貴方のための銀の牙

美しい獣

横柄な自称王様は、1LDKの支配権を敷居を跨いだその瞬間に家主である私からするりと華麗に奪い取った。

お気に入りの北欧テキスタイルのクッションを集めたソファにどかりと腰を下ろすと部屋をぐるりと検分し、狭いが清潔で整頓されている点は許容だな、と勝手な評価を下し長い脚を組む。いかに暴虐無人な振る舞いであっても、海外の雑誌に出てくるモデルのような気品の溢れる佇まいと彫像のようなお顔はリビングの入口に突っ立ったまま見入ってしまうだけの魅力があった。

「いつまでそうしているつもりだ、間抜け」

間抜け、などと他人に言われることに慣れていないので暴言であると理解するのにも時間がかかる上にどう反応して良いのかわからない。
謝るのはおかしいということだけは分かるので無言で荷物を置いてダイニングの椅子を引く。ソファに座るあの人の近くにいくのはまだ恐いので、狭い部屋ではあっても出来るだけ距離が欲しかった。
しかしその動作を紅色の鋭い眼で一瞥されるとやはりソファの近くに行くしかないのかと諦める。恐々と様子を伺いながら2人がけのソファの足元に敷いたラグの上に座る。
ここはわたしの家のはずだが、彼がいると人の家に上がり込んだ部外者のようで居心地が悪い。

「…難儀な魔力よな。そのように食うてくれと言わんばかりに垂れ流してよく今まで生きてこれたな、雑種」

私の体に流れる血潮の動きまで見透かすような見方に、自然と体が硬くなる。彼の視線だけで狭い部屋の緊張感が高まり、息苦しいほどの圧が掛かる。呼吸すら制されたようで自ずと視線がソファに腰掛けた彼の足元に落ちる。

黒のスラックスに白いシャツというシンプルな出立なのに、泣きそうになる程威圧的な気配を纏う彼を、何と呼べばいいのだろうか。人の器を持っているように見えるけれど、この魔力は人のそれとは違う。
これが『英霊』なのであろうか。

「魔術師の端くれならば自らどうにか出来んのか。これから始まる聖杯戦争に参加するのであろう…そのようななりではすぐに死ぬだろうがな」

今日のように、と付け加えれて無意識に顔をあげてしまう。
人ではないもの、が付いてくるのはいつ頃からだろうか。追い払っても追い払ってもふと振り返ればそれはいるのだ。それに足を掬われて大怪我負うようなこともあった。今日、この金髪の王様がいとも簡単にそれらを消し去ったのだが、それはヒーローによる救出劇ではなく、私はただもっと大きく獰猛な獣に目をつけられただけなのだと紅玉の双眼に睥睨された瞬間に理解した。
血も凍るような恐怖を撒き散らし唇を歪める様は恐ろしくも美しい獣であった。

「して、先ほどの礼として我になにを差し出すつもりだ?まぁ聞いたところで答えなど分かっているが、その身以外に我に献上できるものなど持っていなかろう」

鼻で笑いながら長い指をこちらに伸ばし不意に顎を掴まれた。冷たいのだろうと思っていた指先は私の体温よりも熱いくらいで、触れられた箇所から彼の魔力の流れを感じる。

「お礼はします……でも、私をあげることはできません」

震える声で答えると分かりやすく眉間に渓谷が出来上がる。彫りの深い顔立ちに怒りを滲ませて睨まれるとただただ恐ろしかった。蛇に睨まれた蛙の如く、動きを止めて返答を待つしかできない。

「貴様に許された答えは肯定のみだ!我に対して否と言うなど不敬である」
「ふけい…」
「…学がないのか貴様?この時代には十分な義務教育制度があるではないか…」
「はい、学校は行ってます。あの…あなたは」
呼びかけが適当ではなかったようで、またしても恐ろしい目で睨まれてしまった。
「我を呼ぶならば王に仕える臣下らしくせぬか」
「臣下…」
「…貴様如きを臣下とは思えぬな、小間使いにもなるかどうか」
「あ、あの、小間使いやりますから、それでお礼になりませんか」

小間使いって雑用ってことだなと、それくらいならできるだろうかと提案すると、彼は人の悪い笑みを浮かべてよかろう、と許可を出した。

「王に仕える名誉、その身に確と刻むが良い」
「は、はい、王様…?」

不敵に笑う彼を呼びかける呼称はどうやらこれが正解のようであった。
英霊という存在を文字の上でしか理解していない私は、この少し怖い王様が少しどころではなく恐ろしい存在であるとまだ知らない。

「英雄王」の二つ名も、彼の真名も、思想も、怒りも、何も知らなかった。


「我に仕えるとは、その身は我の物ということだ…その過剰な魔力もろとも大人しく差し出せ」


高らかに宣う王様にそれは詭弁ではないかという反論は、流石に私でもしてはいけないと暗澹たる気持ちで口を閉ざしたのだった。