噂のユウレイ
「ナーサリー、俺も嘘だとは思ってないけどさぁ」
「じゃあどうしてそんなに遠くにいるの?」
藤丸立香は頬を膨らましたナーサリー・ライムからの視線に苦笑いを浮かべる。
「ここだけの話、俺、幽霊とか怪談とかあんまり得意じゃないんだ」
藤丸の言葉にきょとんと目を瞬いたナーサリーは、すぐに小さな両手で口元を覆うとクスクスと笑い声をあげる。
「じんりしゅうふくの旅でもっと怖い思いをしてきたでしょう、マスター」
「えー、でも幽霊はいなかった、、いやいたかな?」
これまでの旅路を思い出しながら藤丸は首を傾げる。オルレアンから始まりなんだかんだと突拍子もない微小特異点や亜種特異点へもレイシフトを繰り返して行くうちに滅多なことでは動じなくなっていた。だが怪談となると生まれ育った日本特有のしんとしたホラーが思い起こされて背筋につうと冷たい汗が流れるのだ。
「仕方のないマスターさんね。手を繋いであげるからあの幽霊さんがどうしてカルデアにいるのか、聞いてあげてちょうだい」
「ありがとう、ナーサリー」
ナーサリーに右手の指先を握られたことで、もう逃げるという選択肢は絶対に選べないな、と藤丸も覚悟を決める。もとから小さな女の子のお願いを断るなんて出来ない相談だったか、と半ば諦めながら普段は滅多に人が来ない空き部屋ばかりが並ぶ廊下の奥へと進む。
歩きながらナーサリーから詳しくその幽霊とやらについて聞くと、幽霊は女の子らしい。ジャックと二人で遊んでいたら、たまたまその子を見つけたのだと言う。彼女は話も出来て、ジャックとナーサリーとも遊んでくれるというので、彼女たちと同じくらいの小さな女の子の姿なのだろうか。
そして彼女はサーヴァントに似た霊基だが、サーヴァントではない。そして人間でもないのだそうだ。マスターとはいえ魔術師としては落ちこぼれもいいところである自分には、正直ぱっと見てサーヴァントなのか人間なのかなんて見分けがつかないが、英霊である彼女が言うのならば間違いないのだろう。
「ここのお部屋よ」
「緊張するなぁ…」
「だいじょうぶよ、わんちゃんみたいに飛び掛かったりしないわ」
「ははは、そうだよね」
ドアの開閉ボタンに手を翳すと、プシュッと空気音を立てて目の前のドアが開く。自身の部屋と同じ造りをした部屋の奥で、ベッドの端に座っていた日本の学生服を身に纏った藤丸と歳の変わらない女の子がびくりと驚いた様に立ち上がった。
「ご、ごめん! 急に入って」
てっきりナーサリーと同じくらいの小さな女の子を想像していたので、同い年の女子の部屋に許可も得ずに踏み込んだ様な恥ずかしさがこみ上げてきた。歴史に名を残すような美麗なサーヴァントたちを見慣れた藤丸からみても、その子は可愛らしい顔立ちをしていて現代的な服装も相まってただの人間にしか見えない。この子がナーサリーの言う幽霊なのかとしげしげと観察していた藤丸は、はっと我に帰りコホンと咳払いをする。
「あの、俺は藤丸立香。ナーサリーとジャックと遊んでくれたんだよね、ありがとう」
「こんにちは、ユーレイさん。今日はこのマスターとも遊んでくださる?」
藤丸の手を離してタタっと彼女の方に駆け寄ったナーサリーは、再会を喜ぶ様にその手を取ると藤丸の前まで連れてくる。幽霊だと言う割に、彼女は透けることも、宙に浮くこともなく、それに影もあるので、藤丸はホラー展開はなさそうだと肩の力を抜く。
「あ、えと・・・ナーサリー、この人が言ってた人間の…」
「そうよ、わたしたちを召喚したマスター。少し頼りない顔をしているけれど、とても勇敢で何でもできてしまうの」
「そんなことないんだけどね」
近くで見ても彼女の容姿は整っていて、無造作に垂らした髪がさらりと彼女の動きに合わせて揺れる。丸い目を瞬いて藤丸を見つめていたが、ぺこりと小さくお辞儀をしてくれた。
