貴方のための銀の牙

魔香と邂逅

阿呆、間抜けという浴びせられる侮辱の言葉にそんなことはないと思っていたけれど、王様の指摘は正しかったようで私はまた厄介事に巻き込まれてしまったようだ。ガス漏れ事件が最近多いというニュースは聞いていたけれど、まさか当事者になるとは思っても見なかった。さらに言うのならばそれが魔術師の仕業だとは驚きである。

休日にファッションビルの中にある歯医者に行き、診察券を出したところまではしっかり覚えている。その後急に頭が重くなり次に意識が戻ったときにはそこら中に人が倒れていた。腕時計を見るからに気を失っていたのは五分ほどだと思う。
魔力がどんどん抜けて行く感覚に頭の中に警告が鳴る。できるだけ早くここから出なくてはすっからかんにされてしまうではないか。立ち上がった瞬間にぐらりと視界が揺れる。ただでさえ今は魔力の調整がうまくできないというのに、無遠慮に抜き取られては生命力全てが無くなってしまう。なるべく早く出ようと心に決めて必死に魔力を巡らせる。

「絶対何かいる…」

診察券を回収しダッフルコートを着直して財布と電話しか入ってないカバンを斜めにかける。ここにいた痕跡を残さないように注意して意識のない人たちばかりの中を歩き出す。私の魔術は保存や複製など固定化することは得意だが四方へ巡らせて探知するようなものは苦手だ。魔術師などは何となくその気配を察知できるけれど、それ以外のトラップの類や使い魔程度の魔力だと特に意識をしないと気づかないことの方が多い。
ブレーカーが落ちたのか薄ぼんやりとした暗闇を進むと、暗がりから何かが飛び出してくる。
開いた本から防御の魔術を発動して障壁を作って凌ぐと、骨で出来たゴーレムだと分かる。一匹かと思いきや背後からも襲い来るそれらをなんとか躱して攻撃の魔術を発動すべく本のページを捲っていく。

「あんまり使わないから私の書いた呪文が見つからないよ…これでいいや、リリース!」

ひとまず何でも良いやと考えなしに選んだ呪文に魔力を注ぐと思いの外大きな爆風を生じさせてしまったようである。向かってきたゴーレムだけでなく自分の体も風圧により後方へ吹き飛ばされて勢いよく背中を床に打ち付けるとみしりと肋が嫌な音を立てた。

「いっ…たい!」

もっと簡単で目立たない攻撃の呪文を探しておかないといけない、でも反省は後だ。とにかくこの建物から出ないと。倒れた人たちの安否も不明であるし魔術師の争いを他人に見られるわけにはいかない。本を片手に突如現れるゴーレムを防御障壁で体当たりすると言う力技で蹴散らしてようやく外への入り口を見つけてよたよたと作動しない自動ドアをこじ開けて倒れるそうになりながら外の歩道に出る。建物から出る瞬間に結界を潜った感覚で肌がびりびりと電気が流れたように気持ちが悪い。
何事かと騒つく通行人に救急車を呼んでくださいと声をかけて歩くたびに涙が出そうなほど痛む体を無理やり動かしてその場を離れる。

大きなビルを丸ごと包むような結界を張れるなんて一体どんな魔術師なのだろうか。いや、これは王様と同じサーヴァントの力かもしれない。今まで出会った魔術師など比にもならないような圧倒的な力の差を感じる。
こんなもの相手に戦っている魔術師たちがいるのかと、呆然とした心地で本を抱き竦める。
聖杯戦争ーーどうして逃げた先でもまた魔術が追ってくるのだろう。


「みーつけた」

鳴り響くサイレンを背に人混みを避けて選んだ路地裏で突如響いた声に心臓を冷たい手で握り締められたかのような恐怖で顔を上げると、自分とよく似た顔が笑みを浮かべてこちらを指差していた。

「姉さん」
「透、久しぶりね。前回は変なのに邪魔されて一体壊れちゃったけど…今日はいないのね、あの派手な男。ちょうど良いわ。」

本当に、今日はとことんついていないようだ。

「攻撃してきなさいよ、いつも逃げてばかりじゃない。透が持っているのは一級品の武器だって分かってるくせに…使わないならさっさと渡して!」
姉の手から次々に放たれる攻撃を防御魔術で凌ぎ状況を変えることができないか必死に頭を使う。彼女の魔術の系統も結局は私と同じものだ。保存される先がこの魔術書か人体か。その違いは大きい。ため込むだけでも苦痛しかないというのに、こんなに乱発できるほど仕込んできたとはよくやる。

「姉さん、もうやめようよ…」
「馬鹿!あんたが始めたんでしょう!さっさとその回路ごと寄越しなさいよ」

こちらの言葉を聞く気はないと何度も試して知っている。それでも投げかけてしまうのはそれが唯一の手段だからだ。

姉さんは私と同じように試験官の中で作られた命だ。両親の卵子と精子を掛け合わせた受精卵に様々な遺伝子情報の操作を行い人の腹を借りて生まれる命。両親は魔術師に向いた遺伝子情報を持つ子供を何人も作り、それらを実験のように鍛え上げて一番うまくいった個体にその叡智を継承さそうと試みたのだ。
同じような容姿の同じような年代の少女たち。自我を持った時からライバルであり、家族ではなかった。
最も魔術師に向かない性格の私が最も多くの魔力量と、魔術回路を備えていたことはなんの因果であろうか。

私たちは一つの正解を探して作られた命だ。
姉さんと私の差が正解と間違いの差だとは思わないけれど、姉さんにとっては許せないことだった。同じように育ってもどれだけ言葉を交わそうとも心の距離は開くばかりで、他人よりも淡白な関係の彼女から唯一向けられる強烈な感情は殺意だけだった。
私を睨み付ける目線を受け止めて彼女の動作から放たれる攻撃に備えるべく本を開く。

