貴方のための銀の牙

酔狂なる調べ

減ったら増やす。
魔術を使用してしまうと、私の本からは一つ呪文が減ってしまう。使用したらまた新たに書き足さなければいけない、そうしてこの本は代々この体を流れる血脈の魔術師の手から手へと受け継がれてきた。

ガラスペンに特殊なインクと自分の血を1滴落とし防御の呪文を魔力とともに本に込めていく。
書き終わるとぼんやり発光する文字を定着させると背後から声がかかる。

「雑種、それを我に見せてよいのか」
「王様に見られると何か悪いことありますか?」
「魔術師というのはそういった神秘を秘匿するものであろう
貴様の手の内をひけらかしたこと後悔することになるのではないか」

リビングのローテーブルでお風呂上がりのストレッチの要領で自身の武器の手入れをやり始めたが、確かにこれを見られていいものかと言われると答えに困る。しかし王様は英霊であり、私たち人間の魔術師で敵うような相手ではない。彼が本気で出会った日に私の背後に向かって振るったようにその武器をこちらに向ければ、私は苦しむ暇もなくこの命を失うことになるだろう。今日出会った青髪のサーヴァントだって様子を見るだけというスタンスだったから助かったけれど、本気で向かってこられたら彼が言っていたように全く勝負にならないだろう。
だからこそ隠す意味も感じられなかったのだが王様は警戒心が足りないとため息を吐いている。

「私が王様に向かってこれを使うことはありませんし、、それにこの本を開くことも、魔術の発動も私と同じ先祖の血を持つことが術者の絶対条件です。今のところこの魔術を武器として使えるのは私と、姉だけです」
「なるほどな
であれば、先日のアレが貴様の姉だと言うか。人であるかどうかも怪しいではないか」
「そうですね、もう人ではないのかもしれません…私も似たようなものですが」

人でなくなると言うことがどういうことか、はっきりと断言することはできない。それは現代の死と同じでどこからが死んでいるかなんて判断を下せるほどの何かを私は持っていない。
自我失ったら?体が壊れたら?記憶を失ったら?人の領分を超えたら?神に近づこうとしたら?
そしたらもう人ではないの?
だったら私も、家族も、もうすでに人ではないだろう。でもたとえそうだとしても、私はそれを認めるできない。彼女たちをまだどうにかしてあげられるのではないかと思っている。私の人生をやり直せるのではないかと思っている。そんな望みが叶うことなどないことはどこかで分かっているけれど、だからと言って全部を諦めることはできない。
私はこの命をきちんと生きたい。
普通の女の子のように、誰かとご飯を食べたり、笑いあったり、涙を流したり、この世界を愛しんで、慈しんで生きていきたい。

それは聖杯だなんて大層な代物を使わずともいい、小さな願いだ。


本に馴染んだ魔術を確認してパタンと閉じる。王様は黙ってその様子を眺めていたが、興味を失ったように後ろのソファに体を沈めるとテレビをつけて夜の休憩タイムに入ったようだ。

「透、ビールを取ってこい」
立ち上がれば数歩の距離の冷蔵庫に行くのを面倒臭がるなんて、この人も大概だなと思いながらはい、と返事をして冷蔵庫を開ける。6缶パックの外箱がくたりと鎮座しているだけで目的の黄金の缶は見当たらない。
「王様、もうありませんよ」
「む、昨日で最後だったか…
ならば買ってこい、金ならやろう」
ポケットから札束を取り出す王様にぎょっとしながらぶんぶんと首を振る。
「無理です、この国の法律で未成年はアルコールを購入できません」
「なんだと?では貴様我にこの寒空の下買いに行けと申すのか」
「…だって私だと買えないんだもん
あ!アイスクリームがありますよ?あったかい部屋で食べるアイスは最高です」

冷凍庫に少しお高いカップのアイスクリームがあることを思い出し、二つ取り出して王様のいるソファーまで持っていく。ローテーブルに並べてスプーンを取りにもう一度キッチンに戻りあったかいお茶も準備してからリビングに運ぶと渋々といった様子でアイスの蓋を検分する王様がいた。