「名前聞いてもいい?」
「透です。あの、ここは天国かなにかですか?」
透と名乗った彼女は少し怯えた様な表情で藤丸を見る。
「いや天国じゃなくて、カルデアだね。カルデアっていうのは、っていうか今の地球はいろいろと厄介でさ。人類史消滅の危機ってやつなんだ」
「天国じゃないんだ…」
藤丸の言葉の後半の方が衝撃情報のはずなのだが、天国であるかないかという方が彼女には大事らしい。自分の身体を抱きしめる様に腕を組んだ透はしばらく逡巡する様に目線を落としていた。そうしていると本当に、同じ人間にしか見えなくて藤丸はなんとも言えない気持ちになる。
「俺、魔術師なんだけど正直落ちこぼれでさ。ナーサリーが君は英霊じゃないって言うからそれを信じてるんだけど、透は何か自分のこととか、どうしてここにいるのかとか、分かる?」
「私、たぶん一度死んでるんです。でも目が覚めたって言うか、眠りから覚めたらこの建物にいたんです。なんでここにいるのか分からなくて、部屋の外に出てみたら迷子になっちゃって。そうしたらナーサリーちゃんに会いました。すみません、この部屋勝手に借りてました」
死んでる、と言い切る透の横顔は悲壮感もなく、ただその事実をありのまま口にしただけであったが、それでも藤丸は彼女の死に胸の奥がひやりとした。
「あの、私からも質問していいですか?」
「もちろん」
「あなたは、マスターだと仰っていました。それは、つまり今は聖杯戦争に参加されているのですか?」
「聖杯戦争? ごめん、俺本当に魔術師の常識に疎くてさ。聖杯は確かに探してるけど、戦争をしているわけではないよ」
「そう、ですか…」
透は藤丸の言葉に考え込んでしまった。ナーサリーがそんな彼女の手をもう一度握ってにこりと微笑む。
「だいじょうぶよ、マスターの善性は信じるに値します。私が保証します」
「ナーサリー…ありがとう。そうだね、ごめんなさい藤丸さん。少し予防線を張ってしまってました」
「いいよ、君だって急にいろんなことが起きてびっくりしてるんだと思うし、それに初めて会った人を信用するなんて魔術師がしていいことじゃないしね。まぁ、俺は結構すぐ信じちゃってるんだけど」
自虐めいた乾いた笑いを漏らす藤丸は自然と相手の緊張を解してしまう。
不思議な人だと透は藤丸を見つめながら、ここに自分がいるのならばあの男が必ずいるはずだと最後に目にした彼の顔を思い浮かべる。
困った様な悔しそうな顔で私を見つめていた、孤独な王もここに来ているのだろう。どうしてかその気配を辿れないのが気にはなるが、藤丸に聞いてみても悪い様にはならないだろう。
「ここにギルガメッシュがいますよね?」
「え? 王様?うん、いるよ。あーでもここのところシヴァの改良すると言ってたから今何徹目かな…」
「おうさま、ここ三日ほど食堂でもみてません」
透としては、意を決してかの王の真名を口にしたのだが、藤丸もナーサリーもとても軽い反応だった。拍子抜けしながらも、ここに彼がいるのだと言うことが分かっただけで透はようやくほっと息を吐くことができた。それにしても、自分の知るギルガメッシュは徹夜などするタイプだったろうか。夜中にふらふら出歩いてたのは知っているが、基本的にあの家でベッドの上かソファの上で寝そべっていらっしゃたはずだ。大きな猫のようだなと思った瞬間、ぎろりと赤い瞳で睨まれていたことがひどく懐かしく感じる。
「王様に会いたいの?」
藤丸はようやく少し落ち着いた様子の透にたずねる。
「会いたいです。とても、会いたい」
一呼吸置いてから答えた透は、小さくはにかんでいる。真っ直ぐに藤丸を見返した彼女が、一体どういう存在なのかはまだ分からないが悪い子じゃないことは分かる。藤丸は自分のこの手のカンだけは自信があった。
藤丸が差し出した手を握ってくれた透は、やはり生きている同じ人間としか思えなかった。