花と獅子

辻褄合わせの愛情


ようやく長い夏が終わりに差し掛かり、秋の気配がそこかしこに感じられるようになった頃、煉獄様は鬼殺隊最上位の柱に就任された。

不定期に鴉が運んでくれる手紙ではなく、奥の報告のために訪れた産屋式邸であまね様の口からその事を聞いた時は喜しくもあり、もう以前のように定期的にあまね様の護衛として顔を合わすことはないのだと思うとやはり少し寂しく思う。それは良かったですね、と言葉を返しながら煉獄様を思い浮かべてもうあれから何日会っていないのだろうかと数えようとする思考を遮断して目の前の報告に集中する。

気温が上がり出した頃からお館様のご体調が優れない日が多く、あまね様にお屋敷を空けていただくことが適わなくなった。
元々は松方からお屋敷に報告に伺うのが筋であったが、祖父から受け継いだ<奥>という組織をまだ手足のように扱えず日々の業務や報告書の山に忙殺されてしまった私のために態々あまね様は松方邸へ足を運んでくださっていたのだ。組織を束ねて指示を出し、人員を管理してきちんと利益を生み出し続けることをなんてないようにやっていた祖父は凄い人だ。そんな祖父と違い不明点や滞った業務の改善、人員の補填にと次から次に降りかかる事態になかなかまとまった時間を作れなかった。毎晩資料の確認をして、現地に向かって担当者に確認するなんて作業を繰り返し、取引先に顔を売り、人脈を作る。私は私のやり方で無駄とも思えることも全部やって、ようやくこの組織を末端まで理解できた。そうなれば私がいなくてもある程度は個人の裁量に任せても安心でき、鬼殺隊や隠からの要望事項の精査や開発にも以前より応えられるようになってきた。鬼のことも隊士の使う不思議な力のことも、私は何も知らないけれど資金と調達という分野においてはどうにか産屋式家にしっかりと顔向けのできる体裁が整えられた。

報告に行くと耀哉様はあまね様の手を借りながらご一緒に聞いて下さる日も多かった。
次の事業の相談に乗ってくださることもあり、ほとんど外出されない身でありながら世間のことを本当によくご存知であり、その知見の深さには毎度のことながら驚くばかりである。
しかし以前は美しく整っていた容姿も会うたびに痛々しい痣が広がってゆく。顔色や声の張りが弱くゆきの素人目にも病状は思わしくなかった。
先生に診ていただいた診察結果はこれまでの他のお医者様と同じ、根本的な治癒方法が分からないという答えだった。
対処療法しか僕にはできない、と淡々と答える先生の言葉を聞いても耀哉様は穏やかな仏の顔でありがとう、良い先生を連れてきてくれてと私にいつも通りの笑みを向けてくださった。
もう少し調べさせて欲しいと先生は採取した血液を分析してくださっている。その結果も出次第、またご報告にお連れするお約束だった。

「…新規事業の登録についてと、全体の収支は以上です。ここ数ヶ月、隊士の人数が少し増えてきましたね。喜ばしいことです」

給与や支給品の確認で全体数の把握は適時確認していた。鬼の撃破数も同時に隠しが報告してくれているが、討伐数と生存数が数字で突き付けられるとなんとも言えない気持ちであった。もちろんそれを見ることは義務であるし、そこから目を背けることは許されない。ならばせめて、生者の数を見ていたかった。
「そうだね、私の子供たちは皆強く優しい子らばかりだ。特に最近は柱になるほどの実力に恵まれた子がたて続けに出たからね…そう言えばゆきも杏寿郎とは顔見知りだったね」
「はい、煉獄様、胡蝶様とは面識がございます。お二人共よく出来た方です、私も精進して参ります」
「ゆきも杏寿郎もしのぶも、かわいい優秀な子どもに違いはないよ。あまり表立って会うことはないのかもしれないが、他の子どもたちとも仲良くしておくれ」
「はい」
耀哉様の言葉はどうしてこんなにお優しいのだろう。慈愛に満ちた微笑みを浮かべる彼のように、私もどんな時も穏やかな水面のような心を持っていたいと思う。

「そう言えば、ゆきの婚約は間違いだったのですね…私ったらお祝いをどうしようかと先走ってしまいました」
「そのことは…お騒がせしてお恥ずかしい限りです」
記事として新聞に載るまではやはり時間がかかってしまったが、きちんと訂正記事を載せてもらえてこうして人々にきちんと伝わったことであの騒動は一件落着となった。しかしこれには予想外の影響もあったのだ。松方ゆきはまだ婚約者がいない適齢期の令嬢だと再認識させてしまったようで、何やら縁談の申し込みが増えてきている。文句をいう立場でないのは分かっているがいまは放っておいて欲しかった。
「そうか…ゆきもそんな歳になったのだね。本当に結婚が決まった時は私からもお祝いをさせておくれ」

