貴方のための銀の牙

刹那の閃光

珍しく目覚ましよりも早く目が覚める。久しぶりによく眠れた気がすると伸びをして首を巡らせる。
ふと、王様の気配が感じられず恐る恐る寝室を覗くと既に出て行ったようで誰もいなかった。夜が開ける前に出て行ったのは初めてであったが、彼の行動の自由を縛る理由もない。なにかあったのだろうかと、遠くまで見通す深い赤色の瞳を思い浮かべ無意識に彼の心情を測ろうとしている自分に気付き呆れる。
あの人は、人ではない。英霊だ。
私が考えてわかるような答えを持っている訳がない。それとも尋ねれば、案外教えてくれるのだろうか。

人の順応力とは凄いもので、この奇妙な関係も時間とともに受け入れてしまい当初の恐怖感も薄らいで、今では食事の相手としていないといないで静寂が寂しく思える。「普通」とは違う家で育ち、逃げ出してからこんな風に誰かと過ごす日が来るなんて夢に思わなかった。


「叶えたい望みはないのか」

昨夜の言葉が耳に残る。聖杯だなんて大それたものを使って叶えて欲しいことなんてない。
眠る前に星に祈るような、一日の始まりにカーテンを開けて今日もいい日であるように願うような、そんな小さな祈りが私には合っている。

あの人の願いはなんだろう。

ぼんやりとベランダから朝日の登った空を見ながら、わからないことを考えても仕方がないと区切りをつけて、学校へ向かう準備をする。朝食を食べて顔を洗い、カッターシャツにチェックのプリーツスカート、紺色のブレザーを羽織る。学校の指定通りの制服に合わせて靴下を履いてローファーに踵を滑り込ませて家を出る。
電車に乗って一つ隣の駅の高校に通い、ひっそりと暮らす生活ももう1年以上になる。逃げて隠れてばかりじゃだめだと思うけれど、傷つけたくないと思うのはおかしいのだろうか。この前はあの王様が追い払ったけれど、死んだわけではないのだからまた来るだろう。私があの本を持っている限り、もしくは彼女たちの息の根を止めない限り、この追いかけっこは終わらない。
できれば暫く遭遇したくないな、とため息のような息を吐いてから教室に入る。おはよう、とクラスメイトに声を掛ければ仲の良い友達が声をかけてくれる。

「透、今日はやいじゃん。宿題やった?」
「そうなの、自分でもびっくりしたけど早起きしたんだ
ん?宿題出てたっけ?」
鞄から筆記具とノートを出しながら記憶にない宿題に疑問を口にすれば友人がヤバイよ、と顔を顰める。
「出てるよー!くそう、透のノート当てにしてたのに!ってか透もヤバイよ?今日絶対あんた当たる日だもん」
そう言って指差した黒板には日直の欄に「月島」とくっきりと書かれていた。
「あちゃー」

朝礼前のあちゃー、から予想通り先生方に毎時間これでもかとご指名を頂き何とか乗り切れたかと思ったが甘かった。宿題を忘れた(正確には宿題の存在を忘れたのだけど)数学の先生からは、クラス全員の課題回収を頼まれてしまった。放課後の教室で全員分集まるのを待っているとだんだん帰る時間が遅くなり、なんとか人数分揃ったそれを職員室まで持って行って学校を出るとすっかり日が沈んでいた。
こんな時間に下校するなんて滅多にないので住宅街の人気のなさに驚く。秋口から一気に日が短くなっていくのだ。あまり暗いと影が気になって緊張が解けないのでなるべく早く帰りたいのだが、今日は自分が悪いので文句も言えない。

魔術なんてものを一般人に見られるわけにはいかない、そうなるとやはり襲われるのはどうしたって夜だ。
警戒を解けないまま電車に乗り、最寄駅で降りるとあと少しだと気が緩む。今日はいるのだろうか、とあの尊大な王様を思い浮かべる。スーパー寄るべきだろうか…残り物を出したら叱られそうだなと思い、駅前で魚の干物と出来合いのポテトサラダを買う。お味噌汁くらいは今からでも作れるし、お魚定食ということにしようと決めて家に向かって歩き出す。

暫くすると強い視線を感じて足を止める。どこからだろうかとキョロキョロと住宅街の周りを見渡す。左手に続く道の先を街頭の光で見えるところだけ目を凝らしてみるが何もいないようだ。気のせいではないけれど分からないな、と顔を進行方向に戻すといつの間にか数歩先に明らかに普通じゃない人が立ちはだかっていた。青色の長い髪に王様と同じ赤い瞳に睨まれると足が竦む。
震える声で「ブック」と短く呟いて私の唯一の武器を左手に取り出す。
明らかに身体能力に優れた彼を、私の魔術でどうにか出来るとは思わないけれどはったりでも出した方がいいだろう。


