貴方のための銀の牙

硝子に似た虹彩

「横になって」

黒い長衣の神父服と同じように真っ黒の瞳をした綺礼さんに促されてソファに寝転ぶ。
先日の『キレイ』さんがこの静かで真意の見えない男であることはどうやら間違いなさそうだ。王様の本宅はこの男の元のようで、向かいのソファに腰掛けて寛ぎながら金の輪の中から瓶を取り出すと赤ワインをグラスに注ぎ煽っていた。

「骨は折れてないようだ、それよりも…」
「そっちは…」

服の上から触診と共にあまり目にしたことのない術式の魔術が掛けられる。まさか魔術を掛けられるとは思っていなくてびくりと震えると全く笑っていない目で落ち着くように牽制される。

死体が出来てしまったことですぐにその場を離れざるを得なくなり、王様の言葉や行動を受け入れたり葛藤することを一旦諦めて即座に家に帰ろうとした。しかし「綺礼のところに行くぞ」とどう言う訳か関わり合いになりたくない聖堂教会に連れて来られてしまった。右腕をコートの上から掴まれて引きづられるように歩かれると、王様と私の体格的ではどうにか踏みとどまろうと力を入れてみても無意味であり、機嫌のすこぶる悪そうな彼にこれ以上反抗することも分が悪かった。

「呪いか」

王様にあった日にもらってしまった、魔力がだらだらと栓を無くして漏れるようなものと、今日もらった循環を阻害するもの。認識している2つの呪いは術者が死んでしまったが解除されなかった。術者が死ねば消えるものがほとんどだと習ったのだが、例外もあるようだ。でもこの呪いがなければ王様とも出会わなかったのかと思うと、少し複雑だ。

「起きれるか」

暫くして詠唱が止み、翳していた手を退けた綺礼さんに促されて体を起こすと、背中の痛みが消えていた。恐る恐る体を撫でてみても特に痛む箇所はなかった。見え辛かった視力も回復していてほうっと息を吐く。まさか治療してくれるとは思っていなかったので、驚きながら礼を言う。治癒魔術か、かなり珍しい。術式の文様と詠唱を脳内で再生してみるが記憶にはない。本の中にあるかどうか帰ったら探してみようと思う。

「君は聖杯戦争に参加しなかったのか」
「…はい」
「残念だ。君ほどの魔術師ならば聖杯を手に出来たかもしれない」
「無駄だ綺礼、こやつは姉妹喧嘩の後始末すら出来ぬ。殺されかけた相手に止めも刺さない愚か者だ」
「魔術師に生まれたからには争いは避けて通れまい…だが主は地の罪全てを許される」

静観していた王様が口を開くとさっきの出来事が胸に蘇りまた心のうちに深いトゲが刺さる。私の沈黙をどう勘違いしたのか、今日の処理はしておくから安心したまえと綺礼さんは言う。噛み合わない会話と底の見えない海のような目に薄ら寒い恐怖を感じてしまう。迷った末にソファを降りて王様の後ろに移動すると、王様が可笑しそうに声を上げて笑う。

「ほう、鈍い雑種でも綺礼の異常性は理解したか」
「…見知らぬ大人に対する子供のよくある行動だ。しかし随分と懐かれているようだな」
「王たる我に傅くのは当然の道理よ」

選択肢が他にもあるなら私だって好き好んでこんな怖い人の側に近寄らない。でも今は目が笑わないなんとなく怖い綺礼さんと、怖いことは知っているけどそれ以外の顔も知っている王様の二択だ。例え王様の考えや行動全てを肯定出来なくても現状この二人しかいないのだから仕方がない。

「あの、もう帰っても?」
「止めはせんが、今夜は事が済むまでここを出ない方が身の為だぞ」
「何かあるんですか?」
「千里眼で見えているのだろう、聖杯戦争の初戦が始まるのだ」
綺礼さんの言葉でどくりと心臓の音が大きく鳴った。

「貴様もしかと見るが良い。己の願望のために命を懸ける者の生き様をな」

空になったグラスを置いた王様が振り返り、ばちりと赤い瞳と目が合ってしまう。王様の目はいつも通り怜悧に輝き、私には考えも及ばぬような深淵を湛えている。今日の出来事は彼の中ではどう片付けられたのか、いやもはや興味もないのか分からないけれど『愚か者』の私に聖杯戦争から何か学べということだろうか。無言で一つ肯くと、王様の赤い目は一度瞬いてからすっと逸らされたのだった。


何を合図に始まったのかは分からなかったけれど、凄まじい剣戟の音が教会の中まで響いてきた。空気を揺らす魔力に感化されて自分の中の魔力が騒ついている。窓から見える範囲では大柄のサーヴァントと金髪の女性サーヴァントの攻防は目で追えない程だった。

「バーサーカー…すごい力」
「あんなもの…戦うだけの狂犬よ」
「死なないのですね、彼は」

光と共に上半身の一部が消滅したように見えたが、すぐさま肉体が再生し始める。魔術では到底再現できない神の如し御技をただただ畏怖の念で見つめる。

マスターはこの場にいないようだが、それでも十分に聖杯戦争が始まったことを嫌でも思い知らされた。
自分と同じ魔術師の力を持つものたちによる願いの戦い。
英霊による代理戦争のような体をとったこの戦いの末に叶えたい願いとは何だろう。
そこまでして願うものとは何なのだろうか。

結局バーサーカーはその体をアーチャーによる攻撃で焼き払われようとも再生して見せたのだった。決着はつかないまま、夜は更けていった。

「あの、私のことは、なかったことにしてくれませんか」
「協会に報告するなと言うことか?」
綺礼さんの言葉に肯く。
するとまた口元だけ機械的に弧を描く笑い方を向けられてぞわりと背中に鳥肌が立つ。
「私の記憶では、魔術書を媒体にして特殊な写本の能力を持つ魔術師は一家心中したと数年前に聞いたはずだしな」
「…私は今日、ここに来なかった」
「あぁ、それでいい。私は聖杯戦争の参加者でない魔術師の行末には関与しない」
「有難うございます」

治療してもらった恩があるので深く一礼してからどうも苦手な綺礼さんから逃げるように帰ろうとすると背中に声が掛かる。

「君はあの王の名を知っているのか?」
「いいえ」
「教えてやろうか?」
「いいえ、結構です」

知りたくないかと言われると、知りたいのが本音だ。でもここで本人以外の口から聞いてしまってはルール違反のような気がした。

私にとって彼は美しくとも恐ろしい理解の及ばない英霊だ。その名や史実を辿ってもあまり意味がないように思う。気まぐれか裏があるのか気安く触れてきたかと思えば、私の判断を否と決めつけて断罪する。助けてくれたのかと思う時もあれば、死など彼には何の意味も持たないと思い知る。

振り返らずにもう一度軽く頭を下げてから教会の敷地を出る。夜の冷気は骨まで刺さるような寒さで、思わず指先を擦り合わせる。狂宴の名残のように魔力の残滓が漂っている辺りを見回して一つ白い息を吐くと、自分の一部も残滓となってこの空間に溶けた気がした。