紙の月

熱を孕んだ瞳

  クリスマスがこんなに楽しい日だと、私はその年初めて知った。先生が買ってきてくれたチキンとホールのケーキに歓声を上げ、買い込んだお菓子やジュースが所狭しと並んだ小さな卓を4人で囲む。流しっぱなしのテレビからは、年末の特別歌番組に次々と煌びやかな歌手が登場した。その歌を口ずさんだり、五条くんや硝子が飛ばす野次に笑い、思いつく限りのくだらない話をした。夜が更けてきても、眠気は一向にやってこない。狭い部屋で肩を寄せ合い笑い合った楽しい時間は、あっという間に白んだ空を連れてきた。
 
 流石に徹夜すると、身体の表面がぬるま湯に浸かってふやけたような頼りない感覚に包まれる。夏油くんのそろそろ解散、という声とともに頭だけがハイになったままふらふらと片付けを始める。普段から夏油くんと二人で朝までゲームをして遊んでいるらしい五条くんはケロリとした顔をしている。

「……透、もうお前寝そうじゃん」
「だいじょうぶ、おきてる」
「目、とろとろ」

 机の上のゴミを集めていた五条くんの大きな手がすり、と頬骨をなぞる。高い体温に引かれて無意識に頬を寄せると、彼の視線がきつくなった。どうかしたの、と声を出す前に硝子のため息が聞こえた。

「もうほとんど終わったし、透は寝てきな。私も一本吸ったら部屋戻るよ」
「硝子、吸うなら窓開けてね。透、おやすみ」
「はーい」

 私抜きで進んでいく会話を眺めていると、五条くんに手を引かれた。

「透、部屋まで送る」

 返事をする前に歩き出した五条くんに連れられて、夏油くんの部屋を出ると、突き刺すような12月の寒さに身体をふるりと震わせた。白み始めた空を廊下の窓から見上げているうちに、部屋の前に辿り着いていた。勝手にドアを開けた五条くんにベッドまで誘導される。促されるままに毛布と布団に埋もれるように横になると、急激に眠気が襲ってくる。
 
「おやすみ」
「ん……」

 優しげな声にお礼を言わなくては、と思うものの喉の奥で小さな音が出ただけだった。大きな手のひらが額を撫でている感覚を最後に、私のはじめてのクリスマスが終わってゆく。

 
 クリスマスが終わると、ばたばたと急ぎ足に月日が過ぎていく。いつもの一週間よりも目まぐるしく、あっという間に年末年始に突入してしまいそうだ。学生は冬季休暇が始まり帰省する人がほとんどだ。食堂のおばあちゃんも今日から家に帰るそうで、二人で厨房の大掃除を終えたところだ。
 帰る家を持たない私はもともと静かな校内がより一層静かになるこの期間を、どう過ごそうかと悩んでいた。先生は任務が入らなければ、宿舎にいると言っていたが残った大人たちで酒盛りをするとも聞いている。賑やかそうなその集まりにそれとなく誘われたものの、場にそぐわない気がして断ってしまった。
 夏油くんも硝子も昨日のうちに、それぞれの実家に帰ってしまった。五条くんは御三家の当主だというから、きっと彼も今日にも帰るのだろう。出る前に挨拶くらいしてくれるだろうか。そういえば朝から一度も彼を見ていない。もうすでに行ってしまったのだろうか。それは少し、寂しいかもしれない。つきりと痛んだ胸に自然と視線が下がる。とにかく自室へと戻ろうと、長い廊下をのろのろと歩く。

「透、なに落ち込んでんの?」
 
 聞き慣れた声にぱっと顔を上げると、五条くんが背を屈めて向かいからひらひらと手を振っていた。

「五条くん、あれ、帰らないの?」
「帰んないよ。ってクリスマスの日話したけど。あー、お前眠そうにしてたもんな」

 寝落ちしてしまったあの日は、確かに最後の方の記憶があまりない。楽しかった、そう漠然とした思いがあるだけで皆の話をきちんと聞いていなかったかもしれない。任務帰りなのだろう、コートを着たままの五条くんの前まで行くと、ぽすっと頭に手を置かれる。会えないかもと思っていた人に会えたことで、ほっとした気持ちのままに頬が緩んでしまう。

「……今日で一応、緊急以外は任務ないけど」
「そ、そっか」
「傑も硝子もいないし」
「うん、そうだね。先輩たちもほとんどいないね」
「だな。だから、今から俺の部屋で過ごそうよ」
「へっ」
「飯とか、なんか適当に買い込んで。テレビとか見て、ゲームして。一緒に」

 五条くんの部屋で、お泊まり会だ。二人きり、で。とても魅力的な提案にぱっと気持ちが明るくなると同時に、最近の彼の部屋での触れ合いを思い出して、頬が熱を持つ。

「……いや?」

 それは何に対しての確認なのだろうか。私が深く考え過ぎているだけだろうか。迷うように泳いでいた視線を五条くんに戻すと、そこには頬をうっすらと赤く染めた男の子がいた。透けるような青い瞳の奥に、焼け焦げそうな熱が隠れているようで目が合っているだけでつい逃げ出したくなる。

「……や、じゃない」

 そう答えたのは、私なのに私ではないみたいだった。逡巡と恐れがないわけではないのに、断ると言う選択肢はなかった。閑散とした廊下を吹き抜ける冷たい風など気にもならないくらい、身体の表面が熱をもっていた。