顔を見合わせて微笑まれるお二人を見ていると、ただただ羨ましかった。恋愛結婚でなくてもお互いを慈しみ、愛し合った夫婦の姿を見ると私にはこの幸福を手に入れる日がくるのだろうかと思う。たった一人でいい、心から寄り添える人を。

「耀哉様…ありがとうございます。ですがまだ、暫くかかりそうです」

できればずっと、ずっと先延ばしにしておきたい。今はただ会いたいと思う心だけを大事にしておきたかった。未来を見るには朧げで頼りなく、今という時間でしか考えられない関係を断ち切る勇気もなくただただ願う。向けられる真っ直ぐな好意に同じものを返せているのかまだ分からなかったけれど、それでも一度会えばもう一度一秒でも長く会いたいと思う。その心だけを灯火にして息苦しいくらい狭い胸にしまう。

また来月に恐らく先生と伺うであろう旨をお伝えして産屋式邸を後にする。
今日はこの後しのぶ様とお会いする約束であった。あれから二度ほど顔を合わせて最新の薬剤の情報と、兵器として利用されている薬品のサンプルをお渡ししていた。しのぶ様は聡明で冷静な方で、常に笑顔で対応してくださった。年が近いこともあって会うたびに少しずつ個人的なこともお話しするようになりゆきにとっては鬼殺隊で初めての友人のような気安さを感じさせてくれる相手であった。

付き添ってくれる鈴音と徒歩で蝶屋敷まで移動している道中に今日聞いた煉獄様の話を伝えると彼女はそれはすごいと目を瞬いていた。
「柱になれるのは本当に限られた隊士です。強さももちろんですが戦術にも長けた人格者である方ばかりです。そうですか、煉獄様もついに…」
「お父上も炎柱だったと仰っていたから、きっと幼い頃からの夢だったのでしょうね。お祝いをお伝えできるのは嬉しいわ」
「はい、お嬢様からのお言葉なら一層お喜びになるでしょう」
意味ありげに微笑む鈴音に、そういう事を言わないでと心の中で返す。

鈴音をはじめとしたメイドたちはあの夏の逢引から帰ってくるとそわそわとした眼差しでどうだったのだと聞きたくてたまらないと言った様子だった。準備をしてくれたことの感謝と、街を散策して赤いリボンを頂いたことを話すときゃあきゃあとかしましいお喋りが始まってしまった。もうおしまいよ、と寝室に逃げ込んでいつの間に用意されたのか去り際に渡された包みから、細めの艶やかなリボンを取り出して暫く見つめてから大事にしまっておこうと決めた。
あの夏の日が色あせてしまわないように、時間ごと閉じ込めるようにしっかりと化粧箱の蓋を閉めたのだった。

今日の昼には産屋敷邸へ伺うと煉獄様への手紙に書いたので、もしかしたら会えるだろうかと一抹の期待を胸に抱いていることは秘密だ。公私混同は良くないと思いながらも彼の生活圏にいるとあの金色の髪を探してしまう。もし会えたのなら眩い陽光のような笑顔をまた向けてくれるだろうか。


「ごめんください」
蝶屋敷で鈴音が声をかけると今日は小さな女の子たちが3人出てきた。しのぶ様も孤児を引き取っていらっしゃったのだと知り、本当に凄い方だと再認識する。

「ゆきさん!すみません、迎えに出れず…」

お屋敷に上がった所で奥からしのぶ様が顔を覗かせた。こちらが思ったより早く着いたので、気にしないでくださいと首を振る。

「…お取り込み中でしょうか?」

お邪魔したことのあるしのぶ様の居室とは逆方向からいらっしゃったので、医療院に急患だろうかと様子を伺う。
「えぇ、まぁ重症ではないのですが…処置が終わり次第そちらに戻りますので暫くお待ち頂いても宜しいですか?」
申し訳ありません、と眉を下げるしのぶ様を見送って可愛らしいキヨさんに案内された和室で待たせていただく。
黒色のプリーツスカートを整えながら正座で鈴音と並んで静かな部屋で一息つく。涼しくなったとはいえ歩くと汗ばむほどには暖かい陽射しであった。ガラスの茶器で冷えたお茶を頂くと中からひんやりするようで少し熱が取れた。


