しみが積み重なっていき、私的な話もする仲になったゆきさんが取られてしまったようで少し寂しいと思うくらい、私はいつの間にか彼女を身内のように感じていたようだ。

「本当にどこも痛くないのだな?」
「大丈夫です、煉獄様こそまたお怪我をされたのではないですか?私を抱き上げて大丈夫だったのでしょうか…」

音柱への怒りが燻っている私や隅に控えたゆきさんのお付きの隠と違い、綺麗さっぱりと忘れたような顔をした煉獄さんは普段はどこを見ているのか分からない瞳孔の開いた目元を和らげて、穏やかな眼差しをゆきさんに向ける。そんな顔もできたのかと思いながら、たしかにゆきさん相手には皆こうなるのだろと思う。ゆきさんは人を惹きつける魅力がある。思わず手を差し伸べたくなるような、困っていれば助けてあげたいと思わせる天性の何かがあるのだ。

「煉獄さんの怪我はちゃんと私が縫合しましたから大丈夫ですよ。もちろん暫く安静にとお願いしたつもりなんですけどね?聞いてましたか、煉獄さん」
「胡蝶、すまない!しかし誘拐事件だったしな!」
「いえ、宇髄様も悪気があった訳では無いようですし…」
「ゆきさん優しいですねぇ」

人攫い紛いの行いをしても笑っている宇髄さんには頭が痛い。隊士ならまだしもゆきさんは隠よりも更に非力な一般人だというのに何をしてくれやがるのだ。


ところで甘酸っぱい雰囲気の煉獄さんとゆきさんには申し訳ないけれど、私だってゆきさんと今日はお約束をしていたのだ。

「煉獄さん、そろそろゆきさん貸していただけますかー?ご報告まだですよね?弟さんも心配されますし一度戻られては?」
「それは、そうなのだが。いや、…そうだな、行ってくる!」

同性の特権でぴとりとゆきさんの肩に寄り添って遠回しに帰れと言えば、分かりやすく眉が下がる。痛いところを突かれたようで言葉を飲み込んで仕方が無いと名残惜しげにゆきさんを見つめ、炎柱の名にふさわしい炎を模した羽織を翻して産屋敷邸へと向かっていった。
少し強引だったかと反省しながらゆきさんを見上げると玻璃のような輝く瞳で見えなくなるまで炎の揺らめきを追っていた。

「お熱いことですねぇ」
「…しのぶ様には隠し事が出来ませんね」

薄紅に頬を染めた彼女の恥じらう姿のなんと可愛らしいことか。それでは私でなくても察しのいい人であれば皆わかるだろう。
しかしゆきさんをいじめたいわけではないのだ。ふふふ、と笑ってその場を濁すとゆきさんはじっとこちらを探るように見る。

「個人的なことを話してもよろしいですか?」
「はい、もちろんです」
いつもの毒物関連の物騒な仕事のお話は置いておこう。こんな可愛らしい彼女の話を聞ける機会はもう二度とないかもしれない。

「どうすれば煉獄様に同じものを返せるのでしょうか」

煉獄様に向けてもらっている好意が本物であると分かるからこそ、自分は貰ってばかりなのだとゆきさんは困ったように言う。もう一度会いたいと、話たいと、その目でこちらを見て欲しいと、思う気持ちはある。一体世間の男女はどのように恋愛をやっているのだろうか、とゆきさんは迷子の子供のような目をするのだった。
思いの外、可愛らしいところで止まっているのだと思うと追い返した炎柱がかわいそうにも思えてきたが、これは彼がいる状態では聞けない話だ。

「こんなことを、急に言われてしのぶ様も困りますよね」
唇にだけ笑みを浮かべて目線を伏せたゆきさんにそっと手を取る。つるつるの柔い肌は剣を握り続けた自身の硬い掌とは全く違う。それでもこの手は私と手を取って同じ方向を向いてくれているの同士の手だ。
「いいえ、ゆきさんがそれだけ私を信用して話してくださったのだと思うと嬉しいと思いこそすれ、困りませんよ」
しかし自分にも大層な説教ができるほどの経験もない。

姉さんを失った日から私の心は次第に軋みをあげて壊れていっている。生きながら自壊していくそのことに痛みも恐怖も感じない私は正常な少女の部分をゆきさんの思いに重ねているのだろう。

「同じではなくてもいいのではないですか?貴方が与えられるものを、心からのものを差し出せばきっとそれで正解ですよ。煉獄さんはあのように実直で飾らない方です。でもそれは煉獄さんの与え方であって、ゆきさんは貴方のやり方で、言葉で向き合えばいいのではないでしょうか」

それに煉獄さんのあの様子は明らかに浮かれているし、ゆきさんはきっときちんと向き合って初めての感情をどうにかこうにか彼に投げかけているのだろうと思う。
それを人は恋と呼んでいるのではないだろうか。

