貴方のための銀の牙

忘れじの誓約

サーヴァントの召喚時のような強大な魔力反応が冬木の街に現れたことは、もちろんギルガメッシュにも察知できた。放っておくか、行ってみるか暫し悩んだが、場所が透の家に近いということがその選択の天秤を動かした。


まだ夜明けまで時間はたっぷりある。濃い闇が支配する冬木の郊外に姿を現すと、今まで見たことのない虚な表情で透が一人、闇から浮きあがった幽鬼の如くぼんやりと立っていた。

「ほう……どういうわけか今の貴様は至極真っ当な魔術師のようだな」

ギルガメッシュを見ようともしない透の反応に眉を寄せる。よく見れば透の奥にもう一人、女が倒れていることに気がついた。顔にかかった髪の隙間から覗くその容貌は、透とよく似ている。

「ついに覚悟を決めたか。……おい、王の言葉を賜っているのだぞ、返事をせぬか」

一歩、透に近づこうと足を踏み出すと同時に、足元を撃ち抜くように透から攻撃が飛んでくる。魔導書を開きギルガメッシュに相対する透は、いつもの柔らかな笑みなど忘れたように表情を無くし、よく見ればその体からは血が流れ続けている。
痛みを感じているそぶりすら見せない透に向かって、バビロンの蔵から武器を射出すると即座に魔導書から魔術が発動し、透目掛けて降り注ぐ剣先はどれも見当違いの方向へ飛ばされる。

舌打ちをして、また一歩彼女に向かって距離を詰めればそれを拒むように炎の柱が立ち上がり、意思を持つ生き物のようにギルガメッシュに襲いかかる。

「王の顔も分からぬか、馬鹿者!」

透の足元から天の鎖を放ち彼女の体を捕らえると、両手に握っていた魔導書が地に落ちる。途端にぐらんと支えを失う透は、不自然な体勢で鎖に繋がれる。その顔を片手で鷲掴み目線を合わせると、虚だった瞳に光が戻ると途端に大粒の汗が額に滲む。


「おうさま?」


ギルガメッシュを目にして、透は痛みに歪めた顔に薄く笑みを浮かべた。王に背く愚かな小間使いをどうしてやろうかと、息巻いていた怒りがその顔を見ていると行き場をなくす。

生前からずっと、どれだけ気に入った者であっても、否といえば即刻その首を落としてきた。
王である自分が人間に情など、湧くはずがない。

透が己に向ける心情が何なのか分からない。遥か昔、生前のウルクの王であったギルガメッシュに向けられた臣下からの敬愛や憧憬でもない。その身の神聖を崇める信仰でもない。

どうしてこの娘の笑み一つで、英雄王たるこの我が怒りの矛先を迷うのか。


「おうさま、怪我してませんか?私、なにかしましたか?」
「たわけ…怪我を負ったのは貴様であろうが」

透の体を捉えていた鎖を消すと、がくりとその細身がギルガメッシュに向かって倒れ込んでくる。そのまま受け止めずに捨ておけばよいものだと、そう思うのに、腕に受け止めてしまった女の体をどうするべきか。

「おい、自分で立たんか」

透を掴んだ掌にべったりと生暖かい血が付着する。
このまま放置すればきっとこの娘は死ぬだろう。それもそれで一つの命の結末だ。
返事をすることもままならない透を腕に抱え、ギルガメッシュは一瞬の逡巡の後、そのまま姿を消した。




「またその娘か、ギルガメッシュ」

綺礼の驚きと揶揄いの混じった言葉を聞き流し、とうに意識を失い青白い顔をした透に目線を落とす。

「王たるお前は一個人に対する執着などないのではなかったか」
「黙れ」
「まぁ良い。お前に貸を作れる機会などそうあることではない」

虚無を湛えた静かな瞳を睨み返し、透の額に掌を乗せる。
薄い瞼に覆われた瞳は今は見えない。
あの目で見られるとどうしてか無下にできなかった。こちらが怒りに任せて殺してしまうかもしれないということが、分かっているだろうに。