「そう言えばこちらに来る前に医療関係の担当者と連絡をとっていたのは蟲柱様のためですか?」
「えぇ、病院関係の新しい検査器具をお兄様に紹介してもらったの。でも軍部のご用達だから後回しにされてるみたいで…」
「そうでしたか。やはり今は軍部が一番進んでいますからね」
「そうね、銃だって仏蘭西のものをモデルにしたものが陸軍には支給されているそうだし。毒物や投擲機もどんどん新しいものが出ているそうよ…」

大きな戦争は今のところないのだが、それでも軍靴の足音はそこかしこで高らかに鳴っていた。
松方の家は軍部とは強固な繋がりがなかった。そこで次兄の譲治が政治家であり実家が実業家である点を活かして軍需産業にも進出したのだ。元々の基幹事業である造船業・貿易業はお兄様が、特にお館様にご助力いただいている化学や医療の分野をゆきが、そこにさらに光学・機械技術まで譲治が手を出したのだ。特許技術や役員報酬という形でも収入を得ている我が家は今、ここ数年で一番財をなしているといっても過言ではなかった。
もちろんその一部は鬼殺隊の奥としてのものであったし、どちらも十分に余力のある運営が可能である。
それでも鬼殺隊に提供したい技術や製品を優先的に獲得できる立場を得るためにはどれだけやっても足りないような気がした。

湯水のように使える莫大な資金があっても、人は簡単に死んでいく。
知識と技術を得なくては、鬼を相手に命を懸ける隊士を助けることはできなかった。


「へぇじゃあ火薬ももっと良いのが手に入るのか?」

突如頭上から聞こえた男性の声に顔を上げると、予想よりも遥かに上背のある長身の美丈夫が立っていた。和室の襖が空いた音も一切しなかったはずだ。気配なく横に立っていたことに驚きながらその黒い隊服と背中の「滅」の文字で隊士であることに少し安心した。

「宇髄様!」
私が口を開くよりも先に鈴音が声を掛ける。
「おぉ!隠れてねぇ隠の嬢ちゃんだな…久しぶりだなぁ!ってことはこっちがうちの炎柱がご執心の高嶺の花か」
どれどれと蹲み込んだ宇髄様にぐっと顔を近づけられて大きな目で愉悦を隠そうともせずに検分される。くいっと長い指で顎を掴まれ右へ左へ好き勝手に触られるのは流石に恥ずかしいのでお止めください、と声を掛けるもその手が離れる気配はない。
「派手に美人だな!!」
「宇髄様、それ以上お嬢様に無体を働くのは許せません…お手をお離しください!」
鈴音の冷ややかな声にようやく離れた指にほっとしたところで、今度は右腕を掴まれると宙ぶらりんに持ち上げられてしまった。そのまま逞しい肩に押し付けるように担がれてしまいきゃぁと小さく悲鳴が出る。全体重を腕だけで引っ張れれたせいで右腕が痛かった。

「嬢ちゃん、あんたの姫さんちょっと借りるぜ」
「なっ、宇髄様!」
「鈴音っ」

身を捩ってもびくともしない腕に抱えられ、鈴音に手を伸ばすも全く届かない。一足ですぐに外に連れ出されてしまった。そのまま今まで経験したこともない速度で宇髄様が走り出したので必死に目の前の隊服を握り締めて目を瞑る。体に感じる風からもその速さが分かるが、人一人担ぎ上げてもこの脚力とは本当に鬼殺隊の隊士は皆すごい。だが今は感心よりも恐怖が勝る。
「舌噛むなよ?」
口を開けることもできない今の状況が早く終わって欲しくて必死にしがみ付いているとふいに硬い地面に下ろされる。恐る恐る目を開くとどこかのお屋敷の玄関であった。磨き上げられた木目の美しい床に足がついたことに安心するのも束の間、かくんと膝が抜けてしまった。

「おいおい、大丈夫かよ…抱えた時も思ったけどお前細すぎるぞ。ちゃんと食わねぇと胸もケツもでかくなんねぇぞ?」
七色に輝く石の嵌った額当てを外し白銀の髪を掻き上げた宇髄様に返す言葉もなく茫然と床板に蹲っているとぱたぱたと賑やかな足音が聞こえてきた。
「天元様!お帰りなさい!」「おかえりなさいませ」「お帰り」
背後から現れた女性三人はにこやかに人攫いまがいのことをした宇髄様を迎え、荷物のように放置された私を珍しそうに眺める。