「この緑はなんだ」
「抹茶です、日本のお茶の一種で苦味が美味しいです」
「ラムレーズン…ラム酒か…ならばこちらだな」
アルコール度数は期待できないアイスだが王様はラムレーズンを手に取りぺりぺりと蓋を開け始める。無言で差し出される手にデザートスプーンを渡して、余った抹茶のアイスを手にとって蓋を開ける。白い霜がうっすらと光り、これが無くなり少し柔らかくなるまで待とうと先にお茶を飲んで口の中を温める。ソファーを王様が陣取り、その側のラグに座るのが定位置になってしまった。すっかり小間使いが身についてきている。

「おい、固いぞ」
「あ、そういうアイスです。少し溶けるまで置いておいた方がおいしいです」
「先に言わんか」
「ごめんなさい、でもとても美味しいので味は保証します」

そろそろ炬燵を出したいなと思いながら、両手でコップを持って指先を温める。週末に納戸から引っ張り出すかと算段を付けてそろそろいいだろうかとカップの縁を指で押して少し柔らかくなったことを確認するとスプーンで掬って口に入れる。

「んー、おいしい…」

ほろ苦い味わいと柔らかな甘さを堪能してちびちびと食べながら、横目で王様の様子を伺うとぱくぱくとアイスを口に運びうまいな、と珍しく素直に褒めていた。気に入ってくれたことが嬉しくてつい口元が上がってしまう。

「…何をにやけている」
「ふふっ、王様が美味しく食べてくれて嬉しいだけです」

本当にただそれだけだった。もう一口、緑色のアイスにスプーンを差し込むと視界に影がかかり、なんだろうかと顔を上げれば思ったよりも近くに赤い瞳があった。焦点距離の内側に入るまで逸らされることのない視線に縫い止められた体はぴくりとも動かず、そのままゆっくりと唇が合わさる。アイスのせいで冷たくなった舌が口内を滑っていくとコポリとまた魔力が抜き取られて、少しだけ彼の魔力が入ってくるのが分かる。魔力に反応して熱を持った身体がこれ以上は良くないと告げる。息をさせてほしくて王様の肩を押してもびくともせずに情けない抗議の声がくぐもって響く。水分を含んだリップ音を立てて離れた唇をしばし茫然と見つめていると、王様は何事もなかったかのように再びアイスに手を付けた。

「なんだ?文句でも言いたそうな顔をして」
「急にこういうのするのは、やめて欲しいです」
「何を言うかと思えば…我を喜ばしたかったのであろう?雑種にしてはよい心がけであった。その褒美として臣下に与えてやったまでのことよ」
「それはそうなんですけど…じゃなくて、褒美は美味しいと言って頂けただけで十分だったと言いますか」
「ほお?要らぬと申すか。王自ら与えてやった褒賞を辞退するとはどのような理由か申してみよ」

話の雲行きが怪しくなっていき、ついごめんなさいと口に出してしまうとそれを納得と取られてしまった。フン、と鼻を鳴らして王様は分かれば良いと言う。こういう押しに弱いところが日本人の良くないところだと思う。長いものに巻かれろ、付和雷同、媚び諂うわけではないけれど主張があまりにもないのだろう。いや、無い振りをしているのだろうか。皆なにかしら日々感じながら生きているはずだ。

しかしキスはこうも普通にするものではないはずだ。いくら魔術士だからって現代のそのへんの事情は分かる。本来は恋人や好きあった人同士でする、もっと甘やかで特別なもののはずだ。残念ながら私がそれを感じることのできる日が来るかどうかは別問題だが。

もし、この王様に恋心を抱いていればこういう触れ合いで胸が高鳴ったりするのだろう。王様は恋だの愛だのは生前いやと言うほど経験してきたのだろうか。だからこんなにすぐ触れたりするんだろうか。彼にとっては女というのは寄ってくるものなのかもしれない。確かにこの端正な容姿なら相手には困らないだろう。


でも仰ぎ見た横顔からは、どこか空虚で寂しげな気配をいつも感じるのだった。