「…妙な気配がするなぁ、嬢ちゃん
サーヴァントは連れていなようだが、どーなってんだ?」

彼の言葉に王様の言っていた言葉を思い出す。神気が混じっていると言っていたはずだ。そのせいで彼は私をマスターと勘違いしているのではないだろうか。聖杯戦争と関係がないと言えば見逃してくれたりすればいいのだけど。

「私はマスターではありません」

これで引いてくれないかと一縷の望みをかけるも彼の目から警戒は消えずむしろその手の赤い槍が好戦的に宙を切る。

「んなことは口ではいくらでも言えんだろうが
分かってんのか、サーヴァントと魔術師じゃ勝負にならねぇぞ?」
ひゅんと空を切る槍をぎりぎり目視で確認し本を開いて防御の呪文を指で撫でる。
槍が頬を掠める寸前で発動した見えない障壁が赤い槍を弾き返す。パリンとガラスが割れるような音を立てて崩れ去る防御魔術にこれは長引くと厄介だともう一度彼に呼びかける。
「戦う気がないのだと言ってます、どうか武器を納めてください」
「…お前本当にマスターじゃないのか?」
まだ疑いの色が濃い彼の視線に、必死で首を縦に振って答えるとふと知った気配が背後に現れる。

「何をしている」

機嫌の悪い声に振り向くと予想通り王様が立っていた。思わず気が緩んだ瞬間にもう一度赤い槍が首筋目掛けて横に振られる。後ろから王様にシャツの襟首を引っ張られなかったらぱっくりと首が横一線に切れていたことだろう。目の前を通り過ぎる刃物を見送ってよたよたと足を縺れさせながら後ろに下がると王様は私には目も向けず長髪の彼だけを見つめていた。

「やっぱりサーヴァント連れてんじゃねぇか、嘘つきめ」
「な、違います!」
「はぁ?どうみてもサーヴァントだろ!」

「貴様ら雑種如きが王の許可なく話すでないわ…綺礼に伝えよ、我の邪魔をするでないとな」

その言葉を聞いた彼は顔を顰めて大きな舌打ちをする。「キレイ」とは誰なのか分からないけれど初対面のようでこの二人には共通の人間がいたのかと驚く。すたすたと槍の横を通り抜けいく王様を追いかけて、青髪の彼を横目で見ればさっさと行けと顎で示された。もう攻撃の意思はないようなので、ほっとして本をしまい、先を行く王様の後ろを歩く。
振り返ると彼は訝しむような顔でまだこちらを見ていたが、一度瞬きをした間にその姿は忽然と消え失せていつも通りの静かな住宅街が広がっていた。


「貴様はまた妙なものばかり引き寄せおって」
「あのひと、私の気配がおかしいから来たみたいです。だから半分は王様のせいだと思うのですが」
「貴様よほど死にたいらしいな…?我のせいであるはずがなかろう!貴様の阿呆で間抜けな気配が珍妙であっただけのことよ」

またも普段言われ慣れない悪口を次々に浴びせられて抗議するタイミングを見失う。

返す言葉を見つけられず前を行く王様をただ見ていると、外灯が金糸をキラキラと照らしていて夜の闇にも決して消えない光のように思えた。
この人はきっと闇に怯えることなどないのだろう。


そう言えばスーパーの袋は無事だろうか、お魚定食を作らなくては行けないのだと現実に戻ってがさがさとビニールを確認する。

「あ、ポテトサラダがひっくり返ってます」

先を歩く王様は聞こえているだろうに無視をしてどんどん先に行ってしまった。


貴様ついに出来合いを我に出すのか、と食卓ではブツブツと小言を頂いたけれど、お魚定食は綺麗になくなった。

王様が家にいてくれる方がほっとするなんておかしいと思うけれど、彼と食事をしているとすこし普通の家族みたいで心がこそばゆい。


今日も色んなことがあったけれど、考えても答えは出ないから、一つづつ片付けていくしかないのだ。私がやるべきことは食器を洗って、お風呂に入って寝ること。そして明日もまた学校で友達に会って、ちゃんと授業を受けるのだ。

大丈夫。一つづつやっていけば、自ずとやるべきことはやれるのだから。

闇に負けないように、光のほうに歩いていける。