紙の月

憂鬱の満ち欠け

  白い髪も青い目も、白皙で彫りの深いはっきりとした顔立ちも、全部自分で望んだものではない。生まれながらに六眼と無下限呪術を持ち合わせたことと同じく、それは五条悟に天から与えられたものである。この容姿が人と違っていることも、またそれを好ましく捉える人間が多いことも物心つく頃には理解していた。自分の容姿の優れた点も、それをどうやって使えばいいのかも、五条の家で存分に実践した。婆やも乳母も年若い使用人の女たちも皆、面白いくらい思い通りに可愛がってくれた。
 そんな一つのアドバンテージだった容姿が全く通用しない透からは、かっこいいだなんて言葉はもらったことがない。人形めいた大きな瞳や小さな唇は滅多にその感情を表に出してくれない。二人でいる時間が増えると、少しづつ彼女の警戒が緩んでいくのが分かってきた。大人しく内気で、付き合ったからと言って飛躍的にその距離を詰めることは出来ない。
 己のそれとは大きさも太さも全く違う小さな手を包むように繋ぐと、腕ごと固まったかのようにぎこちなくなるものの振り払われることはない。キスだってもうやめろとは言われなくなった。まだ触れるだけのキスしか出来ないけれど、硬く瞼を閉じて受け入れてくれるようになっていた。黙って佇んでいると彫刻や絵画のようだと言われる彼女にだって、意思も感情もある。これだけ触れ合っても透が自分のそばから逃げないと言うことは、少しは気を許してくれているのだろう。はやくもっと欲しいと求めてくれるようになればいいのに。自分が透を想うのと同じくらい、俺のことを想って欲しい。付き合ったといってもまだまだ透には片想いであると毎日痛感する。だが、片想いも人生初である。初めてのことは楽しまなくては損だと思う。
 それに、少しくらい困難があった方が、手に入れたときの喜びは大きいものだ。


「五条くん、あのちょっと近い…」
「いやだって彼女だし」

 二人の休日が重なった土曜日に、約束通り買い物に出かけることにした。呪術高専内で制服として着ているコックコートや部屋着以外の透の私服を見るのは二度目だった。前回の白いワンピースもよく似合っていたが、今日のブラウスとショートパンツの格好も可愛い。いつもは大きめのパンツで隠れている白い脚が眩しい。前回の反省から透の頭には自分のキャップを被らせて、少しは顔が隠れるようにした。
 手を繋いで歩くだけでは周りへの威嚇にならない気がして、透の肩に手を回すとびくりとその細い体が強張った。すれ違う人間の視線が透からぱっと逸らされる。

「いつも部屋でくっついてんじゃん」
「お部屋は…五条くんしかいないけど、外は人がたくさんいるし…」
「ふぅん。じゃあ二人きりならもっとくっついてもいいの?」
「えっ、もっと?」
「そうそう、もっと。つーか人いっぱいいても関係ない人間ばっかじゃん、どうでもよくね?」
「知らない人だけど、その、恥ずかしい」

 胸の辺りまでしかない透の顔は見えないが、黒髪から覗く耳の淵が赤く色づいている。恥ずかしがってキャップを深く被り直す透の仕草がいじらしくて可愛い。

「俺は恥ずかしくないから、はやく慣れて」

 背をかがめて透の顔を覗き込むと、困ったように眉を下げながらも小さく頷いてくれた。


 秋物の洋服を買ったり、生クリームたっぷりの甘いものを食べたり、最近できたばかりだと言うジューススタンドでフルーツ系の飲み物を飲んだりと、かなりデートっぽいことをした。何をしたってコンビニに行くよりはデートっぽいのだが。透は物珍しそうに街中や同年代の人間を眺めながらストローからストロベリーのジュースを飲んでいる。自分が使っているものと同じ、どこにでもあるドラッグストアのリップクリームしか塗っていないはずなのにその唇が赤く艶やかに光って見える。柔らかく、少し甘いその唇を味わったことを思い出し、また寮に帰ったらキスさせてくれるだろうかと考えてしまう。ぎこちなくキスを受け入れてくれる彼女の様子を思い出して、無意識に喉が鳴った。不安げに閉じられた瞼の縁を彩る長い睫毛を震わせながら、黙って唇を合わせる透を見ていると、これまで感じたことのない感情を沸き起こる。愛らしいのに虐めたくて、大事にしたいのに跡がつくまで痛めつけたくなるのだ。

