貴方のための銀の牙

奇縁を嘲笑う

与えられたものと、与えたもの。
それは同じでなければ成り立たない。
どちらかが多すぎても少なすぎても崩れてしまう。


ランサーと顔を合わせた後、壁伝いにずるずると移動してどれくらいの時間がったのだろう。無人の見慣れぬ部屋で目覚めた透は、ここがどこなのか、どうして自分がここにいるのか思い出せなかった。
窓から差し込む光から日中であることは分かったが、姉と戦った夜からどれだけ時間が経っているのか、全く分からない。斑らな夜の記憶の中で、夜空を照らす月のようにギルガメッシュを見た気がした。それも朦朧とした意識が見せた幻想なのか、現実なのか。

「王様…」

広大な城の中を身体に走る鋭い痛みに耐えながら、音のする方に向かってひたすら進む。だんだんと焦げ臭い匂いが漂ってきたので、どこかで火の手も上がっているようだ。
魔力感知は苦手なのだが、透はここに彼もいるような気がしていた。姿が見えないけれど、前よりも彼の王の気配を感じられるのだった。
カンッと鉄を打つような硬い音が断続的に響いている。それが剣戟の音なのだと、近づくにつれてようやく気づく。誰だろうかと、この武器を打ち合う相手を想像し戦闘に巻き込まれれば今度こそ死ぬかもしれないと片手に抱えた魔導書に目を向ける。この本の本当の使い方は、きっと間違ってはいないはずだが人間の脳には負担が大きすぎるようだ。魔導書を開くと頭の中の細胞が壊れていくような酷い頭痛がするのだ。本当に危ない時以外はあの使い方はしない方がいいだろう。

突如甲高い女性の叫び声のような泣き声が響き、びくりと体が強張った。しかし躊躇している時間はない。透は同じような景色が続く廊下を歩み続ける。ようやく大きく開けた空間が見えてきたが、どうやら複数人の人間がいるようだった。王様と間桐慎二だろうか、とその空間に踏み入れると部屋の奥にある壊れかけた大階段の中程に探していた男の姿があった。

「十年前の続きといこう」

階下の人間を睥睨するギルガメッシュが片手を上げると、夥しい数の金色の輪が出現した。剣先が鋭利な輝きを放つ様子にたまらず声をかけた。

「王様!」

紅い瞳に睨まれた透は、思わず息を止める。黙れというように目を細めるギルガメッシュの姿に、透はなんと言葉を掛けていいのか分からなかった。

「月島さん!?」
「どうしてここに…」

近くにいた遠坂凛と衛宮士郎の存在にようやく気づいた透は二人に一瞬目線を向けて困ったように眉を下げる。すぐにもう一度ギルガメッシュに視線を戻すと、ガラガラと大きな音を立てて天井が崩落しはじめた。

ギルガメッシュを思いとどまらせることなど、透には出来ない。
この王は一度決めたことを、他人の言葉で撤回したりすることはない。選択を後悔することも、悩むこともない。王とはどういうものか、ギルガメッシュと過ごす日々の中で透は身を以て知っている。

火の粉の舞う中でじっとお互いに目線を逸さずにいたが、先に顔を背けたのはギルガメッシュの方だった。

「まぁよい、本命は仕留めた。此度はここまでとしよう」

一足飛びに距離を開けた王様の後を追いかけようと足を動かすも、支えがなくては立つこともままならない透をギルガメッシュは見向きもしなかった。
聖杯を止めたければ急げとけしかけて、その場を去って行ってしまった。

「王様、行かないでください」

弱々しく掠れた透の声は、遠坂凛と衛宮士郎の耳にしか届かなかった。



「セイバーさん、ありがとうございます」
「いえ。シロウとリンの友人であれば助けるのは当然です」

突然の乱入者であったにも関わらず、以前公園で顔を合わせた時と同じように人好きのする笑顔を見せる二人に透はあれよあれよと助けられてしまった。遠坂凛と契約しているというセイバーのクラスの英霊は、紳士的な態度で透に駆け寄り躊躇なくその腕に抱え上げた。一見華奢に見える中世風の甲冑に身を包んだ金髪に青い目の英霊は、その実鍛えられた無駄のないしっかりした肉体をしていた。

「そうよ、透。あなた怪我人なんだから大人しくセイバーに抱っこされておきなさい」
「遠坂さんも衛宮くんもありがとう」
「いいって、それより大丈夫か?」
「うん、傷はたぶん綺礼さんの魔術で応急処置はしてもらってるみたいで…」
「そっちじゃなくって。あの金ピカよ…この前の話とちょっと違うんじゃないかしら?どうみても、知り合い程度の関係ではなかったわ」