ギルガメッシュが部屋を出ていった後、治癒魔術を施しながら綺礼は透の持つ歪さに唇を歪めた。

「英雄王に気に入られるなど、君もまた運がない」

英霊の魔力をこんなに纏って、果たして彼女は人並みに死ねるのだろうか。自分と同じように、もう既に人の枠から外れているだろう。
処置を終えて顔色が幾分ましになった透は、すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。ギルガメッシュに声をかけるか、と席を立ったところで綺礼は彼女の脇に置かれた魔導書が目に入った。


「あれはまた、なんとも珍しいものを手に入れたものだな」

この十年で不本意ながら親しくなった古代の王は、不機嫌な顔でソファに身を沈めたまま、部屋に入ってきた綺礼を見ようともしない。手入れの行き届いたアインツベルンの城の中でも特に広い部屋には、大きめのソファとローテーブルが置かれており、窓から差し込んだ薄明かりを反射していた。

「写本師の末裔が生きていたか。知識のみの書庫のような物かと思っていたが、あのように魔術を使えるとなると話が違う。あれでは彼女自信が武器ではないか。協会に見つかればどうなっていたか…」
「そんな些事、我の知ったことか」
「その割には随分と可愛がっているようではないか。お前の魔力が無ければあの娘は既に生きてはおるまい。しかし、あれでは死ぬこともまた難しかろうな…肉体はあの通り脆弱だが、生命エネルギーそのものである魔力が詰まった身体だ。あの魔導書の方があの娘の体を乗っ取ってしまうだろう」
「もう既に乗っ取られかけていた。あやつ、我に向かって魔術など向けおって…」
「飼い犬に手を噛まれたか、ギルガメッシュ。それでよくぞお前が許したものだ」
「……あやつの話はもうやめろ。それよりも遠坂の娘は任せるぞ、綺礼」

アーチャーが連れてきた遠坂凛は、今夜まで命を保証する約束だ。セイバーと衛宮士郎がこの城までやってくるのは果たしていつになるのか。

だが万が一、遠坂凛が駄目であればもう一人器に向いた魔術師がここにはいる。
そうなればギルガメッシュとて躊躇している時間はないだろう。



「嬢ちゃん、なんでこんなとこにいんだ?」

ランサーが遠坂凛の元に向かう途中で、その存在に気づいたのは偶然だった。
薄く開いた扉の向こう側に倒れこんでいる女を訝しみ、少し覗いてみればギルガメッシュの連れていた娘ではないか。

ランサーの言葉に床からどうにか立ち上がろうと呻いていた透は、驚いたように顔を上げた。

「ランサー?あなたこそ、というか、ここは一体どこなんでしょうか……」
「はぁ?ここはアインツベルンの城だ。しゃーねーな、ほら掴まれ」

流石に年頃の娘が床に倒れたままというのも可哀想だったので、ランサーは透の手をつかんでその体を引き上げる。
途端に顔を痙攣らせた透は、悲鳴を飲み込んで息を詰めた。

「おっと悪りぃ、どっか怪我してんのか」
「っはぁ、そうみたい。お腹の辺りが痛くて。刺されたような気がするんですけど、何があったのか記憶が飛び飛びで分からないんですよね」

困ったように眉を下げてへらりと笑う透に、ほんとにこいつは魔術師には向いてなさすぎるだろうと、緊張感が緩む。

「悪いが俺は行かなきゃいけねーんだわ。人を探していてな」
「それは、すみません。私ももう少し歩けるようになったら部屋を出て出口を探します。早く王様に会わなきゃ……」

扉に体をもたれかけるようにして、透は廊下に出たランサーを見送った。


「男の趣味悪いな、あいつ」

誰に聞かせるわけでもなく、呟いた言葉は宙に漂う。次会ったらもう一度、やめておけと言ってやろう。
どうせ彼女は困ったように笑うのだろうが。