「えっと…こちらは?」
「…お邪魔いたします。松方ゆきと申します」

床に手をついたまま姿勢を正すこともできず一先ずご挨拶だけ済まして宇髄様に目を向ける。仕方がねぇなぁ、とため息を吐きながら後ろから片手でひょいと持ち上げられ荷物のごとく奥へと運ばれる。
「あ、あの、この体勢は止めて欲しいのですが」
「あぁ?立てないのに文句は言うのかよ、嬢ちゃん」

立てない原因はそもそも貴方です、とは言えずなすがまま客間と思われる座敷に放り込まれる。宇髄様はちょっと待ってろ、と言うと三人の女性の一人に何か伝えると奥へと去っていってしまった。
ようやく感覚の戻ってきた足を引き寄せて正座する。乱れた髪を手櫛で整えて部屋の様子を見るとどこもかしこも綺麗に磨かれ床の間にも趣味の良い陶器と花が飾られていた。彼は無骨なようで実は芸術家肌なのかもしれないと思いながらも、やはりこれまでに行動を是とすることもできそうになかった。置いてきてしまった鈴音もしのぶ様にもご迷惑だろう。

「…大丈夫ですか。天元様と何かあったのですか」
「えぇ、まぁ…」
目元がきりっとした意思の強そうな目をした短髪の女性がお茶を持ってきてくれた。どう説明して良いものか迷い、曖昧に微笑んで言葉を濁す。
「すみません。女性に無体を働くような人ではないので…基本的には優しいんですけど」
「大丈夫です、私が宇髄様のやり方に慣れていないだけでしょう…」
慣れる日が来るとは到底思えなかったが、彼と暮らしを共にしているであろう女性に悪く言うことも出来ないのでありがとうございます、とお礼を言ってお茶をいただくことにする。がらっと襖が開くと隊服から着流へと着替えた宇髄様がなにやら箱や袋を持って部屋に入ってきた。
「まきを、ありがとな」
「はい、天元様」
宇髄様と入れ違いで部屋を出るまきをさんはこちらに目線を向けて心配そうにしながらも襖を閉める。

どかっと机を挟んだ向かいに腰を下ろした宇髄様を改めて見ると、白銀の髪と整った顔立ちで白い肌は男性とは思えない美しさがあった。しかしそんな容貌に反して口調や表情は気安げで揶揄いの混じった視線が彼の心根が悪い人ではないのだろうと思わせた。

「急に連れてきちまって悪かったなぁ。一度会ってんだがあんた寝てたから俺のこと知らないよな。音柱・宇髄天元様だ宜しくな」

「奥の管理をしております松方ゆきです…本当に次からは止めてくださいませ。ご用事でしたらこちらから伺いますので…胡蝶様にもお詫びしてください」
素直な謝罪は受け入れるものの、またこうして急に連れてこられるのは心臓に悪い。悪かったって、と軽く言ってのける彼にはこのようなことはよくあるのだろうか。

「さっきのまきをと、あと二人いたのが俺の妻だ」
はい、と相槌を打とうとして思考が混乱する。日本は三人も妻を取るような制度はとっくの昔に廃止されている。もちろん妾を囲う方は未だにいらっしゃるがそれでも奥方が三人と言うのは聞いたことがない。ぽかんとしていると宇髄様は男なら嫁の二人や三人、幸せにしてやってなんぼだ、と笑う。

「でよ、本題だがゆきんとこで火薬や爆薬の手配もしてんだろ?俺は日輪刀意外にも火薬玉を使うんでな…改良したくってよ…いくらか用立ててくれないか」
ごとりと重そうな音をたてて机の上に広げられた武器や火薬をを見てそういうことか、と理解する。宇髄様に対して若干の恐怖感はあったが、こちらも仕事として対応せざるをえない。愛用の武器について説明を受けて、こちらからも陸海軍で使用している火薬や撃針の仕組み、最新の投擲兵器について話す。今日は資料になるものは持ってきていなかったので、相談に乗りながら取り寄せる薬品や実際に使われいる兵器を決める。隠を通じて近日中に音柱邸にお届けできるだろうと答えると宇髄様は楽しみだと大きく笑みを浮かべた。
「よく知ってんな、ゆき」
「専門家には及びませんが、一通り知識は持っているつもりです。最新の投擲兵器は発火薬と起爆薬の相性もありますが、爆発までの秒数を制御できれば銃のように中距離の発射も可能なようです。投擲機も試作段階のものがあるはずですので用意いたしましょうか?」
「ふーん、なるほどな。たしかに距離を保って攻撃できる点はいいが、鬼の強さによってはあまり遠くから狙っても避けられるだろう。だが嫁に持しておくにはいいかもな…」
「先ほどの奥方も隊士でいらっしゃっるのですか?」
「いや、正式な隊士ではないが俺もあいつらも忍だったからな。今でも俺の仕事手伝ってんだ」
派手にイケてるだろ、と言われてそういえば三人とも引き締まった体格の持ち主であったなと思い返す。忍が実在したことも、今もまだ活動していると言うのも驚きであった。


