紙の月

花園の密談

  呪術高専の同級生は無駄にデカく、無駄に顔のいい男二人だけだった。透ける様な白髪に空色の瞳という目立つ容姿の五条も、さっぱりした顔立ちに男にしては長い黒髪の夏油も、どちらも外見にステータスを全振りしたのだろう、中身は子供のまま大きくなったような軽薄な男である。そして自らのそれを特別だと思っていた自尊心に軽くヒビが入る程度には、二人とも類稀な才能と実力を持っていた。それでも一月、二月も経つ頃にはちょうどよい距離感とともに三人の間には「連れ」という空気感が出来上がっていた。それは初めての経験だったが意外と心地が良かった。

 そしてもう一人、月島透もまた、稀有な人間だった。
遠くからでも目を引く美しい容姿と、人目を嫌う様にこそこそと通路の端を俯きがちに歩く姿が印象的だった。五条が「これ透、仲良くしてやって」と、自分の持ち物の様に彼女の手首を掴んで半ば引きずるように連れて来た時にはじめて近くでその顔を見た。アーモンド型のぱちりとした瞳に扇状に広がる長い睫毛。血管が透けて見えるくらい白い肌に小作りな骨格と、女子の憧れを具現化したような彼女に羨望よりもほう、と感心してしまう。その整った顔立ちを堂々と見せれば良いのにと思うが、美人には美人の苦労があるのだろう。透はどうも人が苦手なようで、人と会わない様に、逃げる様に生活しているようだった。
仲良くしてやってと言われても、避けられているのだから仲良くなりようもないではないかと思う。


「「あ」」

それでも同じ寮で生活していれば、鉢合わせることもある。
脱衣所でコックコートのボタンを外していた透は、扉を開けた硝子に気づくと硬直した様に固まる。さぁと青ざめていく顔に、何もしていないのにこれではこちらが悪者のようだなとポリと頭をかく。

「…そんなに怖がらなくても」
「ごめんなさい」
「いや謝らなくてもいいけど」
「…はい」

スルスルと衣擦れの音を立てながら服を脱いでいく透のことを横目で見る。華奢な骨格に薄く筋肉のついた身体は同性から見ても見惚れてしまう美術彫刻の様だ。同じ様に脱ぎ掛けの自身の体を彼女の黒い目が見ていることに気づく。「大きい」と小さく独りごちた透の声に、自身の体に目線を下げると女性特有の膨らみが視界に入る。

「あ、声に…」
「出てたよ」

黒い瞳と一瞬目が合うと、頬を染めてぱっと逸らされてしまう。そんな仕草さえ絵になるのだから、美女とはすごい。やはり避けられているのだと思ったが、五条が無理やり彼女の顔を固定して目を合わせていた様子を思い出し、癖なのかもしれないと思い直す。

「そんないいもんじゃないよ。肩凝るし。ってか入ろうよ、風呂。流石にまだ全裸でいるのは寒いでしょ」
「は、はい」


 共用の風呂はそれなりに古めかしいが、広いので硝子は気に入っていた。呪術師でしかも女というのはもともと人口が少ないので、こうして風呂場で在校生や教師と鉢合わせることは稀だ。
透と並んで髪と体を洗い終えると大きな湯船に肩まで浸かる。ちゃぷん、とどちらかが体を動かした時に水音がするくらいで、一日の疲れを癒す静寂にふうと心地の良い吐息が二人の口から漏れる。

透は向かい合って目を合わせるのは苦手なのだと、失礼な態度だったと謝ってきた。並んで座って話す分には問題ないのか、思っていたよりも会話が弾む。そういえば入学してから同世代の女子と話したのはこれがはじめてだった。毎日あの馬鹿共の相手ばかりだったこともあり、気づかなかっただけでこういった女同士の会話というものを硝子も求めていたのかもしれない。それはもちろん彼女も同じなのだろう。
敬語じゃなくていい、なんて呼ばれてるの、と初対面でよくやるやりとりさえ楽しいと感じる。慣れてきたのか少しづつ向こうからも質問が増えていく。透は人を避けている様だが、人が嫌いなわけではないようだった。あまり突っ込んだことを聞くのは少し気が引けるが、ここには呪術師しかいないのだ。そういった話題を避けることもまた難しい。

「反転術式、ってあの人体の治療ができる?」
「まぁね。五条もちょっとは使えるみたいだけど他人に術式をかけるのは無理だし、そういう意味ではレアかな」
「すごいね、家入さん」
「すごかない。完全にサポートだ。透は? 人と目を合わせたくないのはあんたの術式のせい?」

