紙の月

指折り数える日々

 「クリスマスパーティー?」
「そう、クリパ。やりたくない?」
「やりたい!」

 思わず身を乗り出すと、透の動きに合わせてお湯がちゃぷんと音を立てる。相変わらず硝子と透の二人きりのお風呂は、12月の冷え込んだ外気を忘れさせてくれる白い湯気が立ち込めている。パーティーと名のつくものなど初めての透はきらきらと目を輝かせており、そんな彼女の様子に硝子もまた五条や夏油の前では見せない柔らかな笑みを浮かべていた。

「じゃあ任務次第だけど、25日は放課後に夏油の部屋に行こ」
「分かった。任務、みんな入らないといいのにね」
「まぁこればっかりは仕方がないよね。でも全員出払うことはないだろうし、最悪いるメンツでやろうか」
「そうだね。あっ何か準備する?」

 硝子は五条のクリスマスについての知識を思い出し、しばらく透の顔を見つめる。彼女は果たしてクリスマスを祝ったことがあるのだろうか。

「あー、ちなみにだけど、透は今までクリスマスはどうしてた?」
「えっと、こっち来てからは先生がチキンとケーキ買ってきてくれて食堂で食べたりとか。あ、あとプレゼントも、サンタさんっていう先生から」

 少し考える素振りをした透は、大切な思い出なのだろう、懐かしむように水面を眺めて答える。硝子はその様子に、ほっと一安心しながらやはり五条家が特殊なのだと改めて実感する。

「なるほど。五条がさぁクリスマス祝ったことないんだって」
「そうなの?五条くん、お祭りとかパーティーとか好きそうなのに」
「多分一番はしゃぐだろうね。準備もあいつは役に立たないだろーし、夏油と3人で分担しよっか」
「うん。多分今年も先生がチキンとか、ケーキ買ってくれそうだからみんなで食べたいってお願いしてみるね」
「ほんと? いいね、透に頼まれたらおっさん絶対断らないでしょ」

 メインの食事がすんなり手に入りそうで安心した硝子は、ぐいっと一度お湯から腕を上げて伸びをした。あとは飲み物とお菓子があればそれなりにパーティーになるだろう。 

 25日の算段はさておき、透は五条とクリスマスはなにかするのだろうか。隣で肩までしっかりとお湯に浸かり、白い肌を朱色に火照らせた透を横目で眺める。出会った当初はかなり華奢だった骨格は、彼女の鍛錬の成果が筋肉として身についていた。細いだけではないしなやかな身体にはいくつか傷跡が浮かんでいる。反転術式でも消せない傷はある。硝子はその一つをそっと指先で撫ぜる。お湯の表面に細波が起きて二人の肌にぶつかって消えていく。

「ね、この傷跡は五条も知ってる?」

 横胸の少し下。肋骨が浮かぶ肌に沿うような傷跡は、日常生活ではまずみることは無い場所だ。質問の意図を理解したのか、透の顔がお湯に浸かった身体と同じくらい赤く染まる。大きな目を見開いて、困ったように眉を下げる透の表情は答えているのと同じだ。どうやら五条は本当に慎重に付き合っているらしい。そのことに安心と優越感を覚えた硝子は、ニヤリと口角を上げる。

「こ、こんなとこの傷、五条くんが知ってるわけないよ……!」
「そう? でもちゃんと付き合ったんだし、これから見られるかもよ? それこそイブに」
「なっ! そ、そういうのは、まだ、早いんじゃ、ないかな」

 尻すぼみに小さくなっていく透の声に、硝子の悪戯心が擽られる。

「準備だけでもしておいたらー? すっごい下着でも買って」
「すごい下着……?」
「そうそう。紐パンとか喜びそうじゃん、あいつ」
「ひも?」

 ピンと来ていないのだろう、首をかしげる透が面白くて硝子は耳元で「紐」の詳細を呟く。またしても真っ赤になった透はぶんぶんと首を振っていた。最終的に五条を喜ばすことになると思うと面白くないが、初心な透が自分から五条と一緒にいたいとその手を伸ばしたのだ。少しくらいは彼らに祝福という名の揶揄いをしてやろうではないか。

「クリスマスプレゼントに買っといてあげる」

 はくはくと口を開けたり閉じたりして抗議の言葉を探す透は、ニヤつく硝子に言い返すことが出来ず真っ赤な顔を隠すように湯船の中にとぷんと潜ってしまった。



 20日を過ぎる頃には、25日のクリスマスが待ち遠しく、透は毎日カレンダーを見るのが楽しみになっていた。任務で出向いた街中も赤と緑の装飾があちこちに散りばめられており、それらを見るだけでも心が浮き足だった。四人で行うクリスマスパーティーはプレゼントも用意し、夜蛾からもチキンとケーキの差し入れを確約してもらった。あとは、誰にも長期任務が入らないことを願うばかりだ。談話室で一人、カレンダーを前に手を合わせる。
 しかし、クリスマスにはイブというものもある。今までは特に気にしていなかったが、どうやらイブは恋人と過ごす、というのが日本ではメジャーらしい。恋人、という存在がいる透は、この日を五条と過ごすことになるのだろうか。彼からその日についての話題は出ていない。こちらから誘っても良いのだろうか。けれど一体デートに誘って何をすれば良いのか、と考えたところで風呂場で硝子に囁かれた内容を思い出し、慌ててその話は忘れようと首を振る。

