貴方のための銀の牙

喪失の朝

「透、貴様王より先に起きぬとは小間使い以下だぞ」

ダイニングのテーブルで怒りよりも呆れをその美しい顔に浮かべた王様にごめんなさい、と寝ぼけ眼を擦る。

王様はきっと立派なお家があるはずだ。しかし昨晩の話合いの後帰ってくれるのかと思ったらそのままだらだらと居座りテレビも一緒に見てご飯まで食べてベッドを占領して就寝されたのだった。私の城であったはずの1LDKは無血開城の末に乗っ取られてしまい、以前の主人である私はリビングのソファにブランケットとともに追いやられてしまった。少し硬い寝床でもすぐに眠りに落ちてしまえる特技を称賛すべきか、危機管理能力の欠如を憂うべきか。


「おはようございます、王様
私は学校に行きます
王様もお家に帰らなくていいのですか」

身支度を整え朝食にコーヒーとトーストを焼いて、一応王様の前にも同じものを出す。トーストはバターを塗って蜂蜜をテーブルに置いておくと向かいの席に腰をおろし口をつけてくれた。よかった、朝から2枚食べるのは少ししんどいと思っていたのだ。
こうしてみると留学生をホームステイさせているようなものなのにも思えてくる。
話し、食べ、眠る。
そんな普通のことをするんだなぁ、と整った顔を見ながら思う。あまり見るとまた「不敬」と言われるのでそこそこで目線を外す。

「我のことは我が決める
貴様はせいぜいその小さな頭で学んでくるが良い
しかし昨日の今日でよく出歩く気になるな」

すっかり完食してくれたお皿をそそくさと対面式のキッチンに下げてシンクで洗い物を片付けようと水を出す。この言い方だと帰ってきてもいるつもりなのだろうか。夕飯も食べるのだろうか、この家はそこまでの備蓄もなければ彼に満足頂けるような料理の腕もない。「小間使い」は忙しい上にこの機嫌の読みにくい王様の真意や予定を探るのは至難の業だ。

「普通に、いつも通りにしていないと二度と外に出る勇気がなくなっちゃうので…
大丈夫です」

意識的に口角を引き上げて自身に言い聞かす。
『だいじょうぶ』
おまじないのようにこの言葉を唱えて生きてきたのだ。

「たわけ、なにが大丈夫か
悪意の塊のような呪いに追い回されておるくせに
貴様の魔力は我がもらうと決めたのだ
他にやるなど言語道断だ」

まだテーブルにいると思っていた王様の声がいやに近くで聞こえる。洗い物の流水音で移動した気配に気づかなかったようだ。泡塗れのスポンジとコーヒカップを両手に持ったまま、隣に立つ王様を怪訝に思い見上げると徐ろに首筋に手を回され整った顔が近づく。唇にしっとりした感触がしたと同時に緩んだ口に熱い舌が入ってくる。驚きに身を固くしていると、不機嫌を顕にした表情で王様が離れていく。

「喘がれるのも興醒めだが石のような女も萎えるな」

流水音だけが響き渡るキッチンで、何が起こったのか理解が追いつかない。五月蝿かったのだろうか、王様が流れ出る水の蛇口を閉めたことでしんと沈黙が流れる。それを合図にしたように硬直していた体にぶわりと熱が回る。キスされたこともそうだが、今彼は私から魔力を奪った。魔術を使った時のように体を巡るそれが減った感覚がする。

「魔力、勝手に取らないで」
「何をいうかと思えば…貴様のそれは人の身には過剰だ
それ故に付け回されていると何故分からん
我が代わりに使ってやるというのだぞ、寧ろ喜んで受け入れるべきであろう」
「そんな、でも減ったら戦えなくなるかもしれません」
「侮るな、半神とはいえ我の神気が交じった貴様を襲うようなモノはおらんわ」

交じった、のだろうか。
未だにスポンジを掴んだままの手を見下ろしても普段と変わらないように見える。魔力の巡りも少し軽いくらいで特に異常も感知できない。
では彼は善意でやってくれたということなのだろうか。
ソファに戻ってテレビをつけ始めた王様の真意は読み取れなかった。

「ありがとう、ございます…?」
礼を言うべきことなのか、怒るべきか迷いながらも彼の善意であることにしておいた。聞こえているのかいないのか見向きもしない彼を放置して目の前の洗い物を終わらせようともう一度蛇口を捻った。


「…あの、学校行ってきます。家出るなら鍵閉めてくださいね」
テーブルにかちゃりと予備の鍵を置くと目線だけこちらに向けて確認するとまたテレビに戻してしまった。行ってきます、と玄関でもう一度声をかけて家を出る。

帰ってきたらあの王様はまだ家にいるのだろうか。いて欲しいのかいなくなって欲しいのか、透自身もよく分からなかった。