「ブック」

防御壁を作り出して魔力込める。攻撃の衝撃が防御魔術から振動として体を震わせる。軋む肋にその揺れがダイレクトに伝わって声にならない痛みが走る。
水平方向に飛んできた攻撃に気を取られていると、二撃目が頭上から大粒の雨のように降り注ぐ。二方向は防げなくて防御壁を頭上にかざすと姉との間に障害物がなくなってしまった。自身の体に対して何らかの強化をした彼女は、鹿のような脚力で間合いを詰める。飛びかかってくる姉さんを見ながら、この本だけは離すまいと開いたページに指を挟み左手で胸元に抱え込むように抱き込むと、白い手が両手で本を掴んだ。

「っああああ!」

甲高い絶叫と共にじゅうと肉の焦げる音と匂いが立ち篭める。それでも本に掛けた手を離そうとしない姉を体ごと振り払って距離をとる。

「何よそれ、そんな呪いかけて、触るなって言いたいわけ?」
「これを私以外に唯一使えるとしたら姉さんしかいないんだし対策くらいはしてるよ」
「そういうとこは抜け目ないわよね」
「姉さんこそ、また新しい呪いだね」

至近距離で何か掛けられたようで魔力の巡りを阻害されている感触が気持ち悪くて何度も瞬きを繰り返す。起き上がった姉さんをぼやける視界で見返すと、にやりと唇を歪めて笑われる。

「あら気づいたの、残念」
「でも私、こんなんじゃ死なないから。…早く手冷やしたほうがいいよ」
私の言葉はまた彼女の怒りのスイッチを押したようで立ち上がった姉さんに鬼のような形相で睨まれる。
「分かってるわよ、でも消すこともできないでしょ」
「じゃあ一生こうやって鬼ごっこだね」
「鬼ごっこじゃないわよ、見つけたら終わりじゃないもの」

言葉を言い終わらないうちに地面を蹴ってぐんと距離を詰められる。
さっきのガス漏れのビルで襲ってきたゴーレムの相手をしたこともあってもう防御の呪文は予備がない。巡りの悪い魔力で攻撃の魔術を放って制御できる自信はない。明確な殺意を持って襲いかかる姉さんから目を逸らさずに、今度はちゃんと自分で本の中から選んだ魔術の呪文を指先でなぞる。回路を流れる魔力が安定せずに予想通り本から解き放たれた途端に破裂音を立てて暴発する。

賽を振るようにどちらに転ぶか運に任せてしまう愚かさを苦い薬のように飲み込んだ。
予想以上の大きな爆風を受けてどさりと後ろに尻餅をつくように座り込む。煙が晴れると正面から攻撃を受けた姉さんは仰向けに倒れていた。
「避けようと思えば、避けれたでしょう」
痛む体を起こして彼女の顔が見える位置まで近づくと、ぼろぼろの体だったが目線だけは尚も睨み付ける強さがあった。
「一生鬼ごっこだなんて、こっちもごめんよ…」
「姉さんたち…あと何人残ってるの?」
「…2人」
驚いて目を見開くと、彼女は自嘲ように唇の端を無理に持ち上げた。
「そんなにいなくなったの」
「そうやって殺しあったのかって言わないあんたが大嫌いよ」
姉さんの白い手を取って、本を開きながら封印の魔術を唱える。もう襲って来れないように回路を使えないようにと詠唱を始める。これが完全に発動すれば、もう彼女は魔術を使えないし魔術師ではなくなる。そうなればもう家に囚われず、鬼にもならなくていいだろう。
「こんなの死ねってことじゃない…」
「違うよ…どこでも生きていける。やりたいように人として生きていくんだよ」
初めて彼女の顔に怒り以外の色が浮かんだように見えた。戸惑ったような目の動きに微笑みかける。

その時、空を切る風の音と共に姉さんの胸には美術品の如く煌びやかな長剣がずぷりと突き刺さる。
衝撃にびくりと震えると空気を吐くような柔らかい音を最後にその目は空になった。
呆然と彼女の顔を見つめていると突き刺さっていた剣がまるで幻だったかのように金色の鱗粉を散らしながら消えていく。

「随分と情け深いな」

声の主を見上げると冷え冷えとした紅玉の目に睥睨される。笑うことも滅多にないけれどここまで冷たい顔をしている彼を見るのも初めてだ。

「それを生かしてどうするつもりだった」
「…すきに生きればいいと」
「魔術が使えずとも人を殺す手段はいくらでもあると理解しているか?
刃物で刺し殺すも、首を絞めるも、毒物を使うことも、こやつの選択肢として残ると分かっていたのか」
「それは、誰しもそうではないですか?ただそれを自分の善性を持ってして選ばないというだけです、殺したくないというのは当たり前です。殺さなくて済むのならそれが一番…」
「ぬるい」
「王様とは…違います。私は、したくない」
開きっぱなしのまだ温もりの残る瞼を下ろすと、ふと火傷の酷い掌に何か握っていることに気づいてそっと握られた指を解く。
彼女の手の中にあったのは魔術媒体であろう液体の入った小瓶だった。
王様はそれを知っていたかのようにざらりとした刺のある声で言い聞かすように言う。

「最後まで反撃の機会を狙うとは…貴様の姉の方が余程まともに生きておったようだな」

彼女の手にあった武器は使われなかった。
それは結果であり使えなかったのか、使わなかったのか、その大きな違いはもう知ることは出来ない。