ちゃぷ、と透がお湯の中に浸かった腕を動かした。ゆらゆらと水面をわずかに揺らして幾重にも連なる波紋が静かに広がっていく。

「術式なんて言っていいのか分からない…呪力のコントロールを覚えても、この目が抑えられてるのか不安で…先生は大丈夫って言うけど本当にそうなのかなって。この目のせいで、たくさん迷惑をかけてきたから」
「縛りはつけてないの?」
「うん。つけたいけど、昔からこの目は曰く付きみたいでなかなか許可も出ないし難しいみたい。だから、誰のことも見ない様にしてる。そうしていたら、少し生きやすくなった」
「そ。まぁいいんじゃない。高専にいれば呪いに出会うことはないし、あんたがそれでいいならね」

透にとっては、なんのトラブルも発生しない呪術高専から一歩も出ずに生きていくことは悪いことではないのかもしれない。変わることのない安息の箱庭で、美しい彼女はひっそりと生きていくのだろうか。それが幸せなんてものだと思っているのだとしたら、それはまた随分と慎ましいことだ。そしてとても、寂しいことだ。



あれからなんとなく、風呂の時間を同じ時間にしている。透も同じ考えだったのか、ほぼ毎日一日の終わりに顔を合わすことになった。裸の付き合い、と言うのは男同士の関係においてよく出て来る言葉であって、女同士のこれとはまた意味が違う様な気がする。それでも偽るもののない無防備な状態を見せ合う間柄であることは、透と硝子の仲を急速に縮めることとなった。

「し、硝子」
「なぁに」
「まだ? もう恥ずかしい」
「どうして? 別に見えてないんだし恥ずかしくないでしょ?」
「それは、そうだけど。でも硝子とても見てるでしょ…」

向かい合う体制を苦手とする透を説得し、彼女には目を瞑ってもらい正面からその美しい顔を存分に眺める。顔を上げてと言えば、素直に従う彼女の従順さに悪い男に騙されるのではないかと少し心配になる。そう、例えば五条とか。

閉じた瞼がぴくぴくと揺れる様子までじっと観察していると、真っ直ぐに見つめる硝子と目を合わせない様に斜め下に目線を落として透はうっすらと目を開く。長い睫毛の先から水滴が滴り、盗み見る様にちらりとこちらを見た透と一瞬目が合うも、すぐに逸らされてしまう。

「もう終わり。私の顔そんなに見ても面白くないよ」
「面白くはないけど、綺麗だなって思うよ」

美しいと言うことはそれだけで一つの才能であり能力だと思う。人は美しいものが好きだ。整った造形に惹かれ、愛し、蒐集するのだ。透がこの外見で生まれたことと、彼女の魔眼は無関係ではない。きっとこの外見であることが、魔眼に選ばれてしまった一番の理由だろう。

「目、合わせたらやっぱだめ?」
「だめ。大丈夫な保証がないし、硝子がおかしくなったら治す人いないもん」
「術式のオンオフもできる様になってよ。そしたら買い物とか、一緒に行けるよ?」
「…うん」

透は硝子の言葉に頷くと少し迷う様に口を開く。

「五条くんは、六眼を持ってるから目が合っても大丈夫みたい。でも初めて会った日から、たくさん話しかけて来る様になったから、やっぱりどこかおかしくなったんじゃないかなって思う。…どう思う?」
「…話したくないかもしれないけど、今まであんたの目見た人間はどうなっちゃうことが多いの?」
「私のことをすごく好きになってしまうみたい。ぼんやりしたり、じっと見つめて動かない人もいるけど、時々私のことを殺したいと思う人もいた、かな」

自嘲気味な言葉は淡々としたものだった。透の不安はなんとなく分かった。人に好かれるということが透にとっては呪ってしまったことに繋がるのだろう。

五条はきっとまだ分かっていないだろう。
ことあるごとに自分が透を構っていることも、彼女の意識が自分に向いている時はすこぶる機嫌がいいことも、夏油が透に微笑む度に不機嫌になることも、きっと全部彼は気づいていない。

「あいつは最初からおかしいから透のせいじゃないよ」

硝子の言葉にそうかな、と返した透は五条のことをどう思っているのだろうか。聞いてみたい様な気もするが、これ以上同級生の厄介な関係に首を突っ込むのも野暮な気がした。
しばらくは静観するしかない。
恋というものは人の手でどうにかなるものではないのだから。