「何やってんだ?」
「ごっじょう、くん」

 不意に隣に現れた五条に思わず裏返った声で返事をする。大きなバスタオルを頭に被せたまま、イチゴ牛乳の紙パックを持つ五条は訝しげに眉を寄せたが、それ以上追求はしてこなかった。

「あの、任務お疲れ様。今日の呪霊、強くて大変だったって、さっき監督の人たちが話してたの聞いた。大丈夫?」

 傷一つないところを見ると、うまくいったのだろうと分かるが、何分彼の呪術は特別だが不安定なところがある。いくら無下限があるとはいえ、攻撃が不発の場合は怪我もする。

「楽勝、ってのは嘘だけど。一級だったらしいし、ちょっとは骨がないとな」
「そっか。怪我でもしてたらって、ちょっと心配した」
「怪我はないけど、最後に無下限切れて池に落ちた。から風呂ったとこ。これで安心?」

 そう言って肩を竦める五条は、最後のドジを恥ずかしがったのか視線を透から逸らす。

「うん。安心した」

 まだ濡れたままの髪からぽたりと雫が首筋に落ちるのを見咎めて、透は体を起こし腕を伸ばすとタオルでその柔らかな白髪をわしゃわしゃと拭く。

「濡れてる」
「ほっといても乾くって。俺の髪柔らかいんだから……」

 透の腕から逃れるうようにしてタオルから顔を出した五条と、思いの外近くで目が合う。お互いの顔の近さに、大胆なことをしてしまったと透は慌てて距離を取ろうと手を離す。しかし、不安定な姿勢で仰け反ったせいでバランスを崩してしまった。

「わっ!」
「あ、おい!」

 想像していた衝撃の代わりに、よく知る香りに包まれる。香水やシャンプーの香りではない、彼の肌の匂い。そっと目を開けると、先程雫が伝った白い首筋に鼻を埋めていた。五条の頭に乗っていたタオルは足元に落ちてしまっていた。

「ごめん、なさい」
「良いけど。こういうの、久しぶりだし。透から引っ付いてくんのもレアだし」

 いつの間にか抱き留めた姿勢から、体を隅々まで引っ付けるようにして大きな体躯に包まれるように抱き込まれる。片方の太腿を跨ぐようにして、五条の胸にぴたりと頬をつける透はその心音を聞きながら、自身の速い心音を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

「……あの、五条くん」
「んー?」
「に、24日って、どのようなご予定ですか」

 恐る恐る顔をあげ、ご機嫌にイチゴ牛乳を飲む五条に尋ねる。聞いてしまった。どくどくと脈を打つ音が耳の中に響く。指先や瞼の裏のような隅々まで発熱したように感じる。きょとんとし顔でこちらを見ていた五条は、予定を思い出すようにしばらく宙を眺める。

「うーん、どうだったかな。あ、俺その日京都だわ」

 キョウト、きょうと、京都。予想していた中にはなかった言葉に変換が遅れる。関西の美しい観光都市を思い浮かべ、慌てて五条から視線を逸らす。

「そっか。京都なんだ。じゃあ25日に帰ってくるの?」
「その予定。実家の方で呼び出しだよ、まじで面倒」

 おえ、と態とらしく舌を出す五条はもう一度甘えるように透を抱き直す。その手がそわそわと透のくびれを往復しても、いつものように静止を求める声を上げるのも忘れて透はそっか、ともう一度繰り返す。
 24日、その日は恋人と過ごすもの、と浮ついていたのは自分だけで五条はそんな気はなかった。しかも硝子に唆されたこともあるが、その日は朝まで彼と一緒にいるものだと思い込んでいた。そう、自分だけ先走って舞い上がっていたのだ。やっと落ち着いた心臓が、またどくどくと早くなっっていく。五条が何か言っているが、透の耳には自分の心音しか聞こえていない。羞恥が限界に達して透は五条を押しのけて立ち上がる。

「透?」
「あっ、あの、もう寝ます!」
「はあっ!?なんで、まだ消灯時間じゃないだろ」
「えっと、明日の任務が、早いから。おやすみ」
「本当に?今日は部屋来ないの?」
「む、無理!」

 部屋、というワードでまたしても羞恥が襲ってくる。こんな状態で二人きりの部屋になど行けるわけがない。即答で拒否すると、わかりやすく五条の顔に怒りが浮かぶ。それを見なかったふりをして透は脱兎の如く談話室から逃げ出した。

「あ、おい!透!」

 真っ赤な顔で逃げ出した透に首を傾げながら、五条は落ちたままになっていたタオルを拾ってため息を吐いた。