「そうでしょうか、心からの、真心だけでいいのでしょうか。わたしのこの心は今しか見ていないのです。これから先のことも、彼の境遇も自分の身の振り方も何も、見ようとしていない。目を背けているのだと思うのです」
「それでいいではないですか。今がなくては先はありませんよ、その心を繋いだ先が明日ではないでしょうか。ゆきさんの不安もわかりますが、今の自分に嘘をついても先にあるのは後悔の方が大きいと思います…」

私のように、とは言えなかった。
後悔なのか諦めなのか自分でも分からない。姉さんのように振る舞おうと決めたことで押し込められた自分の根底の性格が時々無性に暴れそうになるのだ。
それでも先ばかり気にしても仕方がないとも思うのも本心だった。

恋しく思える人がいて、会えるなら会って話して触れて愛して欲しい。
私にはもう出来ないことだから、ゆきさんに託してみたい。

「…しのぶ様の会いたい方にはもう、会えないのですね」
「勘がいいですね」

恋とは違いますがと前置きして、姉さんの話を少しだけ話す。優しいゆきさんのことだから泣き出すのではないかとも思ったが彼女はただ凪いだ水面のように穏やかな顔で寂し気に瞳を曇らせた。徐ろにゆきさんの腕に抱き締められて言葉もなく抱擁される。彼女のフリルのついた襟元が鼻先を掠め、ふわりと甘い香りがした。

「私はこうしてしのぶ様と親しくなれたこと、生涯の友を得たように思っています」

ゆきさんの言葉にこちらの方がうっかり涙が出そうになる。
ゆっくりと身を離した彼女はお友達だと思って失礼でしたか?と照れ笑いを浮かべる。まさか、そんなわけないじゃない、と素の自分が出そうだ。身内のように感じていたのは私だけかと思っていたのだ。二人で目を合わして改まって言うのは恥ずかしいですねと笑い合う。


その後、彼女が持ってきてくれた資料や探している文献についてなど、いつも通り薬物関係について相談し終えると、ゆきさんは時計を見る。随分と話し込んでしまったようで晴れていた空はすっかり雲に覆われていた。

「何やら雲行きが怪しいですね今日お戻りのご予定でしたか?」
「いえ、明日の朝立とうかと…ですがこれは、台風かもしれませんね」

びゅうびゅうと音を立てる風にかたんとガラス窓が音を立てる。気象予報はまだまだ未知の分野であまり明確な予報が出ないのだ。なんとなしに空の様子をゆきさんと並んで見やるとたしかにごろごろと雷雲の迫る音がした。

「煉獄様のところにお泊まりなのですか?」
「まさか…!そのようなことはありません」
真っ赤になって否定するゆきさんの可愛らしい仕草に少し水を向けてみるかと悪戯心が湧き上がる。
柱に就任するとお屋敷を一つ与えられるので、最近炎柱に就任した彼の屋敷は手入れも行き届いているし、今から嵐の準備になるであろうお宿よりも良いのではないかと提案する。

「そんなことをお許しくださいますでしょうか。それに、私の下心が透けて見えている気がします」

会いたい、話したいというレベルの彼女の下心の数倍、炎柱の下心あると思うのだがあえて指摘せずに笑みを深める。
急を要する事態ですしご自身のお気持ちに素直になって良いのではないですか、と。

「胡蝶!」

大きな声とともにガラリと扉を開けた煉獄さんの場を見計らったかの登場に笑ってしまった。隊服を脱いで髪を一つに結った非番の姿の煉獄さんはずかずかと入ってきてきょとんと首を傾げる。なにか面白いことがあったのか、と聞く彼に答えられず俯くゆきさんが可愛らしい。

「炎柱様、我々本日の宿に困っています。今日は嵐のようですし…情けない話ですが私雨が降ると頭痛がするので…お嬢様のお世話が出来るかどうか…」

黙って先行きを見守っていた隠の彼女が平時と変わらぬ涼やかな顔で話す。ちらりと目配せを受けてこちらも何食わぬ顔で話す。

「困りましたねぇ。蝶屋敷も急患でベッドが埋まってますし…男性と同室の相部屋にお泊まりいただくわけにはいきませんからね」

ぴくりと眉を動かした煉獄さんは笑みを浮かべてそれならばお館様に頂いた炎柱邸に泊まっていくと良い!と提案してくれた。
あまりに計画通りに進む様子にゆきさんは真っ赤になって黙り込んでしまった。
隠の付き人が先に炎柱邸の場所を聞いて荷物を運んでくると走り去る姿を見送り、ゆきさんと煉獄さんも雨が降る前に行ってください、と玄関で手を振る。

「ゆきさん、貴方も、私も、煉獄さんも普通ではないのです。素直に、ですよ?」

にっこりと笑みを浮かべて最後の止めとばかりに声をかけると、ゆきさんははい、と困ったような顔で笑い返してくれた。


お互いに恋に落ちているのは明白なのだ。
あとはそれをどう表すかだけだろう。
どうか二人がお互いの心を手に入れてくれればいいと心から思う。

友の幸せを祈らないものはいないのだから。