「五条くん?」
「ん?」
「…急に静かになったら。大丈夫?」

 首を傾げて心配気にこちらを見上げる透に慌てて何でもない、と口早に返す。邪念を払うように首を回すと、茶色い看板が目についた。

「あ、あのアイス期間限定だ。チョコかー、ベルギーのうまいんだよな。透いる?」
「私はジュースでいいや」
「そう? じゃあ俺の分だけ買ってくる」
「あ、じゃあその間にマニキュア買ってきてもいい?」
「あー、まぁそこの店なら見えてるし、いいよ。でも店出たらここにいろよ、絶対動くなよ」

 アイスに惹かれて立ち上がると、透は座っていたベンチの側のいかにも女子向けの雑貨店に行くと言う。確かにマニキュアを買おうと言って外出したんだった。あまり男の自分が入るには向いていない店内の色合いに気圧されてしまった。女性客ばかりの店内に入っていった透を見送って、さっさとアイスを買って透が出てくるのを待っていようと、出来たばかりであろうアイスクリームの店の前に並ぶ。思ったよりも人が並んでいて、これはこちらのほうが時間がかかるかもしれないなと思う。
 ようやく順番が巡ってきたので、期間限定とでかでかと謳われているベルギー産チョコレートのアイスをダブルで頼む。愛想のいい女性店員に手渡されて、急ぎ足で先ほど腰掛けていた場所に戻るもまだ透はいなかった。

「あの、すみません。お兄さんこの場所分かりますかぁ?」

 チョコレート味を堪能していると、後ろから女性に声を掛けられた。長い髪をゆるくウェーブさせて、胸元が大きく開いたブラウスからは谷間が見えている。首を傾げる仕草も、上目遣いも、全てが計算されていて、思わず笑ってしまいそうになる。

「あー、俺ここ詳しくないから」

 傑と並んで歩くとよく声をかけられた。チャラついた男からは「おにーさんたちこっちの仕事興味ない?」だとか、狩りの目つきでギラついたおねーさんには「道を教えてください」だとか。呪術高専に入学した当初はそのどれもが初めての経験で、一体何なんだと足を止めていたが、後から傑がどういうものか説明してくれた。男から掛けられるのはスカウトで、女の方はナンパだからわざわざ話を聞かなくていいよ、とあいつは慣れた様子で語っていた。傑といるときは、あいつの胡散臭い笑顔の後ろで一言も発さずに睨みを効かせれば大抵の人間は去っていく。けれど一人でいる時はあの笑顔を真似することは出来ないので、興味ないということを前面に出して適当に答えるしかない。

「えー、残念。今は一人ですかぁ?」
「カノジョ待ってるとこだから」
「あ、そうなんだぁ。でもお兄さんなら彼女いてもいいかな。これ私の番号、ひまなときでもいいからかけてね」

 勝手に左手に握らされた名刺と女の顔を見比べて、一つため息を吐く。

「はいはい。つーかもう行ってくんない?」

 ここでこの紙を破り捨てると逆上されて騒がれるのも面倒だ。せっかくのデートらしいデートを邪魔されるのも嫌だったので、受け取ると彼女は目に見えて喜んでいた。かけることなどないし、駅のゴミ箱にでも捨てようと思いながらナンパ女を追い払う。チョコレートのアイスを齧ろうとした時に、少し離れた場所で立ち竦む透と目があった。なんとも言えない顔でこちらを凝視している彼女を訝しみながら、透のそばに行く。

「買えた? なに固まってんの」
「あ、うん。買えた…」
「なに? あ、アイス欲しいの? 食う?」

 差し出したアイスに小さく首を振る透の顔色が悪い気がして、空いている手で彼女の帽子の影から額に触れる。

「どうした、疲れたわけ?」
「やっ!」

 柔らかな前髪が指先を滑るのと同時に、手首に軽い衝撃が走る。透に手を払われたのだ一拍遅れて気づく。

「は?」

 二人の足元にキャップが音もなく落ちると、しんと周りの音も消えて周囲の目が二人に向いたことを感じる。透は自身の行動に驚いたように右手を見つめ、慌てた様子で地面に落ちたキャップを拾い上げるとくるりとその場から歩き出してしまった。

「おい、急に何だよ」

 目を合わせようともしない透の様子に苛立ちながら腕を掴むと、振り向いた透が泣きそうにも怒っているようにも見える顔でやっと目を合わせた。

「帰る」
「は?」
「もう帰る…離して」

 小さな声でそれだけ言うと透は俯いてしまった。急に何なのだと全く理解が追いつかないが、黙り込んだ透に根負けしてデートを切り上げることにした。
 行く時はあんなに浮ついていた気持ちが嘘のように、帰りの二人の間には気まずい沈黙だけが流れる。夏のはじまりから五月蝿いくらいに鳴いていた蝉の声すら聞こえなくなっていた。

あぁ、そうかもう夏も終わるのか。