前を歩く遠坂凛が冗談めかして笑いながら振り返る。しかし透は彼女が完全には警戒を解いてはいないとよく分かる。自分が彼女であれば同じ対応をしているはずだ。敵対していた男と一緒にいた人間を、そう易々と受け入れられるはずがない。

「この前は少し誤魔化してしまって、すみません。あの人は、ギルガメッシュは私の王様です。この世界で彼の臣下だと言えるのは、きっと私だけのはず……もちろん、王様は否定しますけどね。私はあの孤独な王の側にいたいんです」
「透、失礼を承知で言いますが、あの男はあなたを騙しているのでは?世界を滅ぼそうとしているのですよ」
「知ってます、それには私も反対です。それに、騙されているのかもしれません。私を殺す理由がないから殺していないだけで、王様にとっては私はやっぱりなんの価値もない人間かもしれない」
「それでは、あなたの思いが…」

最後まで言わないでくれたセイバーの青い瞳を笑って見上げていると、はぁ、と大袈裟なため息が聞こえた。

「なによその不幸で不毛な関係は!」
「と、遠坂そういうのは人それぞれだろう?」
「あんたもそっち側の人間だからそういうこというのよ、士郎。もういいわ!とにもかくにも早く帰りましょう」

青い目を吊り上げた遠坂凛の剣幕に、三人揃って肯くしかなかった。


成り行きで身を寄せることになった衛宮家で、和室に通された透はそこでようやく少し力を抜くことができた。持っているものといえば、コートと魔導書くらいで着替えもなにもない。恐る恐る見ないようにしていた痛みの原因を服をめくって確認する。肋骨の下あたりに巻かれた包帯の上から傷があろう場所を撫でてみる。ひりつくような痛みにすぐに手を離す。これはたぶん姉さんに刺されたもののはずだ。そのあたりまではきちんと記憶がある。
問題はその後だが考えても分からないことだと割り切るしかない。


「月島さん、腹減っただろう。夕飯にしよう」

障子越しに衛宮士郎に声を掛けられ、四人で夕食を共にする。
自分も魔術師らしくないとは思っていたが、衛宮士郎も遠坂凛も大概変わっているなと観察しながら、この後の話を相談する。遠坂凛がこのメンバーの主導権を握っているようで、透はその隣でじっと成り行きを見守ることにした。

「あの金ピカ、柳洞寺に陣取っていると見て間違いないわ」

この短時間に使い魔を放っていた抜け目のない彼女の手腕に驚きながら、霊脈のある柳洞寺なら聖杯の降臨も可能だろうと納得する。聖杯の破壊と、その依代に選ばれた間桐慎二の捜索、ギルガメッシュとの戦いについて確認し終えた青い瞳が透に向く。

「セイバーには山門、私たちは裏手から山を登って聖杯を壊す。透、あなたはどうしたい?」
「私は…王様を、ギルガメッシュを止めたい」
「それはあいつを殺してでも止めたいという意味であっているかしら?」
「私にはあの王を殺すことは出来ません。それは情があるからでもあるし、それ以上に私の魔術では到底彼に対抗出来ない」

しんと、三人の目線が自分に集まっていることを意識して、一つ息をついてからそれぞれの目を見返す。

「でも遠坂さんや衛宮くん、セイバーさんが王様を止めてくれるのなら、どうなっても絶対に邪魔はしないと誓うよ。だから私も柳洞寺に行きたい」
「分かった。あなたの選択だもの、私たちは否定しないわ」
「ありがとう、遠坂さん」
「それにあの金ピカにとってあなたはきっと無価値ではないわ。あの我慢を一切しない男があなたを前にして武器を納めたんだもの」
「んー、それはあまり期待しないでください。王様のことをすきなのは私の一方的な思いであって……でも私にできることはなんだって協力します。傷つく人はなるべくいないほうがいいもの」
「透、その言葉で十分です。あなたがあの男とは違う理想の持ち主だということはよく分かりました」
「じゃあ決まりね。透の目的はギルガメッシュなんだし、セイバーと一緒に山門から向かって」

四人でお互いの目線を合わせて肯く。その胸に抱く思いは誰一人同じではなくとも、その目的は同じだ。言葉はなくともこんなに心が通じ合ったように感じるとは不思議だ。


ギルガメッシュにもらったものが透の胸にはたくさんある。
それと同じように透が捧げたものは、ギルガメッシュの中に残っているのだろうか。
それは量も質も違っても、きっと同じだけの価値をもっているはずだ。


覚悟を決めよう。


願った先が地獄でもこの手に求めたものを掴めるのならば、今持っているものを捨てて、全てを失ったとしてもいい。
そうやって全てを掛けて生きていく生き様を教えてもらったのではないか。

「だいじょうぶ」

自分に言い聞かせるように呟いたおまじないを、掌に握りしめるように両手を組んだ。