「で、煉獄とはどうなんだ」

仕事は終わりだ、と武器を片付けた宇髄様は話はこれからだと言わんばかりに隣にやってくると人の悪い笑みを浮かべる。逃げるように後ずされば距離を詰められ壁際に追い詰められてしまう。背の高い宇髄様に逃げ道をすんなり塞がれてしまった。

「…お話ししたくありません」
「なんでだよ、逢引したんだろ?聞いたぜ。煉獄のやつ浮かれててよ、可愛いよな」

虹色の虹彩が宇髄様の目の中で楽しそうに輝いている。煉獄様の様子を聞くのは少し興味があったけれどこれ以上話す気にはなれず途方に暮れる。

「宇髄様はいつもこうなのですか」
「こうって?」
「人の心をかき乱して満足ですか」
「ぶはっ!さすがお嬢さんだねぇ。怒ってんのか?もっと素直になればいいのに、感情隠すのうまいよな。いいね、俺は煉獄もゆきも好きだぜ」
この状況でどうして好意が芽生えるのか、宇髄様が全く理解できない。お館様に他の子供達とも仲良くするようにと言われたばかりであったが、返事に困って視線を泳がす。苦手だ。この会話の支配権を渡してくれない感じも急に連れ回されたのも落ち着かない。

「煉獄のこと宜しく頼むぜ」

ぽんと不意に頭を大きな手で撫でられれた。勝手なことばかり言って、急に底抜けに優しい顔をして微笑まれると毒気を抜かれてしまう。人との距離感が近いのだろう、心の中まで入ってきて好き勝手言うこの人を少しだけ分かった気がした。


その時すぱん!と襖が開き、腕に包帯を巻いた煉獄様が血管を浮き上がらせた怖い顔で立っていた。

「宇髄!!」

尖った声で名前を呼ぶと、壁際に追い詰めてきていた宇髄様の首元を掴んでいとも簡単に私から離してくれた。怒っていても久しぶりに見る煉獄様のお顔に胸がきゅうと苦しくなる。

「あれ、煉獄もう治療終わっちまったのか。ってことは」
「宇髄さーん、ゆきさんを返して頂けますかー?」

煉獄様の後ろからにっこりと冷たい笑顔を浮かべたしのぶ様が顔を出す。
あちゃーと宇髄様がふざけた声を出すとお二人から鋭い視線が飛んでいた。

「ゆきさん、大丈夫か」

膝をついて頬に手を添えてくれた煉獄様は先ほどまでの怒りに満ちた顔から、眉を下げて心底心配そうにな顔になっていた。知った顔に迎えにきてもらえたことにほっとして、ようやく微笑むことができた。

「怖かっただろう、大男に誘拐されて」
「煉獄様、誘拐ではないと思いますが…」
「おいこら、聞こえてんぞ」
「ゆきさん、すみませんね。宇髄さんにはよーく言い聞かせますから」
「しのぶ様、せっかくのお約束がこのような形で…すみません」
「無視すんじゃねーよ!」

煉獄様によしよしと撫でられてしのぶ様に手を握られると、まるで悪役から救いだしてくれた場面のようだ。事実だけを述べると確かに宇髄様は悪役に違いないだろうが、彼の人となりを知ってしまった今では憎めなかった。
煉獄様としのぶ様と宇髄様の言い合いで一悶着あったが、ひとまず蝶屋敷に帰ろうと玄関まで行ってはたと気づく。

そうだ、靴がないのだ。

「靴はしのぶ様のところですね…」
「ならばゆきさんは俺が連れて帰ろう」
「れ、煉獄様!」
煉獄様は返事を聞く前に私の体をその逞しい腕で抱き上げる。宇髄様ほどではないにしても急に高くなった視界に悲鳴を飲み込んで首元に縋り付く。にこにこと明らかに上機嫌の煉獄様と、あらあらそういうことでしたか、と笑みを深めるしのぶ様に羞恥を耐えきれず煉獄様の首元に顔を隠す。

「また来いよ」

全く懲りていない笑顔で見送る宇髄様に手を振られながら、まだ日が落ちていないことに驚く。


今日は実に長い1日だ。